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□手のひらの記憶
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まさか誰かに繋がるとは思ってなくて。

この部屋の何処かで着信音が鳴ればいいだけだった。

「誰……?」

開きかけの荷物が緊張感なく音を立てて崩れる。
加えて、部屋中に響き渡る暖房の音。
先輩に借りたケータイがその音を拾うことはないだろうけど、僕の耳にはしっかり入る。邪魔だ。
何故か、次に発せられるであろう声を、一字一句違わず聞き取らねばいけないと、僕の本能が察知していた。

「君は…シンジ君?」

低めの男性の声。だけど少し子供っぽさも残っている。年は僕とあまり変わらないのではないだろうか。

そして、電話の向こうの人は僕の名前を知っているらしい。

「あの…以前お会いしたことありましたか?」

「いや、ないと思うよ」

まただ。
見ず知らずの人なのに、どうしてだろう、会ったことがあるような気がするのだ。
アスカの時もそうだった。ケンスケもそうだ。

昔から何度か経験していることなのだが、この現象に理由はないらしい。
気のせいが何度か重なっただけで、必然性があるわけではない、と思う。

だから努めて初対面の様に振る舞う。
本当は、その声を聞くのは初めてじゃない気がするけど、僕の気のせいだ。

「あの、それ僕のケータイなんです。今どこに居ますか?もしよければ、伺わせてください」

「これが?ああ、いいよ。僕が戻しとくから。君、明城でしょ?寮に置いておけばいい?」

「はい」


…絶対に会ったことがある。

それは確信に変わった。
だって一度も会ったことがないなら、僕
が明城生だとか、ましてや寮に住んでるなんて知ってる筈がない。
かといってストーカーにつかれている気配もないし、彼は悪い人じゃない、と思う。言葉遣いは丁寧とは言い難いけどでも、僕の勘がそう言っている。

「待って、まだ切らないで…下さい」

そうだ。

彼はサバサバしてるタイプだった。要件が済んだらさっさとどこかに行ってしまうような、自由奔放で気分屋な人。だからこそ掴んだ手を簡単に離してしまう。

でも姿形が、思い出せないんだ。

これは"記憶"。
僕の記憶かもしれないし、或いは窓の外に降り積もった雪のように、長い間を掛けて出来た不規則な結晶の集積かもしれない。
触ったら溶けて、水になって、掌から零れ落ちて、また世界を循環していく。

「やっぱり、僕が受け取りに行きます。やってもらってばかりじゃ悪いし、それに」
「無理だよ」

僕の言葉を遮るようにして否定の言葉は紡がれた。

「僕らは会えないんだ。会っちゃいけない」

「……そんな、なんでですか」

「実はこの会話も僕のわがままで、本当は許されることじゃないんだ。けど、どうしても聞きたいことが一つだけあって。」

「意味がわからないです」

「あは。随分素直な性格になったね」

何もかもわからない。僕は昔からこういう性格だし、変わっているとも成長してるとも思わない。

「君は一体誰なんですか?名前も言わない、そのくせ僕のこと色々知ってる」

「ごめんね。名前も教えられない。君は僕を知らないほうが良い」

酷い。悲しい。
僕は君のこと知らないのに。見えないのに。届かないのに。

「聞きたいことって、なに」

声が震えていたかもしれない。
嗚咽を隠す余裕は今の僕にはない。

「シンジ君、今幸せ?」

「……それだけ?」

「うん」

「今は答えられない。だけど、でも、頑張るよ。」

「…そう。なら大丈夫。君なら頑張れるよ。僕らはいつも見守ってるから」

「………………っ」

涙が溢れて床にしみを作る。
やがて蒸発して、空へと飛んでいくだろう。


「碇ーめしー!」

壁を通して先輩の大声が伝わる。
次にケータイに意識を戻したときにはもう、無機質な電子音が一定間隔で流れるだけだった。

「馬鹿やろう…」

部屋は少し、暖かみを帯びていた。
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