逃避行少女
□逃避行少女
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瞬きした瞬間には、違う景色が広がっていた。
「わ、すごい……」
「そうかな」
ははは、と紳士らしく笑う櫻野先輩。
間違えようのない、ここは特力の裏の森だ――った筈。あれ、何かあやふや。
何はともあれ、とりあえず近くについたことは変わりないんだし。
「櫻野先輩、ありがとうございました」
「どういたしまして」
ぺこりと頭を下げると、櫻野先輩はぽんぽん、と私の頭を撫でた。
何だよちくしょう、子ども扱いか。
とはいえ、お世話になったことには変わりないので、もう一度一礼して、くるりと背を向ける。
マジで急がないと、心配させてるかもだし。
と、走り出そうとした瞬間。
「あ、林檎ちゃん」
「はっ、―――はい?」
思わず前のめりになりかけたが、ぐっとこらえ、顔だけ後ろへ向ける。
すると、軽く手を振っていた櫻野先輩が。
ほんの少しだけ、悲しそうに。
憂いを帯びたような顔で。
「けじめ、つけないと駄目だよ」
「――――っ」
ひゅっ、と喉が鳴った。
ばくばくと鳴り出す心臓を抑えるかのように、胸元を抑える。
胸の内を抉るような、私にとっては辛辣な言葉。
それを、簡単に、ありありと、真正面から――――先輩は。
「君は、流されているだけだ。抗おうとしている癖に――抗えない。それを許容している自分が―――許せないんだよね」
「―――っ、な!」
ぎりっ、と歯をかみしめた。
何を、この人は。
この人は。
―――分かり切ったように!!!!
「あ、貴方に何が分かるんですか―――ッ!!!!」
驚くほど大きな声が出て、烏がばさばさと飛び立つ音が聞こえた。
この人に、何が分かるというのか。
私の苦しみも、悲しみも、辛さも。
分かり切ったように。
ありえない。
ありえないありえないありえない!!
勝手に! 人の心に土足で踏み込んで!
「分からないくせにッ! 勝手な事、言うなッ!!!」
「分かるよ」
「貴方なんかに何が分かるんだ!!! ――この世界″に、私のことっ、分かる人なんてっ、」
―――誰も居ないのにっ!!!!
そう、言ってから。
言って、しまってから。
(――あ)
(―――う、ぁあ)
ごとりと、何がが落ちた。
ぽっかりと、開いてしまった。
私は。
目をそらしていた事実を。
信じたくない、と思っていたことを。
自分自身で、突き付けた。――追い詰めた。
「う、ううううううう!!!!」
追い詰めた。追い込んだ。自分自身で。
自分を自分で。
苦しめて、悲しめて、辛しめて、縛って、壊して、辱めて―――殺した。
「うっ、ぐっ――うううう!!」
「……ごめんね」
ぽつり、と櫻野先輩は呟いた。
それから、悲しげな眼を。
その眼に、私を映す。
「ごめんね――林檎ちゃん。僕は別に、君を傷つけるつもりじゃ、無かった。――ごめんね。嫌わないでほしい」
「う―――」
すぅっ、と身体が冷えていく。
冷えて、冷えて、視界が、すぅっと冷えていく。
「唯、君は現実を見なきゃいけない」
「……わ、かって、ます」
「君は――逃げているだけだ」
「わかって、ます」
そんなこと、分かってる。
貴方に――言われなくとも。
「君が抱えているものは――僕には分からない。だけどね、」
僕に出来ることなら、何でもしてあげるから。
そっと、櫻野先輩の大きな手が、私の頬を包み、涙を拭う。
「君はそのままじゃ、いけない」
「……」
「林檎ちゃん。君は一人じゃないんだよ」
「そ、んなの――」
何も言えなかった。
「頼ってくれないかな」
「―――っ」
ほろり、と違う涙がこぼれた。
温かいものが、頬を伝い、零れていく。
「……ぁ」
「林檎ちゃん?」
頬を伝い、零れて。
「な、ら―――、私、」
私が、苦しんでるとき。
悲しんでいるとき。
辛いとき。
「私の、愚痴、聞いてください。――暇な時でいいんで」
そう言って、笑った私は――笑えていたのだろうか。
(そっと、櫻野先輩は私を包み込んだ)
(櫻野先輩の顔は、見えなかった)