月桜鬼 第二部

□試練と葛藤
1ページ/4ページ



伊東の野心は、己の才覚から沸き起こる情熱だった。
苦境に立たされても尚、立ち上がって来た彼の人生が、更に自信をもたらしたのだ。

伊東は若かりし時、常陸志筑(ひたちしづく)領士である父から家督を受け継いだものの、
父の借財を理由に一家で領外追放となってしまった。
そして水戸へ遊学し、剣術と水戸学を学び、
北辰一刀流伊東道場の道場主にその力量を認められ、
婿養子として道場を任されるようになった。

だが道場に集まった者達は、剣術には熱心だったが、その学の無さに伊東は愕然とさせられた。
そこで文武両道たる伊東は、彼らに剣術のみならず、己の経験を軸に学問をも指導する事にした。
門下生は伊東の品の良さ、知識の豊富さに傾倒していき、道場は政論塾としても大盛況となった。

だが、伊東の心は満たされない。
弁説を繰り返しつつも、その知識を生かす事の出来ない苛立ちがそうさせた。

人に知識を与えて悦びを得る者と、知識を生かして己の身を立てて悦びを得る者がいるとするなら、
伊東は後者だったようだ。

凡人にいくら誉め称えられ、敬われ、かしずかれても、満たされない。
伊東は己以上の力のある者と、己の全てをぶつけて戦ってみたかった。
そして実戦で己の正しさを証明したかった。

そんな悶々とした日々を送っていた頃、元門下生の藤堂がやって来た。
今や政局の中心たる京で、新選組なる武力組織に加わらないかと言う誘いだった。

これは思ってもいない好機だった。

伊東に付き従う者達を含めれば、総勢二百人あまりの巨大組織となる。
その上、その局長たる近藤と接見してみれば、何とも素朴で人の良い好漢だった。
伊東の弁説に甚(いた)く感動し、先生とまで呼んでくれた。
この男を上手く丸め込めば、新選組を乗っ取る事も夢ではない。
そうすれば、己も政局に関わる事も不可能ではない。

自分が国を動かす英傑(えいけつ)となる。
目がくらむ様な誘惑だった。

新選組への加入を快く了承し、上洛した伊東は、内心笑いが止まらなかった。
好敵手と成り得ると話に聞いていた、土方、山南がこれほど脆いとは思ってもいなかった。

土方は確かに判断力決断力に優れた男だが、元々農家の生まれだけあって、知識も弁舌も荒削りだ。
山南に関しては、怪我が原因らしいが覇気もなく、憐れみで新選組が飼ってやっているようなものだった。
おまけに人のいい近藤の下(もと)だ、いらぬ気苦労も絶えず、伊東が付け込む隙などいくらでもあった。

だだ唯一の誤算と言えば、松本良順という蘭方医の存在だった。

近藤を丸め込み、尊王攘夷の思想に引きずり込もうと考えていた矢先、
夷狄(いてき)が闊歩(かっぽ)する長崎で、阿蘭陀(おらんだ)人医師の下(もと)、医学を学んだ男が近藤と出会ってしまった。
松本の夷狄に対する見聞(けんぶん)は、伊東より遥かに高い。
松本の知識や人柄にすっかり惚れ込んだ近藤は、
彼を慕い京で新選組の回診や、衛生指導などの協力を仰いでいる。

元々勤王の伊東、佐幕の近藤と、仰ぐものは違えていたが、
打倒夷狄と言う思想では志を同じくしていたはずだった。

しかしながら、事もあろうに松本から夷狄の話を聞き、近藤は懐柔(かいじゅう)されてしまった。
近藤の右腕たる土方も、元々の荒々しい江戸っ子気質が同調したのか、松本をあっさり受け入れてしまった。
こうなっては伊東が近藤を操り、新選組を乗っ取るという計画は破棄せざるを得ない。

斯(か)くなる上は、近藤や土方達から力を奪い取り、
伊東の勢力を増大させ、新選組局長、副長の座から引き摺り下ろし、
組織の実権を握るしか無かった。

近藤達から力を奪い取る。

それは新選組幹部連中の引き抜きだった。
元々門下生であった藤堂は、手懐(てなず)けるのに苦労はしなかった。
近藤達との思想の違いを思い知らせ、人の良い藤堂の人情に訴えれば、元門弟たる藤堂は伊東の誘いを無下にはできまい。
そこで伊東が懐深く、優しく迎え入れれば良いだけだ。

そしてもう一人、斎藤一。

この男は政論に興味がなさそうに見えたが、頻繁に伊東の講義に顔を出すようになった。
伊東の近辺の者は、近藤の間者ではと訝(いぶか)るが、もし手に入れられたら最高の逸材だ。
斎藤の冷静さに剣の腕、そして他の者に決して惑わされない真っすぐな精神。
自分にまとわりつくだけの名だけの同志より、よっぽど力になる。
おまけに藤堂のみならず、斎藤まで近藤を裏切るとなれば、近藤や土方の精神的な打撃は計り知れないものだろう。

取り巻き達が言うように、確かに藤堂はともかく斎藤は間者の線は考えられる。
だが、伊東にはそんな事は重々承知だ。
しかも、そう諌言(かんげん)するもの達の心根は手に取るように分かる。

ただ単に、斎藤に嫉妬と恐怖を抱いているのだ。
小物によくありがちな事だ。
聡い伊東は奸臣(かんしん)の卑怯な手など百も承知。
唆(そそのか)されて有力な手駒を失う事などしてはならない。

しかし小物と言えども、一応は同志。
その不安を解消してやり、斎藤と協力してもらわなければ組織として成り立たない。

近藤達の関係を内側から瓦解(がかい)させるつもりが、
こちらも不平不満を抱え込んでしまっては、
新しい組織を作った所で内部崩壊の火種(ひだね)を燻(くす)ぶらせてしまう。

伊東に一つの妙案(みょうあん)が閃いた。



次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ