山崎烝の新選組日記

□我、らゔろまんすに勝手に巻き込まれるの事 その肆
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俺があれこれ悩んでいる間に、老人は黙って立ち上がり、身体についた泥をはたいていた。
疲れた様な、傷付いた様な、心配そうな・・・複雑な表情で屋敷を見つめたまま、その場を離れる様子もなかった。

仕方なく、俺は一言声を掛けた。

「・・・あの・・・お怪我はありませんか・・・?」

少し驚いた様にこちらを振り向いた老人は、恥ずかしげに・・・そして悔しそうに目を伏せた。

「・・・いやぁ・・・お恥ずかしい所を見られましたなぁ・・・」

「・・・一体何が・・・?」

余計な事かもしれないが、これを機にこの老人から『伊勢屋』の内情を聞けるかもしれない。
俺は用心深く、不信感や猜疑心を持たれぬ様、なるべく親切そうな好青年を装った。

「・・・ははは・・・よくある事です。
 口喧(やかま)しい年寄りが、若者に疎(うと)まれたというだけの事です・・・」

どうやら、詳しく話す気はなさそうだ。
老獪(ろうかい)とは言い過ぎだが、様々な経験から、余計な事を他人に漏らすような事を避けたのだろう。

(・・・これは、攻め落とすのも一筋縄ではいかないかもしれない・・・)

俺は内心溜め息をついて、長期戦を覚悟した。

(・・・??いや、待てよ・・・先程この老公(ろうこう)は、華の名を口にしていたな・・・)

「・・・もしかして・・・華・・・お嬢様の事で何か・・・?」

俺の口から、仕える娘の名を聞いて、老人ははっと俺を振り返った。

(・・・もしや!これは手応えがあったか!!??)

口元が綻(ほころ)びかけるのを必死に堪(こら)え、何とか心配そうな表情を顔に貼付ける。

「・・・まさか・・・貴方は・・・華お嬢様の・・・」

(よし・・・これはいけるか!?)

「・・・華お嬢様のおっしゃっていた、新選組の『山崎様』ですか!?」

「へっ!?」

・・・思わず、間抜けな声を出してしまった・・・。
まさかこれほどあっさりと、俺の素性がばれるとは思ってもいなかった。

俺は慌てて老公の腕を取ると、足早に屋敷から逃げる様に遠ざかった。


* * * *


「あら、岸三さん。今日は珍しい人をお連れやね」

「ああ・・・すまないが・・・」

「へえへえ、分かっとります。奥へどうぞ」

溌剌(はつらつ)とした看板娘の勢いに苦笑しつつ、俺は薦められるがまま店の奥の席に着いた。
共に店に入った老人は、娘が口にした俺の偽名に眉をひそめたが、何も発せず黙って目の前の席に座る。
それを見計らったかの様に手際良く、娘が茶と団子を出してくれた。

「ほな、ごゆっくり」

人の良い笑みをぱっと咲かせると、直ぐさま踵(きびす)を返して娘は去って行った。
いつも使っているだけあって、彼女は俺がどういう人間でどういう事をしているか、何となく察してくれている。
だが、店の者として客に深く関わらない様に心してくれている為、安心してここを利用できるのだ。
利発な女子とは、敵となれば危険な存在だが、味方となると本当にありがたい。

「・・・あの・・・」

老公が緊張の面持ちで、戸惑いがちに口を開いた。
疑念と不安と期待が、頭を占めているのだろう。
俺はこの老公をこちら側に引き込めると睨んで、全てを話すことにした。

「・・・言いたい事は大体分かっています。
 確かに俺は、『新選組の山崎』です」

「そ・・・そうですか・・・やはり、そうでしたかぁ・・・」

安堵と共に、老公は大きな溜め息をついた。

先程の警戒心など何処かへ置き忘れたかの様に、老公は俺の言葉をそのまま、いとも簡単に受け入れた。

(・・・恐らく、俺に『華お嬢様が話していた新選組の山崎』であって欲しいのだろう・・・)

例えそれが嘘だとしても、彼はそう信じたいのかもしれない・・・。
それはこの老公が、かなり追い詰められた状況に居るという事だ。

熱い茶を飲んだ老公は一息着いたのか、堰(せき)を切った様に話し始めた。

「お恥ずかしい事ですが、私は華お嬢様が心配で・・・。
 少々口が過ぎ、今や店での実権を握っている男や、その息子の気に障った様です・・・」

肩を落とした老人は、大きな溜め息をついた。

「・・・華・・・お嬢様が心配とは・・・?」

「お嬢様からお聞きになったとは思いますが、旦那様が華お嬢様の嫁ぎ先をいきなり決められたのです。
 それもよりにもよって、あの様な男の下へと・・・」

「・・・確かにその相手となる男は、あまりよい噂は聞きませんし、
 先程の横暴な振る舞いなどを見ても正直良い心象は持ちませんが、
 伊勢屋の店主が娘に相応しいと見初めた相手・・・」

杞憂ではないかと俺が苦笑しつつ、そっと老公の様子を伺(うかが)うと、
老公はぽつりぽつりと昔話を語りだした・・・。

「・・・確かに、私の思い過ごしかもしれません・・・。
 ですが・・・私はどうも、あの様な男がお嬢様を幸せにするなどとは思えないのです・・・」

華は幼い頃に母を無くし、自身は病気がちで、一人寂しく心細い思いをして育ったそうだ。
だからこそ父兄の深い愛情によって育まれ、捻(ひね)くれる事無もく、素直な人の痛みの分かる女性へと成長した・・・。

老公自身が風邪をこじらせた時も、寂しいだろうと毎日見舞いにきてくれるような、心優しい娘であったと・・・。
身寄りのない年寄りに取っては、正に目に入れても痛くない程の、孫の様な愛おしさだったそうだ。

そんな華だからこそ、幸せになって欲しい・・・。
彼女に相応しいのは、あの様な粗暴で人情味の欠片もない男ではないはずだと、
老公は涙まじりに訴える。

老人から溢れんばかりの愛溢れる熱い思いに、あの華の笑顔が浮かんでくる・・・。
その笑みには裏も表もない。

(・・・そうか・・・きっと彼女は、人を愛しているのだ・・・)

探ったり、訝(いぶか)しんだりする事も無く、
ただそこにある命を、慈しむ・・・。

(・・・甘いと言えば甘いだろう・・・
 だが彼女は、全ての人が善人であるなどという思考を持った、単なる愚鈍な娘ではない。
 少なくともあの男達に不信感を抱き、『伊勢屋』の危機を察し、家を飛び出している・・・)

もしかしたら彼女には、自然と自分の心と共鳴できる様な人間を、嗅ぎ分ける能力があるのかもしれない・・・。
自分の純粋な心に触れる事ができる、等しく心優しい者を見分けるような何か・・・。

(・・・馬鹿馬鹿しい)

俺は苦笑と共に頭を振った。

(・・・そうであれば、彼女に頼られた俺も、彼女に取っての良い人、という事になってしまうではないか・・・)

彼女を心ない言葉で傷つけた俺がそう思うなど、自惚れも甚(はなは)だしい限りだ。
それに彼女からどう思われようと、俺に取っては重要ではない。

(俺は新選組の監察方だ・・・。
 何の根拠も信憑性もない女からの批評になど、心動かされるものか)

ふん、と下らぬ思考を鼻で弾くと、俺は老人を正面から見返した。
それがまるで、年寄りの涙を誘う様な話に絆(ほだ)されてなるものかと、身構えた様に老公には写ったようだ。
弁明する暇も無く、老公は苦笑と共に溜息を漏らした。

「・・・巻き込まれた貴方にとっては、華お嬢様の出奔は、全く持って面倒な厄介事でしかなかった事でしょう・・・」

流石に、亀の甲より年の功とはよく言ったもので、老人は俺の心をずばりと言い当ててきた。
否定も肯定もせず、俺は先を促す。

「しかし華お嬢様は、あなたと出会えて本当に良かったと・・・とても感謝していると・・・、
 そうおっしゃっておりました」

「・・・感謝??」

意外な言葉に、俺は眉をしかめた。
俺は一体彼女に何をしてやったと言うのだろう・・・。

俺の不審そうな表情に気付いた老人は、すぐさま補完する様に一言言い添えた。

「はい・・・自分で困難に立ち向かう勇気を頂いたと・・・」

「・・・?」

そんな覚えなどない。
彼女の気遣いを邪険に撥(は)ね除(の)け、日々気楽で良いものだと小馬鹿にして疎(うと)んじたのだ・・・。
彼女の傷付いた瞳を思い出すだけで、心がちくりと痛み、羞恥心で頭を覆いたくなる。

俺のそんな悔いなど気付かず、老人は続ける。

「実は私は不謹慎ながら・・・お嬢様が家を出られた時、内心『良くやった!!』と思いました。
 嫌なものは嫌だと、初めてお嬢様が自分の意志を貫いたのですから・・・。
 あの、小さくて可愛らしいお嬢様が、何と強くなられた事かと・・・」

感動の面持ちで、老公は頬を熱くして語る。
だが、すぐに肩を落とした。

「それなのに、急に戻っていらっしゃって・・・。
 やはり、ずっと屋敷で可愛がられていたお嬢様では、外の世界はお辛かったのかと、正直私は落胆しました・・・」

(無理もないだろう・・・)

この混沌とした京の町で、普通の娘でさえ一人で生きていくのは至難の業だ。
それを今まで金銭的な苦労をしてきた事のない、華の様なおっとりとしたお嬢様が、たった一人で生き抜けるはずもない。

「しかし、帰って来られた華お嬢様には、昔では考えられない程の決意を秘めた、凛とした強さを感じられました・・・。
 単に何の後ろ盾もない、右も左も分からぬ外へと飛び出し、辛く厳しい孤独な生活に打ち拉がれ、
 耐えきれず逃げてきた訳ではなく、目的を持って戻って来られたのです」

・・・目的を持って・・・?

「・・・・・・まさか・・・・・・」

俺は絶句した。
そんな俺に、神妙な顔で老公は深く頷いた。

「はい・・・。お嬢様は『伊勢屋』を取り戻す気です」

「はぁっ!?」

もうこれは動揺どころの騒ぎではない、俺の頭は混乱してしまった。

「何を考えてるんだ!!一体何をしようって言うんだ?一人でか?どうやってだ?!」

まるで春の日差しの様な、長閑な笑みを浮かべる華を思い出し、思わず立ち上がり声を張り上げる。

(無茶だ!無理だ!!無謀だ!!!)

慌てふためく俺に、老公も一緒になって狼狽(うろた)える。

「い・・・いえ、私は・・・・・・」

「あ・・・失礼・・・少々錯乱してしまいました・・・」

「・・・はい・・・」

無理もないと言わんばかりに、老公は困った笑みを浮かべた。
少し冷静になった俺は、周りの客に頭を下げ、疲れた様に席に座り直す。
すると老公は、悲しそうな笑みを浮かべ、ぽつりと呟いた。

「お嬢様は・・・悔いておられました・・・」

「・・・・・・何を・・・でしょう・・・?」

「己の無力にです」

その言葉に、俺ははっと胸を締め付けられた。

「お嬢様はおっしゃっていました。
 今まで父や兄に守られてきた・・・そしてこの与えられた平安がずっと続くと・・・
 ずっとそう疑う事もなかったのだと・・・。
 だからこそ、この伊勢屋の危機に自分は逃げる事しかできなかったのだと・・・。
 その上、偶然に出会った山崎様に頼り切り、山崎様を苦しめる結果になってしまったのだと。
 本当に申し訳ない事をしたと、そう悔いておられました・・・」

自分は何もできていなかった。
いつも誰かに縋(すが)り付き、自分は戦う事もしなかった。
これでは山崎が憤(いきどお)るのも当然だ。
これは自分の問題なのだから。
兄が居ない間は伊勢屋の娘として、自分が戦うべきだったのだ・・・。
その為にも、あの親子の不正の証拠を何としてでも集め、自分が父を・・・『伊勢屋』を取り戻す・・・。

(馬鹿だ・・・)

華の決意を老公から聞き、俺は呆れた。
呆れ果てた・・・。
体中から力が抜けるとは、この様なことを言うのだろう。

(あんなお嬢様育ちの華に、乗っ取りを企んでいるであろう腹黒い親子に対抗できるものか!
 こういう時にこそ、誰かに頼るべきだろうが・・・)

そう思い、俺はぐっと唇を噛み締めた。

(いや・・・そうして頼った俺に邪険にされたんだ・・・
 彼女に孤独な戦いに挑まねばならないと思わせたのは、この俺だ・・・)

華の必死な気持ちに、俺は気付けなかったのだ。
思い出す、華の温かな笑み・・・。
その裏には、悲しみや苦しみを必死に隠していたのだ・・・。

(ああいう娘は・・・、誰かが守ってやらねば・・・)

俺ははっと息を飲み、勢いよく頭を振った。

(何を柄にもない事を!!
 俺は新選組の監察方だ!私的な感情は、もっとも邪魔なものだ!!
 大体そんな役・・・俺でなくとも良いではないか!!)

そう考えつつも・・・誰かが華の肩を抱き、彼女の笑顔を独り占めしているのを想像すると、腹立たしさが込み上げてくる。

(・・・ええい!本当に・・・厄介な娘だ!!!)





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