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少し心を落ち着けたくて、ふぅ…十束が息を吐けば、何かを感じ取った夾架は十束の背中を、子供をあやすかのようにポンポンと叩いた

『…多々良、あたしはへーき。へーきだから、そんなに心配しないで』

夾架はそう言うが、本当は平気じゃないのは分かっていた
少なくとも今朝までは平気だった
しかし、夾架の心に変化が起きている

夾架の心の中は、悲しみと苦しみでいっぱいいっぱいで、何があったのかは分からないが、平気なはずがなかった

「へーきじゃないでしょ。……何か、あったんだよね」

本の些細な心情の変化ですら、十束は見逃さなかった

『何にもないよ。今解決したよ』

「嘘。俺には分かるよ。もっと甘えて?聞かせて欲しいよ。お願いだからこれ以上、抱え込まないで…」

『…………多々良はめざといなぁ』

まだ自分でもよく分かってない事だから、キチンと心の中で整理をつけてから話そう、と思っていたのに、そんなもの十束には全く通用しなかった

どうやら夾架が話してくれそうな雰囲気なので、抱きしめたままの夾架を解放しようとすると、夾架は首を左右に振った

『ずっと抱きしめてて。もっと強く、離さないで…』

「わかった、離さない」

十束に抱きしめられるととても心地よくて、ずっとこのままでいて、苦しみを忘れたかった
そうでもしていないと、とても話せそうになかった

お互い身を寄せて、体温を感じて、心地良さに浸って、少しの沈黙を置いた後、夾架は言葉を発した

『…あたしは、記憶喪失なの。17歳から18歳にかけての丸1年の記憶があたしには無い。当時実験で戦ったストレインの能力の影響で失ってしまったの』

「……そっか」

初めて聞いたことだけど、特に十束が突っかかることはしなかった
前々から知っていたかのように受け流して、次の夾架の言葉を待つ

『記憶を失っているその間、何があったのかは分からない。思い出そうとすると頭が痛くて痛くて、それで何も思い出せなくて、思い出したら辛いのはわかってるから、思い出さなくてもいいのかなって思ってる。でも、何かが、引っかかるの』

十束の背に回す夾架の手に力がこもり、十束の服が握られた
と思ったら、夾架が震えていることに気づいた

それでも十束は何も言わずに夾架の背中を優しくさする

『……最近ね、よく、夢を見るの…。あたしの知らない、きっと忘れてしまった過去の夢……、リアルで痛みも鮮明で、目を覚ますとね、夢を見たことは覚えてるんだけど、内容が詳しく思い出せない。あたしに思い出させようとしてるみたいで凄く怖いの…。
それとさっき、記憶がある昔の事も思い出した。あたし、自分の血見て喜んで生を実感してた。でも今じゃ血を見るだけで怖い。
色々思い出すけど、もうこれ以上は何も思い出したくないよ……』

寝室に響くのは夾架の声だけ
その他の音は何も聞こえなくて、だからこそ夾架の声に込められた思いも良くわかる

夾架は顔を見られたくなくて俯いているから、十束は視線の先の壁をひたすらに見つめる

夾架の言葉が途切れたので、終わりなのかと見受けられるが、まだ言いたいことが残っているのが分かる
だから急かさずに気長に待つ事にした

『……っ』

「大丈夫。ゆっくりでいいから、話してごらん…?」

今、躊躇ったのも分かる
これだけ近くにいて、互いが互いを思っているのに、今夾架がどんな事を考えているのか、分からないわけがない

『……あ、たしっ…』

夾架の声は酷く震えていてか細かった

『…生きてちゃ、いけないのかな……』

「…………」

『あたしみたいな化け物、死んだ方がいいのかな…?』

「どうしてそう思うの?」

『そう、言われたことが、あるから…」

夾架が心を閉ざすきっかけとなった言葉
今でもその時の事をハッキリと覚えてる
ずっとずっと、そのことについて考えてはいるが、答えを自力で見つける事ができないので十束に問う

十束ならきっと、こう答えるだろうというのは分かってはいるが、その言葉を口にして救って欲しくて、甘えているだけ
でも、もうは自分ではどうにも出来なかった

今まで1人で抱え込むばかりで相談してくれず、頼ってくれなかった夾架が、こうして頼ってくれることが純粋に嬉しかった
もちろん夾架が欲している言葉も分かる

夾架が話そうとしている内容が分かっていたから、答えを合わせて考えたわけではない
夾架がどういう問いかけをしてきても、かけてあげる言葉はいつだって決まっている

「夾架は化け物なんかじゃないよ。どんなに強い力を持っていても、可愛くてか弱い女の子だよ。
だから、死ななくていいんだよ。もう夾架の好きなようにしていいんだよ。
俺夾架の事大好きだから、夾架がいなくなったらホントに困っちゃう。
それでもその命がいらないって言うなら、俺にちょーだい?
過去の事なんて考えられないくらい俺に夢中にさせてあげる、俺が必ず幸せにしてあげるから」

ね、悪くないでしょ?
と十束が言えば、たちまち夾架は泣き出してしまう
ポロポロと静かに涙を零し、十束の肩口をどんどん濡らす
涙を拭ってあげようかと思ったが、離さないでと言われていたので、十束も夾架と同じように肩に埋めた

「記憶を取り戻すのが怖いなら、無理に戻そうとしなくてもいいし、失って空っぽなら違うもので埋めればいいし。だからこれからはもっと色んなとこに遊びに行って、沢山思い出作ろ?」

いつも以上に優しい十束の声は、夾架の心を温め、氷を溶かしてくれる
十束の紡ぐひとつひとつの言葉に、嘘の色なんて見えなくて、自然と信じ込む事が出来た

だからこそ、十束の存在が必要なんだ

夾架は自ら腕の力を弱め、少し十束から離れれば、十束も腕の力を緩めた
それから軽く涙を拭い、鼻をすすってから顔を上げた

『……多々良、ありがとう』

夾架はほんのりと頬を赤く染め、ふわりと自然に笑って見せた

そんな夾架の笑みを見て、十束は驚いていた
夾架のこの笑顔は偽りなんかじゃない、一切の無理のない自然な笑顔、初めて見たかもしれない
この子は、こんなにも美しく笑えるんだ。と、ついつい十束は見とれてしまった

『多々良?』

「……えっ、あ、なに…?///」

『もう、聞いてた?』

「き、聞いてたよ!///」

いきなりボーッとしてしまうものだから、具合でも悪いのかと思ったがそうでもなさそうなので自己解決した
だが必要以上に頬を赤くしていたので、変なの。と思いながら夾架は十束の頬に両の手を添えた

それから額と額をくっつけて、夾架は至極穏やかに話し出す

『多々良大好き、愛してる。多々良になら、あたしの全部をあげられる。だからきっと幸せにして?あたしも、多々良のこと幸せにできるよう頑張るから』

「…きっとじゃなくて、必ず幸せになるんだよ」

『そうだね、多々良の言う通りだね。多々良となら不可能な事も可能に出来る気がする。こんなあたしだけど、これからもよろしくね』

「こちらこそよろしく。夾架、愛してる」

『あたしも……』

名残惜しくも離れ、互いに見つめ合い、そしてまた近づく
今度は唇と唇を合わせ、離れてはキス、また離れてはキスの繰り返しで、フレンチなキスからやがてディープなものへと変わっていき、飽きることなくキスを繰り返した

もう離したくなくて、離れたくなくて、息が続かなくなってキスをやめた後も、ずっと抱き合って、愛を確かめ合って、幸せな時を過ごした



過去の自分からしたら、こんな幸せがあるなんて思わなくて、
考えること自体、怖くてできなかった

確かに今でも怖い
でも今は、ここにある確かな幸せが無くなる事が想像できなくて、
きっといつまでもいつまでも、こんな時が続くんだと思う



だから過去に囚われるのはもう辞める。
多々良が、忘れさせてくれるから、もういいの。


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