長編

□參
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 「まあ、平家・瀬戸内海と云えば、中世に於ける怪奇談の宝庫ですね。普通は落ち武者伝説やら蟹やらで落ち着くんですけど。一番有名なのは…『船幽霊』でしょうか」
 「ああ、あの、¨柄杓[ひしゃく]を貸して下さい¨っていうヤツでしたよね?海で出る」
 「そう、それですよ。『今昔続百鬼』の晦、¨西国または北国にても、海上の風激しく浪たかきときは、波の上に人のかたちのものおほくあらわれ、底なき柄杓にて水を汲事あり。これを舟幽霊といふ。これはとわたる舟の梶をたえて、ゆくえもしらぬ魂魄[こんぱく]の残りなるべし。¨、『桃山人夜話』¨西海にいづるよし。平家一門の死霊のなす所となんいひつたふ¨――と云う…」
 「…ちょっとそこまでは知りませんが、ね。素直に杓を渡せば、それで海水を船の中に汲まれてしまい沈没。拒否して渡さなかったら海が荒れ転覆。助かるには<底の抜けた柄杓>を渡す――んでしたよね、慥か」
 「ええ、そうですよ。その『船幽霊』です。善く御存じで」
 「いやいや…。でも、この話も平家伝説がベースになっているんですか?平家蟹なんかだけではなくって?」
 「勿論ですよ日吉君。この怪異はですね、『引幽霊』とも『底幽霊』とも云うんですがね、要は溺死者[どざえもん]――源平合戦で破れし者達なんです。安徳天皇も居るかどうかは知りませんけれど。提子[ひさご]――柄杓を貸せと云い、次々と波を汲み上げて船を沈める、分別なき亡者達」
 「分別なき?」
 「彼等の目的は、船を転覆させて水死人を増やす事ではなく――ただ只管に船に水を汲み入れる事だけです。だから<底の抜けた柄杓>を渡せば、汲むと云う行いだけは出来る訳で、亡者達は納得して消える――そうです」
 「…虚しい、な」

 だがこれは――人生そのものなのかもしれない。
 食う為に働くのか、働く為に食うのか。

 「祇園精舎の鐘の音――と云うやつですね。……瀬戸内海で他の怪異と云えば『七人みさき』とかですかね」
 「し――『七人みさき』、…ですか?」
 「ええ。みさき信仰の一つ、七人一組の怪異――土佐で有名ですが…知りませんか?」
 「寡聞にして知らず――というヤツですよ。どんな怪異なんですか?」
 「行き会うと命を失う――と云う行き遭い神――祟り神ですね。不慮の事故で亡くなった死人[ほとけ]を葬らず、無縁のままにしておくと此れになるとの話です。元は水死や熱病を回避する為ではないかと思うんですがね。
 「<みさき>と云うのは成仏出来ぬ御霊、と云う意味なんでしょう。『山みさき』『川みさき』と云ったバリエーションも存在しますが――此れらは地方によっては山神水神の眷属、使役神だとも云います。
 「みさき信仰に於いて、<みさき>とは、御先、御前、御崎――詰まりは先鋒を意味し、転じて、先触れとして訪れる山の神や水の神の眷属に当たる神霊の様な存在や小動物――熊野の八咫烏や八幡の鳩、狼や狐等――を指します。勿論突端の意の岬とも関わりがあるでしょうし、美しく咲くと云う¨美咲¨等と字を変えたり、字はそのままで¨おんざき¨と読んだりします。また、みさき狐等は憑き物の類ですからね、その辺りとも関連がありましょうか。
 「却説、本題の『七人みさき』ですが、こいつは酷い怪異でしてね。一人取り殺すと七人のうちの一人が成仏するんですが、でも殺された者が新たに仲間に加わるので数は減らない。一人につき七人だと云う説もあります。自分が死んだ場所で七人を取り殺さなければ仏の座につけないのだ――と」
 「…七七で四十九人、死ぬ。しかもその四十九人がまた――ってことですか?タチの悪い鼠算ですよ。まるで伝染病か――ああ、熱病」
 「善く覚えていましたね有り難いです。ええ、それ等の病を避けるのに一役買ってたんでしょうかね。根拠の弱い持論なんですけど…」
 「なんだか試験を受けているみたいでした…」

 「どうしよう樺地。無表情な中禅寺さんも珍しく上機嫌な日吉も二人の会話内容も凄く恐いんだけど…」
 「…仲が良いのは、善いことです」
 「そう――なのかもしれないけど……」

 「全部聞こえてるぞ鳳」
 「無表情はデフォルトなんですけど…」

 新学期三日目な一年U組。波瀾を乗り越え、平穏平和なクラスである。
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