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その日の夾架は非常に上機嫌だった
体調も日に日に良くなっていき、今日は最近の中で一番良かった気もする

久々に、1人で街へと繰り出した
出かけたい。といった夾架を、十束も草薙も特に心配することなく送り出した

何かあったらすぐに連絡をすること。という条件付きでだが

好奇心旺盛なのだ
気分が良いこともあり、それから、また何かを感じ取り、施設から逃げ出してきて、セプター4の男と戦い、八田伏見と初めて出会った、あの路地裏へと足を運んだ
実に、3度目である

ーあぁ、やっぱり何もないか。

路地裏に入ったのはいいが、特に何かあるわけではなかった
何もない平和が一番なのだが、珍しく勘が外れ、そんなこともあるのだと思い、少しうなだれていた

だが、いつもよりシンとしていて、冷たい空気が張り詰めていて、逆にそれがおかしく思えた

やはりなにかあるんじゃないか
そう思ったが、面倒ごとに首を突っ込まない方がいいと判断し、夾架は踵を返し、表の通りに戻ろうとした

「お嬢ちゃん。こんなところで何をしているんだい」

元来た道へ戻ろうと振り返った瞬間、背後に気配を感じた
いつのまに。と思い、振り返ろうとすると、首筋に冷たいものがあてがわれるのを感じた
それがなにかなんて、見なくてもわかる

小ぶりかと思いきや、そうでもないナイフ
やけに冷たく感じて、背筋がゾッとした

『…っ。あたし、お嬢ちゃんって歳でもないんだけど…?』

「冗談だよ。九乃夾架。赤のクランズマンがこんなところに何の用だ」

『鎮目は吠舞羅の街だから、あたしがここにいても可笑しいことはないはずよ。まあ、特に用事はないわ』

「赤の王は一緒じゃないのか」

『王は今は一緒じゃない。お望みどおり出て行くから離して』

訳も分からずナイフをつきつけられ、これは危険だとすぐに判断した

吠舞羅が頂点に立つ鎮目町。そこを統括しているのも吠舞羅
鎮目町内で何か良くないことをしでかそうとしているなら、吠舞羅が許すはずがない

しかし、下手に首を突っ込んで、面倒ごとに巻き込まれるのだけはごめんだ
それこそ、他のメンバーに迷惑をかけてしまう

だから大人しく引くことにし、夾架は背後にいる男にその意思を伝えた

だが男は、首筋にあてたナイフを降ろすことも、喋ることもしなかった

何がしたいのか、全く分からなく気味が悪い

『どういうつもり…?』

見ず知らずの他人に力を使いたくはないが、物体を通じてだが男が自分に触れているので、ほんの少し意識をするだけで、男の心情を読み取ることができた

繋がったわけではないので、ほんの僅かにしか情報は流れてこなかったが、薬物取引。という、これから男がしようとしていることが浮かんだ

人目につきにくい此処は、薬物の受け渡しには最適だ

流石薬物関連を見逃すことはできない
しかし、未だに男は反応を見せない。
それどころか段々とナイフが首筋に食い込んできているのが分かる

ツプリと肌が切れる感覚がして、慌てて夾架は飛び退いた

『……っ!!』

飛び退く際にも、ほんの少しだけ肌を裂かれた
幸い深くはないため、血は少ししかでなかった

男と距離を取る
そしてそこで、はじめて男の姿を見た
男は2人だけだ

まずナイフを手にしている時点で、この男らは夾架を逃がそうとはしていない
おそらく殺す気でいるだろう

逃げるか、戦うか
選ぶべきは後者

どちらか悩んでいる時
その一瞬の気の抜けが、危うく命取りになるところだった

ナイフが空気を裂く音が聞こえたすぐ後、右腕に痛みを感じた
パタパタと辺りに飛沫が飛ぶ
それはとても赤く、腕を伝い、地面を汚す夾架の血

『う……っ…』

己の血を見た途端、身体がビクリと一際大きく跳ねた
それから、身体が小刻みに震え始め、傷口からすぐに目をそらした

「自分の血がそんなに怖いか?」

男の問いかけに、再び身体をビクつかせ、震える手で身体を抱き込んだ

ーなんであたし、こんなに震えてるの…?

全くといっていいほど言葉が出てこなくて、声が出なくて、体内に空気を送ることで精一杯で、何かに怯えているようだった


ーーーーー

「おい!何している!?早くやめさせろ!!」

『やめてっ!!触らないで…嫌ぁ!!!』

カラン。夾架の手から、ガラスの欠片が落ちる
バレないように、監視がいない時を狙って事に及んでいたはずだった
毎回毎回、左手首に不自然な傷が増えていき、研究員ももしやと思い、厳重に警戒を強めた矢先のこと

夾架が自分で自分を傷つけているのを知られてしまった
それからは、常に監視がつくことになり、それでも夾架は目を盗んでリスカをしては、とめられ、治療を受けてきた

何度も何度も繰り返して、最初は1回だけやるつもりだったのに、手遅れで、やめられないものとなってしまった

「どうしてこんなことをするんだ」

『……………』

「こんなくだらないこと、いい加減辞めたまえ」

『………………』

「口も聞けないのか」

『……………いっつ』

気が短かったり、温厚な性格ではない研究員にほんの少しでも逆らったり、気に触ることをするだけでこれだ
頬に鈍い痛みを受け、ろくに食事をとっていないやせ細った夾架の身体はいともたやすく床に倒れる

それから、腹などを思い切り蹴られ、身体中が痛みに悲鳴をあげていた

ー自分で傷つけるのはダメなのに、こうやって他人に傷つけられるのはいいの…?

言いたいことは山ほどあるのに、それを発言する権利なんてなくて

でも、仕方がなかった
こうして自分を傷つけ、痛がることでしか自分を制御できなくて、やめられるわけなかった

リスカの原因を話したって、力を制御するためにもっとたくさんの実験をさせられたり、薬の効力を強められて副作用に苦しんだりするのなんてごめんだ
だったら、リスカの方がマシ

異常だ、なんて言われ続けてきた
だが真っ赤な血を見ると、なぜか落ち着き、自分もちゃんと、人間として生きているのだと実感できた


ーーーーー

フラッシュバックの如く、昔の記憶が蘇り、夾架の視界をくらませた

血を見ると落ち着いたはずなのに、今では恐怖要素にしかならなくて、どうして。と出かかった言葉が、口から発せられることはなかった

ジリジリと近づいてくる男から、懸命に逃げようとすくむ足をなんとか動かして後ずさっていたが、背が冷たい壁にあたった

2人に壁際まで追い詰められてしまい、この路地裏からは逃げられそうになかった

スッと伸びてくる男の手
振り払いたいのだが、あまりの恐怖心に夾架は動けなかった。
男の手は、夾架の頬を優しく一撫でする

何をするのかと思い、固唾を飲んで身体を強張らせる
下手に動けば殺される
ぎゅっと目を閉じ大人しくしていた

「吠舞羅の九乃夾架がどうしてこんなになっている。…しかし、いい女だな。殺してしまうのはもったいない。売りに出せば良い値がつきそうだ」

「どうする、余り時間がないぞ」

「わかってる。よし、選ばせてやるか」

夾架の事を、頭の上から足の先まで、鋭い目つきで品定めをするように見ていき、男は興味深そうに口角を釣り上げた

触らないで、のたった一言も言えず、夾架は唇を噛み苦痛に耐えている

親指と人差し指でくっと顎を持ち上げられ、元々体内に取り入れにくかった酸素が更に入ってこなくなり、喉がひゅっと鳴った

「よく聞くがいい。このままここで我々に殺されるか。それとも、その手の者にお前を売るか。強い能力を持ち、これほどまでの容姿を持つのなら、買い手はたくさんつくだろう。さあ、どちらがいい」

殺されたらもう二度と十束や、吠舞羅の仲間に会えない
今までは、その命を絶つことを望んでいたけど、今は生きたいと懸命に望んでいる
売られてしまったら、どんな風に扱われるかはわかりきっていて、それじゃあ昔と同じことの繰り返しだ

ーそんなの、どっちも嫌…。
誰か…誰か…助けて…多々良…っ。

「早くしろ。答えられないのか。その口は飾りか」

『……あっ、…うぅ…』

口をきかない夾架に腹を立て、痺れを切らした男は、頬を撫でていた手を首元へと伸ばし、細い首へと力を加えた。
片方の手では足りず、両の手で夾架の喉元を閉め、空気の通りを遮断する

薄く取り込んでいた空気が今度は入ってこなくなり、夾架は苦しさに抵抗を始める
男の腕を掴み、何とか離そうとするが、段々と強まる力に、全く太刀打ちできなかった

まさかこんなところで首を絞められて殺されそうになるなんて
苦しくて、苦しくて、生理的に涙が浮かんだ

この苦しみには覚えがあった

ーーーーー

「いい加減にしないと殺すぞ」

『う…くっ、う、……や、め…て…っ』

いつまでたっても力が制御出来なくて
一生懸命やっているけど出来なくて
そろそろ呆れられるということは予知していた

施設内で研究以外の目的で、夾架に手を出すことは禁じられていた
だが夾架はそんなこと知らなくて、自分が悪いから、首を絞められて殺されかけているのも仕方ないと思ってしまった

いつまでたっても未熟のまま
これなら、死んでしまった方が楽

呼吸が出来ず時間がどんどん経っていき、身体の力が抜けていき、もうダメかと思った

しかし、夾架に用があり訪ねてきた研究員に見つかり、なんとか夾架は助かり、その男はウサギによって記憶を消され、施設から姿を消した

その研究員にはたくさん暴力を振るわれてきていたので、その男が解雇されたという知らせを聞き、もう暴力を振られることがなくなると安堵したが、その男が
”お前みたいな化け物、死んじまえばいいのに”
そう言い残して去っていった

その言葉は夾架の心に深い深い闇を落とし、夾架が完全に心を閉ざす原因となり、リスカの回数も増え、傷を深くつけるようになったり、酷く変わってしまった
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