月桜鬼 第二部

□暗夜の灯
1ページ/4ページ


「明日の晩、伊東の妾宅で酒の席が設けられる。それにお前を招待したいと言ってきた」

「・・・・・はい・・・・」

いのりは気の無い返事をしながらも、土方の表情を読み取ろうと試みる。

土方は安易に、いのりを伊東に近づけさせたりはしない。
なのにこれほど改まって要請するからには、 いのりに行かせたくはない、
だが行って欲しいと言う事なのだろうと察した。

当然いのりは全く乗り気ではない。
出来るだけ伊東とは関わりたくはないと思っている。
それほど人を嫌ったりはしないいのりだが、伊東だけは油断できないのだ。
隙を見せれば毒針で鋭く突いてくる様な、薄ら寒さを感じてしまう。

「勿論、嫌だと言うなら無理強いはしねぇが・・・・・」

土方が喘ぐように言葉を紡ぐのを見て、いのりは決心した。

「・・・・・私で良ければ、土方さん達のお手伝いをさせていただきます」

しかし、土方は喜んだり安堵したりする事も無く、ただ、苦しそうに顔を歪めた。

「いのり、すまねぇな・・・・・」

絞り出すように言葉を吐き出した、土方の悲痛な表情を見て、いのりは事の重大さを痛感した。
この様な土方など見たことが無かった。
それ故にいのりは、より大きな不安に心を支配されていく。

「あの・・・・それで、私は何故伊東さんの元へ行かなくてはいけないのですか?
 私は何をしたら良いのですか?」

いのりの当然の問いに、土方は無理に笑顔を作ろうとして失敗した。

「・・・・・詳しくは話せない。ただ、伊東と食事するだけで良い。
 旨い物、たらふく食って来い。だがな、もし・・・・・・」

「・・・・?もし?」

「・・・・・もし、伊東がお前に妙な気を起こしたら、
 そん時は金蹴りでも食らわせてやれ」

乾いた笑いでいのりは応じたが、土方の言葉と表情から、自身への危機が伴う依頼なのだと気付いた。

「大丈夫だ、お前の事は必ず守る。安心してくれ。
 それに伊東と俺たちの確執はお前の行動に関係なく、これから更に激しくなる。
 だから、何も気にするな。いつも通り嫌ってやれ」

いのりは少し緊張した面持ちで、土方の部屋を辞した。

何となく安易に依頼を受けてしまった様な気がして、後悔の波がじわじわと いのりの背中に押し寄せてきていた。


* * * *


いのりにどこまで話すか。
これも大きな問題だった。
どこまで事情を話していいものか、土方も考えあぐねていた。

「夏目君には、詳しくは話さない方がいいでしょう」

山南は冷静に答えた。

「伊東さんの目的が夏目君から情報を聞き出す事であったら、
 彼女一人で秘密を守りきれるとは思えません。
 夏目君は既に、自分が半鬼である事、羅刹の事、
 そして私が羅刹となり、今なおこの世に存在している事を、
 伊東さんからひた隠しにせねばならないのですから」

土方と斎藤は、はっとして顔を上げ山南の顔を見た。

そうであったと、二人は今更ながら気付いた。
いつも笑顔で明るく振る舞ってはいるが、
いのりは自分自身と新選組の、大きな秘密を抱えていたのだ。
それを守りつつ、自分自身も守りつつ、あの伊東に一人で対峙しなければならないのだ。

「これ以上の負担はかけない方がいいでしょう。
 斎藤君が間者として潜入するため、という事を本当に知らなければ、
 誤摩化さなくとも良いのですから・・・・」

この困難な状況の中、土方達が勝機を掴(つか)むには、
いのりを伊東の元へ行かせつつも、無傷で帰らせるしかない。

それには、いのりに伊東が手を伸ばす瞬間、直ぐさま誰かが何かと理由をつけて、いのりを強引に連れ戻せばいい。
さすれば少々懐疑の目を向けられるだろうが、斎藤は空恍(そらとぼ)けつつも伊東の懐に潜り込めるだろう。

こうなればもう、伊東一派と近藤たちとの間に、決定的な亀裂が入る事になるであろうが、それはやむを得ないだろう。

いのりにその危険性を知らせる事をせず行かせるのは、彼女を騙しているようで心苦しいが、
何となくいのりなら分かってくれる、許してくれると、
土方達は心のどこかで勝手に高をくくっていた。

それに伊東は、それほど欲情に溺れる様な男ではない。
いのりが拒めば、力づくで無理強いする様な事はないはずだ。

これは伊東を信じての事ではなく、そうであって欲しいと言う願望でしかなかったことを、
土方達は後に思い知る事になる。

そしていのりは何も知らされずに、伊東の元へ向う事になった。

次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ