月桜鬼 第一部

□最後の別れ
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* * * *


美月神社の焼け跡は綺麗に片付けられていて、あるのは煤(すす)けた社などの基礎のみだった。
冷えきった空気が体を突き刺し、さらに喪失感に苛(さいな)まれる。

いのりは荒涼とした焼け跡の前にしゃがみ込み、花を添えると目を伏せて手を合わせた。

思い出す、神社での宮司と過ごした平穏な八ヶ月。
半年かけて覚えた巫女の仕事。ようやく手伝えるまでになったのに・・・。  

金銭が底をつきろくに食べれず、歩き通しで疲れた体を山中で休ませているところを、宮司に救われた。
その後、事情を話すといろいろと面倒を見てくれた。
互いの正体を打ち明け、全てを受け止めてくれた。 
そして、宮司は自分を本当に大事にしてくれた・・・。

家族として受け入れられた事で安心したのか、あの体質に寄る身体の変化も出なくなり、生活に何の支障もなくなった。
まさに、これからという時だったのだ・・・。

宮司が買ってきてくれた、自分用の茶碗と箸。
桜が好きだと言ったからと、美しい桜が描かれた茶碗だった・・・。
巫女の衣装も、着物も、大きな神社ではなく、裕福な暮らしでもなかったのに、色々そろえてくれた。

いのりが作った食事を美味しいと喜んでくれ、巫女の衣装も似合うと褒めてくれ、
着物を着たときは、もっと良い物を買ってあげれば良かった、と悔やんでくれた。
それが全て、焼け落ち、片付けられ、何も無い・・・・。

「わりぃ、斎藤・・・ちょっとここ頼むわ」

永倉は呆然とするいのりの姿にいたたまれなくなったようで、
後を斎藤に後を託すと、石段を降りていってしまった。

「新八の奴・・・」

斎藤は憤慨して心の中で舌打ちをした。
斎藤とていのりに対して、どうしてやればいいのやら全く分からない。

(左之や副長あたりなら、気の利いた言葉をかけてやれるだろうに・・・・・・・)

出かける間際、土方がにやっと笑って

「いのりが泣いたら、ちゃんと抱きしめてやれよ?」

と斎藤に余計な・・・もとい、貴重な助言を与えた。

しかしこんな時に、自分や永倉が一番役に立たないであろう事を、斎藤はよくわかっている。
そんな二人にいのりの護衛を命じた土方に対し、斎藤は心の中で珍しく恨み言を漏らした。
しかし、このままと言うわけにはいかない・・・・。
必死に頭の中で、いのりへの慰めの言葉をかき集める。
・・・が、やはり何も出てこない。

沈黙を破ったのは、立ち上がったいのりだった。

「本当に・・・・本当に何も無くなってしまいました・・・・」

振り向かず、いのりはつぶやく。
その声は凛としてよく通るものだったが、そのまま風に流されてしまう程小さかった。

「・・宮司様に買っていただいた茶碗も・・・箸も着物も、本も・・・・。
 それに宮司様も・・・」

徐々にいのりの声は、小さくか細くなり消えていく・・・。

斎藤は顔をしかめた。
ここに長居しては駄目だと、咄嗟に思ったのだ。
宮司への思いが強ければ強い程、温かな思い出と残酷な現実とが少女を更に追い詰めてしまう・・・・・。
斎藤はいのりの腕を取り、無理矢理振り向かせた。

いのりは驚いた顔で斎藤を凝視する。
涙は無かった。
しかし大きな瞳は潤み、絶望に近い悲しみが漂い、
まるでこのまま崩れてしまうのではないかと思える程、儚げであった。

「・・・・・お前がいる。全部無くなったわけではない。
 まだ、お前が残っているだろう・・・・・」

今のいのりに対して適切な言葉かは分からない。
分からないが、ちゃんと分かって欲しかった。

お前が生きていてくれて良かったと・・・。

いのりは斎藤の言葉を一言一句聞き漏らす事の無いよう、胸元で両手を握りしめ、じっと見つめ聞き入る。

「だから・・・その・・・・」

しかし次の言葉が見つからず、心の中で冷や汗をかく。
そんな斎藤の様子に、少女はふっと柔らかな笑みを浮かべた。

「ありがとうございます・・・斎藤さん・・・・本当に・・・・」

どんよりとした曇り空でさえ覆い隠す事のできない、温かく優しい笑顔。

この笑顔が、むさ苦しい屯所に柔らかい光を与えてくれていた。
どんなに厳しい寒さの中巡察をしても、屯所に戻りこの笑顔を見ると安堵した。
少女が色々心配りをしてくれていたからこそ、皆の仕事もはかどった。
このひと月あまりいのりは常に周りに気を遣い、皆に笑顔を与えてくれていた・・・・。

ふと斎藤は、いのりの泣いた姿を、一度も見た事が無い事を思い出した。
原田の言葉が頭をよぎる。

「本当に辛ぇのは、
誰にも弱音を吐けねぇ事かもな」

ここに来る前はいのりがもし泣いたら困る、と内心溜め息をついていた。
泣かれたらどうしたら良いか、どんな言葉をかければ良いのか、全く分からない。
そんな情けない自分を知るのが憂鬱だった。
だが今では、涙一つ見せないいのりに気を揉んだ。

「もう少し、頼ってくれてもいいのにさ。そんなに俺らって頼り無さげに見える?」

これは平助の言葉。

知らぬ間に、いのりは新選組にいろんなものを与えてくれていた。
なのに自分たちは、天涯孤独となった少女を屯所に閉じ込め、追い詰め、
故人を思い涙を流す事すら、させてやれないのかと情けなく思った。

斎藤は思わず掴んでいたいのりの腕を引き寄せ、自分の胸元へいのりの顔を押し付けた。

「泣いても・・・・良いのだぞ?あんたにとっては・・・多少頼り無いやもしれぬが、
俺とてあんたが泣く時くらい・・・・いつでも胸を貸してやる・・・・」

いのりの頭に口づけするようにささやく。
一瞬驚いて身を固くしていたいのりだったが、斎藤の温かい思いを受け取ったのか、
握り締めていた手を解き、斎藤の着物を掴んだ・・・・。

いのりが顔を上げ、大きな瞳を潤ませて斎藤を見つめる。
少女はこみ上げる衝動を堪えるよう、唇を噛み締め、肩を振るわせ、顔を紅潮させている。

いのりが何か言おうと口を開けた瞬間、二人のしんみりした空気を、吹き飛ばす程の明るい大声が響いた。

「おお〜い!いのりちゃん!斎藤!下の旨い蕎麦屋に席を取ったから、すぐに食べに・・・・・」

声の主である永倉は、石段を上りきり、目の前で寄り添う二人の姿を目にし、口をぽかんと開けた。
その様子に斎藤は我に返り、いのりから手を放し飛び去る。

「どど・・・どうした、新八・・・・」

なんとか取り直そうと、冷静を装ったが上手くいかない・・・・。

「お前さぁ・・・いくら副長命とは言え、何助言を忠実に遂行してんだよ」

永倉が苦笑する。
別に副長の命令に従ったわけではなく、とっさに取った行動だったのだが、
自分の未熟な部分を他人に露呈してしまったと、思わず赤面する。
見つかったのが鈍い永倉で助かったと、内心ほっと溜め息をつく。
そんな様子に気付かず、いのりは永倉に歩み寄る。

「あの??助言?」

先ほどの永倉の台詞に疑問を抱いた様ないのりだが、それには答えず大きな体を丸め、
永倉はいのりの顔を覗き込んだ。
そして、泣いてすっきりしたわけでもないが、しっかりと確実に一歩踏み出したかのような、
少女の清廉とした瞳に満足そうに破顔した。

泣けば楽になることと、泣いても楽にならないことがあることを、永倉は知っている。

「そうそう、いのりちゃん。昼にはちぃーっと早いが、蕎麦でも食おうぜ。」

「でも・・・・」

言い淀むいのりの頭を撫でながら、永倉は説得するでもなく、明るく言い放った。

「こういう時は、食っとこうぜ。腹が減ると、気が滅入り易くなっちまう。
 んでよ、食ったらまた笑ってくれよ。いつもみたいに。」

いのりは思わず顔を上げ、永倉を見つめ直した。
晴れ渡った空色の瞳は、嘘偽り無く、本心からの言葉であることを物語っていた。
自分を哀れんだり、同情したりするわけでもなく、本当に心配してくれている、温かく優しいまなざし・・・・。

いのりは自然と体の緊張がほぐれた。

「はい・・・はい!!行きます!お蕎麦・・・食べに行きましょう!」

瞳を潤していた涙の欠片を指で拭うと、いのりは精一杯の笑顔を永倉に向ける。
それを見た永倉は満足そうに頷くと、体を反らし大声で笑った。

「そうそう!楽しい時は勿論、辛い事も笑い飛ばせる元気がありゃあ、もう怖いものなんかねーよ」

永倉につられて、思わず笑ってしまったいのりを見て、思わずなるほどと斎藤は納得した。
それに気付いた永倉は、いのりを石段へ促(うなが)しながら、にやりと斎藤を顧(かえり)みた。

「な、なかなかの采配だろ?
お前なら手癖の悪ぃ左之みてぇに、いのりちゃんに余計な事しねぇし、
総司や平助みてぇに余計な事言わねぇし」

原田や沖田らが聞いたら、憤慨する様な事をさらっと言う。

「そして、新八の剛健で誠実な心が、いのりの笑顔を取り戻す・・・
 おまけに疎いため、俺の失態には気付かない・・・・」

そう考えると確かに見事な采配だ。
しかしそうなると、斎藤は自分の情けなさにムッとした。
自分はいのりを泣かせてやる事も、慰めてやる事も、笑わせてやる事も、出来なかった・・・・。

「同じ泣き顔でも、いのりちゃんには、うれし涙の方を流して欲しいからなぁ」

ひとり言のように呟くと、永倉はいのりと共に石段を下りて行く。

いつも原田に、お前ばかりモテやがってと言いがかりをつけては、独り拗ねていた永倉。
だが、やはり亀の甲より年の功と言うべきか。
永倉が原田や藤堂達と騒いでいる時は、いい加減落ち着けと思っていたが、
いのりにとっては、斎藤よりよっぽど頼りになるではないか。
そう思うと、自分の未熟さが腹立たしい。

「夏目、新八の奢りだ。存分に食おう」

せめてもの腹いせに、斎藤は意地悪く、永倉達の後を追いつつ言い放った。

「ひ・・・・一人一杯までだ!」

顔を引きつらせながら振り返った永倉を見て、斎藤は多少の溜飲を下げたが、
それで自分の不甲斐なさが抹消されるわけでもなし。

「分かっている。冗談だ」

斎藤は永倉を追い抜き様に冷静に見返して、いのりを連れて蕎麦屋に入った。
だから斎藤は、自分の笑えもしない冗談の質の悪さに、愕然(がくぜん)とした永倉の顔など見てなかった。

とりあえず帰ったら、副長に心の中で恨み言を並べてしまった事を詫びなければ、と斎藤は生真面目に考えた。



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