小説置き場2

□Gestalt womb
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「僕は死にたいんだ」

何度目かの言葉を目の前の存在に呟き、深くため息を吐いた。手錠を柵に絡ませて腹の上へのしかかっているけど、そんな必要もないだろうに。僕の全身には粘着質な薄黒い澱が絡み、身じろぐ度にねちゃねちゃと音を立てる。汚臭がしないのが救いだ。

「死んでしまって、意識を閉じて。そしたらきっと僕は救われる」
「……」
「だからお願い、これを外して」

僕に覆い被さった影がゆらり、と揺れた。頭らしき場所からどろりと澱が垂れ落ちて、僕の頬を伝った。ねっとりとした感触に顔をしかめる。

「お前は死んでも救われない。また目覚めて、更に苦しむだけだ」
「だからって、何で今死なせてくれないの?次に目覚めるまでは忘れられる。僕は今すぐ楽になりたいのに、」

艶のない表面から分泌される澱は僕が話す度に量を増し、ぼたぼたと垂れ落ちる。そいつは溺れそうな僕の鼻と口を乱暴に拭った。反射的に息を吸い込み、すぐに吐き出した。生理的な涙に歪む視界で、口らしき部分が糸を引きながら開く。

「お前、どうして俺を作った?」
「わからない。あの時の僕はきっと、どうしても生きたかった。……もう、死んでしまった方が楽なのに」
「……」
「家族も、仲間も、責任も。僕を繋ぎ止めるものはもう全て失ってしまった。気付いたのは、この街に来た後だった。本当に、地獄だ……」

影の塊から鋭い視線が刺さるのを感じて、僕は強く目を閉じた。それでも口だけが、滑らかに言葉を紡ぎ続ける。

「あの頃を思い出して、僕は人を殺す。それでも僕と遊んでくれる子どもたちがいる。僕を気にかけてくれる人も、治療してくれる人もいる。重ねすぎた罪の重さが、ここではもうわからなくなった」
「………」
「お願いだ。僕を解放して。早く殺して、楽にさせて。もう耐えられないんだ。そうだ、そうだね。君の意味も存在もきっともう、」

突然ばちんと音が鳴った。自分の頬からだと気付いた途端、ひりつく痛みが込み上げてくる。ひくっと息を飲み、呆然と目の前の塊を見上げた。今までこんなことはなかったのに。影の塊の表面で、澱が渦巻いている。

「……どうして?」
「………うるさい」
「…なんで?僕は、僕の中でさえ本当の気持ちを話しちゃいけないの?ほしい言葉を祈るのは悪いことなの?」
「黙れ。戯言はいらない。もう、飽きた」

地を這うような唸り声が確かな存在感を持って僕の腹を揺らす。全身に纏わり付く澱と手錠が蒸発すると同時に、目の前の存在が急速に形を取り始めた。

「お前は俺の存在を否定した。俺は俺の存在意義を自分で作り上げる。俺はもう、お前に捕らわれない」
「な…に……?」

声が震えた。目の前の≪僕≫が別の存在に変化しようとしている。自らの羊水に包まれた自堕落な鬱と自殺の中で明確に生まれた、他者のそれ。この塊は、一体なんだ。拒絶感と吐き気を飲み下し、咳き込んだ。僕を見下ろすそれはもうほとんど人間の形になっている。

「そうだ、俺は俺でいい。俺は、俺のしたいことができるんだ」
 
喉元に込み上げるこれをたずねてしまえば、完全に分離してしまう。本能で察して、ないはずのへその緒をたぐり寄せるように腕を掴んだ。ぬちゃり、指先が澱に沈み、直後紛れもない人間の肌の感触がして鳥肌が立った。背筋を走る怖気に思わず、口からそれが転び出た。

「お前は、誰だ?」

瞬間、そいつの全身からばしゃりと澱が飛び散り反射的に目を閉じた。液体を払い見上げた先で、そいつはゆっくりと目を開いた。僕と同じ姿と顔の中、瞳だけがギラギラと金色に光る。

「俺は俺だ。今、俺になった。ありがとよ、フリッピー」

片頬を吊り上げた狂気的な笑みを浮かべたそれは僕の腹に両手を突っ込む。ぶちり、僕の中で音がして腹の上の重みがふっと離れた。暗転していく視界の中で伸ばした手は、何も触れずにぱたりと落ちた。

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