山崎烝の新選組日記

□我、らゔろまんすに勝手に巻き込まれるの事 その伍
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驚愕(きょうがく)と恐怖で声も出ないのか、固まったままの華の姿を、理性が融解(ゆうかい)した瞳が捕らえたようだ。
不気味な低く唸(うな)る様な笑い声を漏らしながら、男が華に近付く。

「・・・ほうほう・・・これは・・・出来た嫁だ・・・。
 旦那様が来るのを、寝ずに待っていたか・・・」

男の物騒な物言いに、俺の拳に思わず力が入る。

(拙(まず)い・・・これは拙(まず)いぞ・・・)

早く逃げろ!と言ってやりたいが、天井裏に潜んでいる俺がそんな事を言える立場でもない。
それに、この屋敷に彼女が逃げ込める場所など、どこにもないのだ。

俺が気を揉(も)んでいる間にも、華は緊張感を漂わせながら男から目を離さず、ゆっくりと立ち上がった。
この男の前で悲鳴を上げたり、怯(おび)えた態度など取ったりするものかという、
彼女の精一杯の気概(きがい)を感じ、俺の胸は熱くなる。

だが、彼女の虚勢など百も承知の男は、嫌な笑みを浮かべながら、華の退路を断つ様に回り込もうとする。
それに気付かず、華は一生懸命男との距離を保とうと後退りしたため、壁際まで追い込まれてしまった。

それに気付いた時にはもう遅い。
酔っぱらいにしては素早い動きで、男は華の腕を取ると、乱暴に布団の上に引き倒した。

声も無く布団の上に倒れた華は、健気にも乱れた寝間着を掻(か)き抱き、
男を睨みつけながら尚(なお)も身を捩(よじ)って男から離れようとする。
そんな華の様子を小馬鹿にした様に見下ろし、男は鼻を鳴らした。

「・・・ふんっ・・・もうそろそろ諦めたらどうだ。
 最早お前を守ってくれる者など、誰もいないのだ」

華の細い肩が細かく震える。

怒りからなのか・・・。
恐怖からなのか・・・。
俺には分からない・・・。

「なぁに、そのうちこの生活にも慣れるさ。
 俺が大好きな父様や兄様の事など忘れさせてやるよ」

下卑(げび)た笑いを上げ、男が華の側に腰を下ろして、無造作にその華奢な手を掴んだ。

「・・・はっ・・・放してっ・・・!!」

流石に堪(たま)らず絞り出すような悲鳴を上げ、華は必死に逃れようとするが、男の力の前には無力だった。
だが華からの蛇蝎(だかつ)の如き嫌われ様に、男も少々興ざめし始めた様だ。
暫(しば)し白けた様子で沈黙を保っていたが、突如何か閃いたかのか、ねっとりとした猫なで声で語りかけた。

「いいのか・・・?俺にこんな反抗的な態度を取って・・・」

不吉な言葉に、ぴくりと華の身体が反応する。

「お前の大好きなお父様・・・今、どうなっているだろうなぁ・・・」

「・・・・・・お・・・お父様に・・・何か・・・したの・・・?」

不安そうな娘の様子に支配欲が膨れ上がったのか、男は更に華に身体を寄せた。

「いつも、いつも、お前ら兄妹の事ばかり話していたぞ・・・。
 自慢の子ども達だとよ・・・」

「・・・お父様・・・」

「ま、今じゃ娘のお前が目の前にいても、分かるかどうか・・・」

「・・・!?どういう・・・!!」

目を見開き吃驚(きっきょう)し、問い質そうとする華の言葉を遮(さえぎ)り、男は突然華を押し倒し上に股がった。
華の恐怖と絶望で青ざめた顔が、俺からもはっきりと見えた。

「・・・へへへ・・・俺の言う事を聞いてりゃ、いつかお父様に会わせてやるよ・・・。
 どんな風になっていても、お父様はお父様だ。
 それにここの若旦那として、ちゃんとお前を可愛がってやるからよ・・・。
 悪い話じゃねぇだろう・・・?」

そう言いながら、男は華へと覆(おお)い被さる。
必死に顔を背ける彼女の白く細い首に、男が厭(いや)らしくも吸い付く・・・。

ぎゅっと目を閉じた華の目尻から、一筋の涙が溢れた・・・。

「や・・・やまざ・・・」

涙の滲んだ微かな声が、俺には聞こえた。

そう思った瞬間、勝手に俺の身体は動いていた。
天井から音も無く飛び降り、驚いて顔を上げた男の顎を思いっきり蹴り上げ、昏倒させてしまった。

(・・・・・・・・・あ・・・・・・やってしまった・・・)

最早(もはや)、忍び込んだ意味がない。

己の愚かさに唖然(あぜん)としている俺の背中に、驚きと戸惑いに満ちた、震える呟きが微かに響いた。

「・・・や・・・山・・・崎・・・様??・・・」

俺の身体がその声にぴくりと反応する。
恐る恐る振り返ると、華は目に涙を滲ませ唇を噛み締め、じっとこちらを見つめていた。

「どうして・・・どうしてこんな事を・・・」

非難めいた彼女の口調に、俺は驚愕し困惑し混乱した。

「は!?・・・あれ??え・・・嫌・・・ではなかったのか・・・?」

慌てふためく俺を、華はきっと睨みつけ声を張り上げた。

「嫌に決まっています!!!」

はっきりと言い切る華の瞳が揺れる・・・。

「触れられるどころか、この方の声を聞くだけでもおぞましいです・・・!」

「で・・・では何故・・・そんなに・・・」

「山崎様は・・・この屋敷に、何らかの目的があって忍び込まれたのでしょう?
 それを私などの為に、自(みずか)ら台無しにされて!!」

凛とした華の声に叱咤(しった)され、俺はぽかんと馬鹿みたいに口を開けた。

(・・・あれ?・・・もしかして・・・・・・俺・・・怒られてる??)

あまつさえ華は、事態があまり良く飲み込めず、呆然とする俺の背中を押して部屋から追い出そうとする。

「さ、ここは私に任せて、山崎様はご自分の責務をお果たしください」

「ちょっ・・・ちょっと待て、任せるって・・・」

身を捩(よじ)り、必死に華の顔を改めようとする俺に、彼女はぱっと明るい笑顔を見せた。

「大丈夫です!!ちゃんと立派に、お役に立ってみせますから」

(また、馬鹿みたいに能天気なことを言う!!
 一体この最悪の事態を、どうやって取り繕(つくろ)う気だ!?
 そんな確証のない強がりな発言など、俺が信じるとでも思ったか!?)

俺は思わずかっとなって、体ごと華に振り向いた。

「何を言ってるんだ!!こんな目にまであって・・・、怖くはないのか!?
 大体君は・・・・・・!!」

怒鳴りながら、俺はまたやってしまったと青ざめた。

(しまった・・・。
 また勢い任せの言葉で、彼女を泣かせてしまう・・・)

だが、華の瞳に涙はなかった。
そしてその大きな目でじっと俺を見つめ、呟いた。

「・・・だって・・・私も戦わないと・・・」

「・・・・・・え?」

華から溢れ出す凛とした気品を感じ、俺は思わずたじろいでしまった。

「・・・だって・・・山崎様があれ程必死になって、伊勢屋の為に動いてくださっていらっしゃるのに、
 私だけ安全な場所でじっとしているだけだなんて、確かに山崎様に叱られて当然ですわ・・・。
 やはり、当事者たる私こそが、表立って戦うべきでしょう?」

彼女のあまりにも頓珍漢(とんちんかん)な決意に、俺は頭を抱えてしまった。

(一体何をどう考えたら、そうなるんだ!?)

俺は土方さんからの指令に因って、伊勢屋を調査していただけだ!
俺があんたを怒鳴ったのは、単に調査が行き詰まって苛ついていただけだ!!
誰があんたの様な、世間擦(す)れのしていない無垢(むく)な娘に、
こんな闇深い事件の先頭に立てと言った!?
敵うはずがないだろう!?

目眩(めまい)を覚えつつも、俺は深呼吸一つで何とか自分を何とか落ち着かせた。

(・・・いや、そう思わせてしまう程・・・この事態と俺の失態が、彼女を追い詰めてしまったのだ・・・)

顔を上げると、華の真っ直ぐな視線にぶつかった。
口では勇ましい事を言ってはいるが、瞳の奥底は未だ不安に揺れているのが俺には分かった。

(・・・本当は・・・やはり怖いのだろう・・・)

無理もない。
こんな粗暴な男とその父親に対し、孤立無援の戦いに挑もうというのだからな・・・。

それでも、ありったけの勇気を振り絞り、何とか立ち向かおうとする不器用なまでの華の真摯さに、
呆れつつも愛おしさを感じてしまう。
裏ばかりを探り、常に敵の背後を狙う俺には、その無謀とも言える真っ直ぐさは目映い・・・。

無意識にじっと華を見つめていると、ふと、大きな瞳から放たれた光が融解し、揺れ始めた・・・。
身体が細かく震えだし、息もしゃくり上げるように不規則になり、頬に朱がさす・・・。

「・・・で・・・でも本当は・・・やっぱり・・・こ・・・怖かっ・・・」

華は肩を振るわせ・・・、蚊の鳴くような声でそう呟くと、ぐっと唇を噛み締め顔を背けた。
思わず胸に熱いものが込み上げ、俺は震える華の身体をしっかりと抱きしめた。

「・・・大丈夫だ・・・もう、大丈夫だ・・・」

そう囁きながら背中を摩ってやっていると、張り詰めて強張(こわば)っていた彼女の身体から、突如ふっと力が抜けた。

「い・・・嫌ですわ・・・私ったら・・・
 ひ・・・一人で・・・一人でも頑張ろうって・・・思って・・・思ってたのに・・・!
 山崎様が・・・現れたら・・・き・・・急に力が・・・」

そう恥ずかしげに言って、華は俺の腕から逃れようと身じろぐが、いじらしい言葉につい俺も腕に力が入る。

(こんなにも・・・俺を必要としてくれる・・・
 こんなにも・・・俺を信頼してくれる・・・)

この腕の中にある温もりは何であろうか・・・。
心がぎゅっと締め付けられる・・・。

「・・・や・・・山崎・・・様・・・?」

少し痛そうに顔を上げた華の瞳に、俺は吸い込まれそうな感覚に囚われた。
まるで俺の中が何かで満たされていくようだ・・・。

(・・・放したくない・・・
 ・・・失いたくない・・・もう二度と・・・)

危険だと・・・これ以上踏み込んではいけないと・・・頭は警告を鳴らす。
だが、もうこの高ぶる熱い想いは、止められそうにもない・・・。

「・・・華・・・・・・」

俺は辛うじて彼女の名を呼ぶと、溢(あふ)れ来る感情のまま華の可憐な唇に口付けをした・・・。

(女子の唇とは・・・これ程までに温かく甘く、柔らかいものだっただろうか・・・)

温かく甘美な感覚に浸っていた俺は、はっと自分が一体何をしたか気付き、身体から血の気が引いた。
かと思った瞬間、俺の全身が激しい熱を帯びた。

「こっ・・・こ・・・っここれはっ・・・ちっ違う!!
 いや、違わないっ!!で・・・では無くてだな!!そのっ・・・!!」

まるで海老の様に素早く華から飛び退ると、俺は年頃の娘に対するあまりの無礼に何とか言い訳しようとするが、
口からでるのは馬鹿みたいに意味のない言葉の羅列でしかなかった。

真っ赤な顔でこけしの様に立ち尽くしていた華は、俺の間抜けな姿に我に返ったのか、
少し困った様な笑みを浮かべ、首を振ってくれた。

(・・・俺の失態を流してくれたのか・・・?)

俺は自分の未熟さに恥ずかしくなり、咄嗟に顔を背けると、
今や木っ端微塵となってしまった俺の威厳を必死に掻き集め、無愛想に言い放った。

「と・・・とにかく、折角忍び込んだのだ、色々と探(さぐ)らせてもらうとしよう」







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