桜雨

□待ち人、ここに在り
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「………」

すぐ目の前に、お前がいる気がした。









「どうしたんですか、十代目」



手が止まったオレの目の前のデスクに、ことり、コーヒーの入ったマグカップが置かれる。


「あ…いや、別に…」

「……、骸のことですか?」


隼人に見つめられながらされた質問に、苦笑してそっと目を伏せた。


「……うん」






骸があの抗争の中で居なくなって、もう二ヶ月ほどが経とうとしている。


あの日の記憶は、あまり定かではない。

オレを突き飛ばした骸の手の感触。
骸の血の色。
力の抜けたてのひら。
交わした約束。
微笑み。
声。

どれも、苦しくなるほど鮮明に覚えているのに、どうしても切れ切れのシーンしか頭には残っていなくて。
ようやく記憶が繋がるのは、骸が”消えた”後からだ。

突然現れた白蘭が何かをして、辺りを光が包んだと思ったら、次の瞬間そこに骸は『いなかった』。
代わりに力尽きたように白蘭が倒れ、ひとまず辺りの敵を倒してから駆けつけたユニに大まかな話を聞き、白蘭をジェッソに引き渡し。
そうこうしているうちに、ヴァリアーの活躍によって、抗争はボンゴレ側の勝利で終わった。


もう、あれから二ヶ月が経っているのだ。
頭では、そうわかっているのだけれど。


「……十代目」


隼人が、ためらいがちに声をかけてくる。
目の前に置かれたマグを手にとって、目を伏せたまま口を開いた。


「…おかしいよね」

「……」

「今すぐにでも、骸がここに顔を出しそうな気がしてる」


ふと窓の外を見やれば、カーテンの隙間からちょうど桜の大木が見える。好んでいたはずのこの執務室の場所が、今は恨めしくて仕方ない。


表向き、骸は長期の任務に出ていることにしてあった。
それは、骸ならばその理由が一番妥当であることと、もうひとつ--------もしも帰ってこなかった場合、遺体がここになくても怪しまれないように、だ。


抗争から数週間後、ようやく目を覚ました白蘭から聞いた話は、シビアなものだった。

生きた人間をパラレルワールドへ飛ばすなど、犯してはいけない禁忌だ。
上手くあちらへ飛ばせた可能性は良くて五分五分、さらに向こうで助かるとも限らないから、生きてまたこの世界に帰ってくる可能性はかなり低いとのことだった。



わかっている、ボスとして、骸は切り捨てるべきなのだと。
一刻も早く、霧の守護者を正式にクロームに継ぐべきだと。


でも、それでも。



『次に会うときは、あそこで』



その言葉が、どうしても、捨てきれなくて。


窓の向こうには、緑を湛えた桜の木。
あの時、抗争へ出向く直前に二人で見た薄紅はそこにはないけれど、それでも。



「……ねえ、隼人」

「はい」

「あと、少しだけ……信じててもいいかな」


ぽつりと、呟いてみる。


あと、少し。
もう一度、あの木が薄紅に染まるまで。


それが許されないことだとは、承知の上だ。
ボンゴレは未だ、混乱から抜け出せていない。本来、悠長に待ってなどいられない状況だ。それは、リボーンからも何度も聞かされた。

この二ヶ月、忙しく動く傍ら、ずっと考えてきた。何度も、骸の死を覚悟しようとした。けれど。
あの骸が死ぬわけがないと、確かに心のどこかで思ってしまうのだ。


「骸は、きっと、生きてるんだ」

「……十代目…」

「ごめん隼人……オレは」


強く拳を握って、隣に立つ隼人へくっと視線を上げる。


「オレは、諦めたくない」


オレが諦めたら、もう二度と会えない気がして。

また、会いたい。
それだけの、まっすぐな、素直な気持ちを、持ち続けたい。


隼人はやがて、ふっと笑みを零した。


「十代目」

「……」

「忘れないでください。俺達のボスは、紛れもなく、貴方です」

「…うん」

「だから…貴方がそう願うのならば、俺達は全力でそれを支えます」

「……っ」


その言葉に、胸を掴まれたような気がした。


「…それに、実を言うと俺も」

「?」


隼人が、ほんの少し照れ臭そうに目線を下げる。


「思えないんすよ、あの骸が死ぬとは。あいつの悪運はピカイチですし、それに…」

「それに?」

「………あいつも一応、ファミリーっすから」


隼人が体(てい)を気にせず話す時だけ見せる、どこか中学時代を思い出すその声に嬉しさが溢れて、思わずふふっと笑いを漏らした。


ファミリーだから。

きっと、隼人だけじゃない。大切なファミリーで、沢山の戦いを共にした、戦友。
だからこそ、どこかで生きているかもしれない骸を、見捨てたりできなくて。


「…ありがとう、隼人」

「……」

「でもね、ボンゴレのことを考えると、やっぱりいつまでもってわけにはいかないだろう? だから、タイムリミットを決めようかなって思うんだ」

「…いいんですか?」

「うん。…来年、あの桜が満開になるまで。あいつとの、約束だからさ……どうかな」

「……もちろん賛成です」

「良かった」


ためらいながらも賛成してくれた隼人に、明るく笑って見せる。


あの、桜の木の下で。
そう言った骸は、きっと、満開の桜を夢見ていた。
だから。チャンスを、もう一度だけ。


ガタリと席を立って、窓際へ歩んでシャッとカーテンを開ける。
そのまま、危ないと慌てて止める隼人を無視して窓も開ければ、舞い込む風と微かな青い薫り。

その向こうに佇む大木を見つめて、その向こうにあるであろう世界に向かって。


「……待ってるから、骸」


そう、笑いかけた。









交差することのない世界は、それでも繋がっていると、信じるから。

だから、サヨナラには、まだ早い。


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一般的に「待ち人」というと「来てほしい人」ですが、「待っている人」の意味もあるそうです。

 

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