月桜鬼 第二部
□異変
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「けふっ・・・・かふっ」
乾いた咳が微かに聞こえ、いのりは小首をかしげた。
その咳を辿って行くと、見覚えのある背中が揺れていた。
「・・・・・?沖田さん??」
いのりの声に、びくりと背中を振るわせると、沖田はゆっくりこちらを振り返った。
「あ・・・・・なんだ、いのりちゃんか・・・・」
ほっとした表情を閃かせた沖田に、少し表情を曇らせ近づく。
「もしかして、お風邪ですか?」
「・・・・ん?まぁね・・・・・」
曖昧な返事に更に眉をしかめ、いのりは首を振った。
「風邪は万病の元です。
きっと、隊士さん達の再編成や、屯所の移転の激務でお疲れなんですよ。
松本先生にちゃんと診てもらった方が良いです」
「ええ〜、あの禿坊主に診てもらうより、いのりちゃんに診てもらいたいなぁ〜」
茶化す様な口振りの沖田を、いのりはじと目で睨む。
「石田散薬飲みますか?」
「・・・・・・・・・行ってきます」
降参だと言わんばかりに沖田は肩をすくめ、渋々松本の診療所へ向かった。
「・・・・・ただでさえ人手が減って色々大変なのだから、
皆さんの体調には、気を配らないといけないわね・・・・」
心配そうにいのりは、遠ざかっていく咳で揺れる沖田の背中を見つめた。
* * * *
伊東に追従した隊士の数が少なすぎる・・・・・。
再編成された隊士の部屋割りを任されたいのりは、伊東の講義に出席していた隊士の数と、
共に隊を出ていった同志の数の違いに、内心小首をかしげていた。
あの狡猾な伊東が、何もしていないはずが無いと、いのりは理性ではなく感覚でそう感じた。
不安が心の中で膨らみ始め、その足は土方の元へと向った。
土方の部屋の前にたどり着くと、中から人の声が聞こえてきた。
どうやら先客がいたようだ。
仕方なくいのりが踵を返しかけると、気配で察したのだろうか、
土方がおもむろに障子を開き、手招きしてきた。
「あの・・・・宜しいのですか・・・・?」
中に入ると、気怠そうな山南を筆頭に、原田と永倉が真剣な顔で座っていた。
気遣ういのりの視線に土方は苦笑する。
「別にお前に隠し立てする事なんてねぇよ。
で、何の用だ?」
一瞬いのりは口ごもるが、促す様な土方の視線を受けて、躊躇(ためら)いがちに口を開いた。
「あの・・・・・私ちょっと気になった事が・・・・・」
「・・・・・言ってみろ」
「はい・・・・・
私、何だか伊東さんに付いて行った隊士さん達の数が、
少なすぎると思ったんです・・・・」
「あ、それ、俺も思った」
横から永倉も首肯する。
「突然の分離で慌ただしく出ていったからとも言えるのでしょうけど、
新しい組織を既に思考していた伊東さんが、そんな不手際をするとは思えません・・・・・」
いのりが口を噤むと、しばし重い沈黙が部屋に満ちた。
深い溜め息をついて、土方は苦笑する。
「全く・・・・お前は本当に良く見てるな・・・・・」
「いえ・・・・・」
「確かに、俺もそうは思った。
だから多分、あいつは置き土産を残してったんだろうな」
「置き土産?」
不思議そうに目を丸くしたいのりに、土方は真剣な眼差しで答える。
「ああ、新選組瓦解の火種をな」
いのりがはっと何かに気付いたように、目を見張り、そして眉をしかめた。
「瓦解の火種?どういう事だよ?」
いまいち勘が働かなかった原田と永倉は腕を組み、
土方から聞かされるであろう不愉快な話に身構えた。
「ああ、伊東を慕っていた隊士達は、新選組に取り残されどう出る?」
「勿論、伊東さんの元へ行こうとするでしょうね」
今まで黙って聞いていた山南が静かに語り始めた。
「しかし新選組と御陵衛士の間には、互いの隊士の行き来を禁止する、と言う取り決めが既に交わされています。
即ち、御陵衛士にこれから参加しようとする者は、新選組を抜けなければなりません」
「・・・・だが、隊の脱走は武士道不覚悟で切腹・・・・・」
背筋が凍る思いで、原田が呟く。
「ええ、そして我々が脱走した隊士を粛清すればするほど、
伊東を慕う者は強く新選組を憎み、遂には内部崩壊を画策し始めるでしょう」
空恐ろしい未来図に、部屋にいた誰もが息を呑んだ。
やはり伊東は、直接手を下さずとも新選組を危機に陥れる事もできる程の、恐ろしく頭の切れる男なのだ。
それでも伊東の悍(おぞ)ましい策略を、唯々諾々と受け入れるわけにはいかない。
何か対策はあるのかと、問いかける様な永倉の目に、土方は腕を組み直し、舌打ちをした。
「・・・・・また後手後手に回るようで気にくわねぇが、斎藤の情報次第だな・・・・」
「はぁ・・・・なんだか伊東にやられっ放しな気がして、気にいらねぇな」
顔をしかめ、原田は悔しそうに呻く。
「今度はそうはいかねぇ。
分離した以上、伊東が躊躇(ためら)いなしに近藤さんを狙ってくる事は分かりきっている。
こればかりは、遅れをとるわけにはいかねぇからな」
力を込めてそう土方が断言すると、皆一応に頷いた。