短編
□向日さんとのデート(未満)の話
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「ひょっとして。私に声を掛けた理由って、幽霊が出てくるからですか?」
公演後、喫茶店ルノアールにて。学生の分際でこんな高級喫茶店にいるとは……と思わないでもないが、まあそこは色々、細々とした理由があったのだ。
「えー? いやでもお前、ああいうタイプの幽霊でもいいの?」
「あんな風なのは好みじゃないです」
「だろうよ。ただの偶然さ」
そう嘯いて先輩はメロンソーダを飲んだ。私も宇治抹茶フロートを啜る。冷房が思ったよりも強く、私はこのチョイスを少し後悔していた。外から入ってすぐは、丁度良いと思ったのだが……。
「んー、でもよ。小野小町が題材だから日吉、お前には良いかなーとは思った」
「……?」
はて、私は小野小町に何某かの興味を示した事があったであろうか?
小野小町など、鎌倉の小町通りか三十六歌仙くらいしか知らないと云うのに。
「……小野小町はその実在そのものが疑われている」
「そうーーなんですか?」
カップを傾けて促せば、どんでん返しも良い所の発言が返ってきた。
「ここまで有名なのに確かな証拠は無い。こりゃ聖徳太子と並ぶ勢いだ」
「そんな……こんなに、歴史に名を残しているのに。と言うか、聖徳太子って。現代でも彼は、紙幣の肖像画にもなっているでしょう」
「俺達にとっての現代は本人達にとっての未来だし、本人達にとっての現代は俺達にとっての過去だ。それを確認する方法はただ一つ、史学だけだ」
「……、史学」
「その史学の対象は主に古文書なんだが。見た事あるか?」
何度かあった。家の蔵。博物館ーー公文書館だったか。
「文書であるからこその強みもあれば弱みもある。その代表格が改竄であり。存在意義からひっくり返すのが偽書だ」
「意義が無くなれば……」
「意味も無くなる」
また飲み物を啜る。カップの残りはもう、三分の一ほどしかない。
「小野小町は、偽の文書に載っている話だとーー?」
「いや、そう云う訳でもないんだよな、これが」
先輩がまた飲み物を飲み、とうとうメロンソーダは干上がった。バニラアイスだけが僅かに残っている。
「彼女は当時の女性の例に漏れず本名不詳だ。”小町”は何と言ったものか……敬称の様なものだ。小野篁の孫とも言われているが、それに当たる人物の記録は残ってない。肖像画に至っては後世の想像によるものさ。
「そもそも女性の記録は残りにくい。加えて時代が時代だ。平安初期なんて……千年以上昔さ」
「……もしかしたら、彼女の存在が確認できる文書があったかもしれないーーと?」
「時の流れに揉まれて無くなってしまったーーのかもしれないだけ、かもしれない。今となっては解らないが。そういう意味で……小野小町はお前の眼鏡に適うだろ?」
喉が痛くなったので私も宇治抹茶フロートを飲み干した。
怨霊となった小野小町。彼女はもともと幽霊の様な存在であった……と。幽霊に恋い焦がれ魂を抜かれた憐れなおとこ達。近づき過ぎたあまり彼女に引き摺られたおとこ。
そう考えれば成る程、私の琴線に触れるものがある。
「意外と複雑なんですね……。いや、多面的と言いますか」
「歴史にはそういう、割と脆い面もあるんだ」
「脆いーー」
「家康の死因の話じゃないが。信用出来る事って難しい」
「……かと言って、それを憶えない理由にはなりませんがね。日本史三十五点でしたっけ」
「三十八点じゃボケ!」
「どちらにせよ酷い点数ですよ」
くそくそッと先輩が悪態をつく。まったく、後ろから昆布茶を給仕しようとしてくれているのに。
しかし昆布茶か。と言う事は、どうやら私達は長居し過ぎたらしかった。
引き際だろう。
私は先輩を促して二人で席を立った。