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ーーあれ、あたし、生きてる…?
殆ど苦しくない…
あの後どうなったんだっけ……
日の位置からして明け方から正午の真ん中程の時間だろう
昨晩からの現実、精神世界の記憶が共に曖昧だ
草薙は帰ったのだろうか
研ぎ澄まされた力を持ってすればいとも容易く知ることが出来る
どうやらこの家のキッチンで料理をしているようだ
『うどん…』
瞬時に頭の中がうどん、という単語に埋め尽くされる
なにうどんだろうと頭の中で問えば、かきたまうどんという応えが返ってくる
昨日はあまりの体調の悪さに食事の摂取が困難だった為に水分しか摂っていない
今なら食べれそうだと思った
体を起こした時に、左腕に絆創膏が貼られている事に気がついた
身に覚えがなかったので、すぐに絆創膏を剥がしてみると、僅か1mmにも満たない傷があり、微かに血が滲んでいた
『薬か……』
巨大な波に攫われ沈んでいくところで急に浮遊し、楽になった理由が漸く理解出来た
それと同時に、なんて説明しようかと草薙が悩んでる事に気付く
『別に怒らないからいいのに……』
掛け布団を折りたたんでベッドから脚をおろして立ち上がる
そこまではなんの問題が無かったのだが、歩きだそうと1歩踏み出して異変に気づく
脚に力が行き渡らず、膝から冷たいフローリングへと崩れ落ちた
『いってて……脚がっくがく……』
予期せぬ転倒は思ったよりも痛みが伴った
想像よりも体力の消耗が激しいようだ
ドン、という転倒による大きな音を聞いた草薙が慌てて部屋へとやってきた
「夾架!?」
『あははーごめんごめん、歩けなかった』
「無理せんといてやー……」
草薙の顔には必要以上に心配が色濃く浮かんでいた
そんな草薙を見て宥めるように夾架は微笑を浮かた
『ごめん、でも薬のおかげで少し良くなったよ』
「……夾架」
『ん?なに?』
「すまんな……」
手を借りてベッドの端に腰掛けて、夾架は首を傾げて草薙を見るも、草薙の視線は夾架の左腕へと向けられていたので交わらなかった
『なんで謝るの?謝る理由あった?』
「なんちゅーか、その……」
相変わらず視線を合わせようとはしない
組んだ腕を組み替えたりとはっきりとしない草薙は中々見れるものではない
夾架は軽く息を吐き出して目を伏せた
『どうしてあたしのこと信用してくれないの?仲間なのにコソコソこんなことしてひどい』
そう言って顔を上げて見ると、草薙は切なげに眉根を寄せていた
夾架はしてやったぞというイタズラな笑みを浮かべ、長い脚を組んで、 上にした右足を、足首を視点にブラブラと遊ばせた
『って言うと思った?』
唐突な夾架の言葉に草薙はポカンと口を開けて慌てて顔を上げて、騙されたこと気づいて肩を落とした
「いや、まぁ、傷つけてまうよなって……」
『あたしなんとも思ってないよ。むしろ感謝してる。こんな不安定な力なんてさ、絶対信用しない方がいいよ、現に暴走してるし。薬のおかげでほんとに楽になったから、2人は正しいことしただけだよ。だからありがとね出雲さん』
「せやけどなぁ…」
怒られる覚悟をしていたのにその正反対に礼を言われてしまい正直戸惑っていた
その言葉に甘えてしまって本当にいいのだろうか
夾架的には一刻も早く罪の意識を忘れて欲しかった
見当違いの謝罪なんて逆にこっちが悪い気がするし、気まずくなるだけだ
『かきたまうどん、今なら食べれそうだなー』
夾架がこの気まずさの打開策として、作りかけのうどんを要求すれば、草薙は眉間に寄せた皺を解いた
「あと麺茹でて卵溶くだけやから待っとき」
『うん!!』
大丈夫、ちゃんと分かってるよ。
そう思いながら、部屋を出ていく草薙の背中を見つめた
草薙がああなっているということは、恐らく十束も同じように気に病んでいるだろう
端末で十束に電話をかける傍らで、体温計も手に取って脇に差し込んだ
『あ、もしもし?』
「夾架!?夾架!!?へーきなの!?無理してない!?無理して電話くれなくても大丈夫なんだよ!!?」
『おはよ、多々良』
「あ、おはよう…」
電話の向こうで十束は酷く驚いていた
その驚いた様子に驚かされたが夾架はフランクに朝の挨拶を告げる
あまりのフランクさに十束は我に返って挨拶を返し、端末を少し離してゆるゆると息を吐く
オーバーすぎる慌てっぷりと、久しぶりでもないが久しぶりに聞いた声に愛おしさがこみ上げてくる
ふと電話の向こうが賑やかであることに気がつく
それも数人の話し声ではなく、十束とは無関係であろう大人数の和気藹々とした話し声に陽気なミュージック
バーではないことは確かだった
『後ろが随分と賑やかだね、何処いるの?』
「あーえっと、遊園地。穂波センセーの姪っ子を今吠舞羅で預かってるんだ。ごめんね、夾架が苦しんでる時に」
櫛名穂波、夾架もよく知っている
周防と草薙が通っていた高校の教師
何度かバーに呑みに来ていた物腰柔らかな大人の女性だ
それと、施設を抜け出した次の日に草薙が持ってきた着替え一式を用意してくれたのは穂波だった
同世代の女の子の知り合いも沢山いたが、そんな子達に女の子の着替えを一式用意して欲しいとはとても頼みずらかったので、いくつか歳も離れた穂波なら訳も聞かずに、変な誤解をされることなく頼みを聞いてくれるだろう、という事らしい
何度も話したことはあるが、姪っ子がいるなんて話は聞いたこともなかった
櫛名穂波先生の姪っ子…
櫛名……くしな…
多くいる苗字じゃないと思うが、何故だか別の所で聞いたことある気がした
それは後々考えるとしよう
『そーなんだ、そんなんで怒るほどちっちゃくないって、さんちゃんじゃないんだから』
頭に浮かんだもんやりとした何かを、六角形のサングラスをかけた坂東の顔を思い浮かべて隅に追いやった
「具合は?」
『お陰様で、ありがとね』
「…何もしてないよ」
『薬』
その話題を触れば十束の声のトーンが明らかに下がった
だがあくまでも自分からは触れないつもりなのか、間髪入れずに薬と言えば更にトーンが落ちた
やはり心配していた通りだった
「あぁ…うん……ごめん」
『さっき出雲さんにも言ったんだけど2人は正しいことしたよ。責めたりしないから気にしないで』
「……わかった」
宥めるように優しい声色で言えば、草薙よりも早く十束は形上は納得をしてくれた
本当に納得したのかは今はわからないが
2人共心配しすぎだ
周防くらいドライでいてくれればいいのに、と思うも、結局は自分のせいなので困り果てていると体温計がピピピと音を立てた
明らかに昨晩よりも早く計測が終わったので素早く取り出した
『今熱測ったんだけど38.2、だいぶ下がったよ。体も随分楽になった』
「そっか、ならよかった」
38度の熱も決して楽ではない筈だが、43度の熱を経験しているのでどうってこと無かった
『だからあんまり自分のこと責めないで?あたしがこんな風にならなかったら多々良が傷つく事なんてなかったのに、ごめんねほんとに。今度お詫びするから許してね?』
「夾架もだよ、自分のこと責めすぎないで。夾架が悪いわけじゃないんだから」
本当にそうなのだろうか
この暴走は紛れもなく力の持ち主である自分が悪いと思っていた
力に翻弄され、正常な思考までもが奪われつつある
今は、第三者だが自分の次に力に理解のある十束の言葉を信じてみようと思った
『……うん、そうだね。とりあえずもう少しなんとか頑張ってみる。…もしもの時は任せたよ』
「わかった。夾架なら大丈夫って俺は信じてる、必ず収まるよ」
『……信じてくれてありがとう』
薬の件も信用されてないと思ったわけではない
しかし暴走を起こしてしまったので、大丈夫じゃないと信用されなくても可笑しくはない
にも関わらず信じてくれていることが嬉しくて、思わず涙が滲んだ
『…ごめん。とにかく、遊園地楽しんでね』
「はーい、じゃあまた体調良さそうな時連絡して?くれぐれも無理はしないでね。あとほんとにヤバいってなった時もすぐだよ?」
『もちろん、それじゃあね』