月桜鬼 第二部
□武士
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羅刹の騒動が収束し、一晩が経った。
久しぶりの斬り合いにさすがに疲労を感じた月山(がっさん)は、今日は大人しく部屋で休もうと考えた。
ふと開け放たれた障子から外を見ると、
裏庭で落ち込んだ様子のいのりを取り囲むように、
沖田、斎藤、藤堂、原田、永倉が集まり、
何やら一生懸命訴えている。
すると、しばらく俯いていたいのりが吹き出し、破顔し、
ようやく皆に笑みが戻った。
楽しく笑い合う若者を遠目に見、
月山はいのりがここに残りたいと言った気持ちが痛い程わかった。
幼い頃のいのりと同じ、屈託のない輝く笑顔がそこにある。
鬼に狙われ始めてから、いのりは笑顔を滅多に見せなくなった。
それは自分の存在が、皆を危険に晒(さら)してしまうという負い目がそうさせた。
だが新選組に居ることによって、いのりはそれを克服したようだ。
まだまだ甘さが残るが、それはいのり自身が乗り越える事であるし、
いのりのそういった至(いた)らない部分を土方達が補ってくれるだろうという信頼も、月山の中で生まれ始めていた。
「我々の役目も、もう終わったようですね・・・・」
「ふん・・・・・」
いつの間にか傍らに居た羽黒の言葉に、月山は苦笑気味に鼻で笑った。
* * * *
「・・・・・と、言うわけでな、俺らはそろそろ退散するぜ」
月山はそう言って土方に向って笑った。
月山と羽黒は慌ただしくも突然江戸に帰ると言い出し、
所用で出かけている近藤の代わりに、土方のところへ挨拶をしに来たのだ。
「そうか・・・・・・」
初めこそは月山を面倒がっていた土方だったが、
数日ともに過ごすと、その清々しい程の破天荒(はてんこう)ぶりや、
裏表のない率直さに人間として惹かれていた。
「では、いのりの事、よろしく頼んだぞ」
「連れては帰らないのか・・・・?」
「ははははは・・・・!!
力尽くで連れ帰ろうもんなら、まぁた出奔(しゅっぽん)するに決まってるだろう。
行方がわからんようになるよりか、居場所が知れていた方がまだマシだからな」
豪快に笑う月山を見て、土方もつられて笑った。
いのりは新選組でも出奔の前科がある。
この月山という男は、本当にいのりを良く知っている。
「あいつの後先考えない飛び出し癖は、父親そっくりだ」
呆れつつもその言葉の端々にいのりやいのりの父への、隠しきれない愛情が見え隠れする。
土方が苦笑すると、月山は突如、真剣な眼差しを向けてきた。
「それでだ、あいつがここにいたいと言ったからには、
父親代わりとして聞いておきたい事があるんだが・・・・・・」
改まった表情の月山に、思わず土方も体に緊張を走らせた。
「相手は誰だ?」
「・・・・・は?」
問われた内容が理解できず、土方はぽかんと月山の真剣な顔を見つめた。
「何の話だ?」
「だから、いのりの想い人だよ」
「・・・・はぁ!?」
勘の良い土方でさえ月山の思考は予測もつかない。
他人に決して隙を見せないはずの土方が、ただただ驚愕する。
いのりに思い人が居るなどと考えた事もなかった。
確かにいのりはこの二年程のうちに美しく成長した。
だが、いのりの穢れのない純朴な笑みを思うと、土方には何も思い当たる節がない。
(いのりは誰隔てなく笑顔で接し、優しくて思いやりのある娘だ。
それが誰か特定の男に思いを寄せていたのか・・・・・?)
「・・・・・まさか、お前さんか?」
思いも寄らぬ所から攻撃を受けたように、土方は仰け反って絶句した。
土方の情けない程の驚愕ぶりに、月山は大口を開けて笑い出した。
公然と自分の不甲斐無さを嘲笑され、土方は憮然と月山を睨む。
「役者みてぇな顔した色男の副長といえども、色事には疎いのかい」
小馬鹿にしたと言うより、子供を茶化す様な口ぶりだ。
(ち・・・・やっぱりこいつは苦手だ)
そう思いながらも、その月山の無邪気な笑い顔を憎めないのだから始末が悪い。
土方は無駄だと知りつつ、月山を鋭い眼光で射抜いた。
だが、蛙の面(つら)に何とやら。
さらりと躱(かわ)され何の手応えも無い。
「どうして、そのような事を思った?」
降参するように土方は月山に問うた。
すると月山は笑いを止め、存外真面目な顔で土方を見据えた。
「あいつはな、母親が亡くなってからずっと父親べったりの甘ったれだった。
それが父親の居る鬼の里ではなくここ、新選組を選んだんだ。
そうとしか考えられまい」
えらく短絡的な思考だと土方は思ったが、胸中を見透かしたように月山は澄まし顔で言い切った。
「恋は親離れの第一歩だ。
娘が父の助けなしでもやっていけると思うところには、男の影があるもんさ。
本当の人生は恋を知ったときから始まる・・・と、あいつの父は偉そうに言ったもんだ」
年頃の娘を持った経験のない土方にはなんとなくしか分からないが、月山の言には妙に説得力がある。
「加えて、恋は狂気。
心配性の俺としては、娘が変な男に引っかかってねぇか不安で仕方ねぇ」
土方は腕を組み、いのりの周りにいる男の顔を思い起こす。
原田や永倉はいのりを何かと気に掛けているが、
それは可愛い妹のような存在としてで、そこには異性としての感情は希薄に思える。
残るは、沖田と斎藤と藤堂。まさかとは思うが山崎も入れてみる。
井上は・・・・・考えるまででもないだろう・・・・・多分。
「まぁ、大体目星はついているがな・・・・・」
そう独り言ちると、月山はすっと立ち上がった。
「兎に角、世話になったな土方さんよ。
近藤さんにも宜しく伝えておいてくれ。
見送りは無用だ。
こっそり入ったんだ、こっそり出ていくさ」
そう言って笑った月山を見上げ、それが照れ隠しである事を土方は悟った。
その心情が分からないでもない土方は、苦笑して頷く。
「・・・・・了承した」
「それから・・・・いのりの事・・・・・宜しく頼むぜ。
泣かす様な事はしないでくれよ」
部屋を去り際、月山の肩越しに掛けられた言葉の重さに、土方は身を引き締めた。
「ああ・・・・・・」
土方の短い答えに納得したのか、月山は振り返りもせず去って行った。