小説置き場

□最中
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ああ、またこの夢。
一週間ぶりだ。
いつものペンギンたちとのお喋りじゃなくて、昔々の僕の記憶。
真っ赤で、うるさくて、爆薬と焼けた死体の臭いがして。
僕はもう何も見たくないのに僕の心が勝手に頭の中の一番嫌な部分を抉りだして繰り返し繰り返し再生するんだ。
僕はそれが苦しくて苦しくて。
辛くて、痛くて、気持ち悪くて。
怖くて、怖くて、怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて











「……っうあぁあぁぁああぁああ!!!」



突然響いた凄まじい悲鳴にガッと目を見開いた。
一瞬ここが戦場かと思って息が詰まり体が凍りついたけどすぐに違うと気づき見開いていた目をまばたいて大きく息を吐いた。
しばらくハアハアと胸を上下させベッドに全身を委ねる。
口内にたまった唾液を飲み込みながら額からつうと垂れていく冷や汗を拭う。
未だドクドクうるさい心臓を軍服の上から掴み、きょろりと目玉を動かすと凄まじいまでの部屋の惨状が映った。
ざっくりと切られたカーテンにひっくり返された本棚、何かを叩きつけて抉れたような壁。
下にはスピーカーの残骸が散らばっている。
部屋の状態をぼんやりと見やりながらゆっくりと体を起こすと急に体中が瘧のように震え始めた。
歯の根が合わなくなるほどの震えに驚き、体をちぢこまらせて大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせながら腕をさする。
ぎゅっと目を閉じて自分の体を抱きしめていると徐々に震えが収まってくる。
しばらくして完全に震えが止まり、ぼんやりと空中に視線を投げているとあの夢の凄惨な光景と凄まじい臭いが鮮明に蘇り涙が溢れ胃液が込み上げてきた。


「ぅえ……っ」
 

とっさに口元にやった手のひらで喉元にせり上がってきたものを押し込んで飲み下し、鼻から詰めていた息を抜く。
目を閉じて何回か胃液臭い息を深く吸うとだんだんと吐き気が引いていく。
口元を押さえたまま何かを求めるように瞳をさまよわせると遠くにちらりと洗面台が映った。



───薬──薬飲まなきゃ



条件反射のように浮かんだその考えに支配されて力の入らない足を床に付け洗面台の裏にある薬に向かって歩き出そうとするが、無理矢理に踏み出させた足は重さに耐えかねて崩れ腰砕けにべちゃりと転んだ。
もう一度立とうとすると今度は足に全く力が入らなくなりぶるぶると震え始める。
僕はふ、と息を吐くと床に腹ばいになり匍匐前進の要領で這っていった。
露出する手のひらに張り付く床の感触は昔這った砂利道より痛くなく、それよりもずっと冷たかった。



洗面台の縁に手をかけ気の抜けた様な足をどうにか膝立ちにさせて鏡に手を伸ばす。
震える足を踏ん張り鏡を開け、薬を取り出すと支えがなくなったかのように足が崩れ体がずるずると床に落ちた。
震える手で蓋をあけ、手のひらからこぼれるほど錠剤を出す。
気がはやり一気にほおりこむとざらりとした薬が唾液を吸って喉に張り付き僕は床に手をつきながらげほげほと咽せ返った。
生理的な涙が溢れ、口から飛び出た唾液の付いた錠剤が僕の下で白く濡れた薬の水たまりを作った。
それでもどうにか口の中に残った錠剤を吐き気と共に飲み下し、喉の違和感に咳き込んでいると前屈みになった僕の体からぶら下がってた軍服からナイフが滑り落ちた。
それはテラテラと光る白い水たまりの真ん中に錠剤を跳ね飛ばしながらカタンと着地する。
磨き上げられたその輝きに体が固まる。




爆弾の炎と銃声、焼けただれたぐちゃぐちゃな傷口と人の中身の臭い、転んだ僕に銃を向けた敵兵の恐怖の中に浮かんだ僅かな安堵とその指が引き金にかかった瞬間その体はお腹からぱっくりと開かれて悶え倒れて僕の体は生臭く赤黒い物体にまみれてその向こう側に赤いナイフを構えた仲間がいてそれも爆音が頭の上を通り過ぎるうちにもんどりうってうごかなくなって、ぼくをたすけたからうごかなくなって、ぼくがいなかったらしななかったわけで、ぼくがわるくて、ぼくがわるくて、わるくて、わるくて、わるくて、









「ごめんなさい」



そっと薬の中に沈んだナイフを持ち上げる。
 



「ごめんなさい」




これまで殺してきた人たちみんなに謝って。




「ごめんなさい」




刃先を手首に押し当てる。




「ごめんなさい」




これで、楽になれる?




「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさ」

ボタボタと冷や汗を垂らしながら震えるナイフの刃先を軽く沈め柄をしっかりと握り直して力を込め思い切り横に引こうと、


「やめろ」


ガッと手首を掴まれ反射的に振り返る。
そこには僕とそっくりな顔が悲しそうな表情を浮かべてしゃがんでいた。
ひくひくと痙攣しはじめた僕の手からナイフが離れ手首に赤い線を引いて落ちる。
それは落ちた刃物を向こうに弾き飛ばし、薬を踏み割りながら僕の正面に回り込んで僕を抱きしめた。


「お前は悪くない」

「悪いのは、俺だ」


耳元で囁かれた甘い言葉に、涙が込み上げる。
ああ、僕の、せいじゃなかったんだね。
仲間が死んだのも、あの人たちが死んだのも。
僕は堪えきれず彼にしがみついてしばらく泣き続けた。


散々泣き喚いて放心状態になった頃、優しく背中をさすってくれていた彼の手が前触れなく止まった。
そのまま立ち上がった彼を首を傾けて見上げるとふいにしゃがみこんで僕を横抱きにして歩き出した。
僕は腕を縮めて近付いてくるベッドを見やる。
途中映った鏡の中の泣きはらした目と虚ろな顔でふらふらと歩く僕の姿は見なかったことにした。


トサリ、と丁寧にベッドに下ろされ布団をかけられる。
僕はそのままうす暗い部屋の向こうに立ち去ろうとする彼の裾を掴んだ。


「ねぇ、僕が寝るまで、ここにいて…?」


泣きすぎて掠れた声で必死に問いかけるとふう、と息を吐く音がして彼がくるりと振り返り星明かりに照らされた月色の瞳を僕に据えて、ベッドの縁に座り込んだ。


「ここでいいか?」


僕はその問いかけに首を振り、彼の肩を掴んで引き倒し布団に押し込んで抱き付いた。
戸惑ったような気配とおずおずと背中に回される彼の腕。
嬉しくてふふふと笑うとさらに強く抱きしめられ僕と彼の体が密着した。
僕の匂いがする。
温かいその体に頬を寄せて、僕は目を閉じた。
まどろむ中で閃いた一人だけの僕を映し出していた鏡は、銀色の破片を飛ばしながら割れて消えていった。












(僕は認めないよ、君がいないなんてこと)



(あれはきっと、嘘なんだ)

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