短編

□向日さんとのデート(未満)の話
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 *

 急な坂とじわじわとした坂とを下り、歩道橋を経由してJRへ向かう。土曜日とあって、夕方になっても人が引く気配は無い。
 駅及びその周辺の道の複雑さを槍玉に上げたり、明日以降の練習のメニューを予想したり。ゆったりとしたキャッチボールの様に言葉を投げ合う。スローしか投げない、気怠さを孕んだ会話。
 しかし話題にテニスを選んだのなら話は別である。私達は好戦的な性質[タチ]なのだから、

 「詰まりーー長野原先輩を倒すのが一番だ、と?」
 「むー。長野原サンはな、お前と同じベースライナーではある。ではあるが、アグレッシヴと呼ぶにゃ程遠い」
 「確かに……穴熊みたいなプレイをする人でしたね。堅牢強固。その分ですかね」
 「かもな。とりあえず、お前が一番最初に戦えるーー引き摺り降ろせる奴はあの御人だろうよ」
 「何れ全員引き摺り降ろしてやりますよ、向日さんを含め」
 「呵ッ。やれるものならやってみそ?」
 「やってやりますよーー」

と、終いには宣戦布告となるのだった。

 東急を抜け改札を潜る。夕方とは云え土曜日だが、そこは天下の山手線、直ぐにグリーンのラインが描かれた列車がホームに滑りこんで来た。それなりに混雑した列車に乗り込む。
 乗ってしまうと、周りに遠慮してか、自然と黙ってしまう。

 「……」
 「……」

 黙ったまま揺られて行く。がたんごとん、がたんごとん。
 新宿か代々木かで迷ったが、混雑を避けて代々木で乗り換える。

 「ホームってどっち?」
 「こっちですよ、確か」
 「おお。ったく、解りにくいったらありゃしない」
 「まだ簡単な方でしょうに……」

 乗り換えた先は中央線の普通列車だ。乗り込んでしまえばまた黙る。
 向日さんが手持ち無沙汰に鞄に付けた羽根飾りを弄っている。だから私はそれを見ながら、何とはなしに物思いに耽る。

 今日の午後を彩った偶然と幸運に就いて。先輩が受け取ったチケット。貰い手の不在。顧問とレギュラーの多忙。私の暇。ーーなかなかの確率である。
 次は先輩の甲斐性と言うか意外な太っ腹。パンフレットも宇治抹茶フロートも結局先輩が払ってくれた。前者は領収書を切っていたし、後者はそもそもの約束であったが、それでも。
 そして。私は先輩の顔を盗み見する。私より五センチ近く低い位置にある顔。切り揃えられた紅い髪が振動にあわせて揺れる。

 「……」
 「今日はーーありがとうございました」
 「んー? いーっていーって」
 「はあ……」

 列車が中野に着いた。降りないのか、と目線で問えば「お前、次だろう。改札まで送る」と返ってきた。

 「、そんなーー」
 「遠慮すンな、オンナノコ」

 私は貴方より強いのだが……。でも。

 「では、お言葉に甘えて」追加料金を承知での台詞である事を祈って。

 再び列車が動き出す。私達は無言のまま。そしたら直ぐに高円寺だ。開いた扉からホームに降りる。そこから歩けば改札だ。ここらが引き際だろうーー昆布茶の出番になってしまう。

 「向日さん、もう、」

 大丈夫ですよーーと告げれば、「そうか、」と返ってくる。

 「じゃ。またな、日吉」
 「はい、また明日」

 私はそのまま改札を抜ける。アマのバンドのメロディが耳に入る。何処か寂しげなラヴソングだ。
 ふと思い立ち、振り返る。

 改札の向こう側に、まだ、先輩はいた。

 どうしてか、それが嬉しくて。

 黙礼すれば手を振って返してくれる。
 それに安心して、私は通りを抜けて行き、家路に着いた。
 もう振り返らずとも、まだ先輩がいてくれていると解っていた。

 明日か月曜日かに、何かお礼を持って行こう。
 そう、思った。
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