短編

□黒ずんでしまった夢
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 エレンとジャンが夕食の時間に喧嘩をして、それをミカサがある意味の実力行使で止める。
 そんないつもの日常が、ほんの少しだけ、僕に後ろめたい感情を背負わせた。
 ひょっとしたら、エレンとミカサに僕は必要ないんじゃないか。
 僕はおまけでしかなくて、あの二人にはいつか置いていかれてしまうんじゃないか。

 そんなネガティヴな感情から逃げるように、――嫌な感情を抱いてしまう自分が嫌いで、その場から離れる。
 気分的に、一人になりたかった。

 そう思って選んだテラス。月の光が差し込んでくるテラスは幻想的でもあり、見慣れた場所でもあるから、落ち着けると思ったのだ。
 何より、僕が思い描いている『外』を象徴するような、沢山の煌びやかな星々が見える。
 さっきの感情とは裏腹に、高揚する胸を押さえて向かったテラスには、先客が居た。

「えっと、―――なまえ?」

 肩口あたりまで流れる髪は、ミカサみたいな黒髪だった。顔立ちもミカサと似ていて、もしかしたらミカサの言っていた『東洋』という地域の出身かもしれない、と密かに思っていた少女がそこに居た。
 名前は正直覚えていなかった。誰かが呼んだりしているのをあまり聞いたことが無かったからかもしれない。対人格闘の時はひっそりと隅の方で組んでいるし、立体起動も秀でている訳でも劣っている訳でも無く、全く目立っていない。
 それでも尚、僅かながら印象に残っていたのは、やはり顔立ちの所為だったのかもしれない。
 ぴくり、と肩が震えたかと思うと、そろそろと振り向いて、前髪の間から眠たげな瞳が覗いた。黒く透き通る様な瞳が僕を映す。
 そして、小さく口を開いて―――閉じて。そしてまた開いた。
 そして、

「うわ……、びっくりしたあ」

 と、全然びっくりしていないような声音で呟いた。
 なまえ。なまえ=みょうじ。間違いなく、同期生だ。

「えっと、ごめん。驚かして」
「えーっと、アルレルト君? だったよね。ううん、驚かしたっていうか、何というか」

 僕のことを妙に新鮮な呼び方をするなまえは、照れくさそうに頬をかいた。

「まだ私の名前を呼ぶ人が居たっけ、って思って」
「え? まだ、って……」
「ああ、うん」

 困ったように眉根を寄せるなまえに、どうやら聞かない方がいいことを聞いてしまったらしいと気づく。誰にだって聞かれたくないこともある。僕は罪悪感に苛まれるものの、今更どうしようもない。
 だが、僕の後悔とは裏腹に、なまえはあっけらかんと言った。

「私さ、訓練兵になる時、同じ地区出身の友達二人と一緒に入ったんだよね。どうしても、って言われて。けどさあ、その子達」
 
 二人で夜逃げしちゃって。
 私一人置いてさ。

 その言葉が僕の頭にじわじわと染み込んでくるのを感じた。そして、その意味を理解した瞬間、弾かれる様になまえの顔を見る。
 なまえは、自虐の笑みを浮かべ、おどける様に方を竦めた。

「で、あの子達が化けて出たのかと思って」
「……」

 つまり、彼女は独りなのだ。

 僕にはエレンもミカサもいる。けれど、彼女は――大切だと思っていた友人に。僕で言うエレンやミカサなような存在に――逃げられた。置いていかれた。見捨て、られた。
 それがどれだけ切なく辛い事なのか、僕には想像もつかない。

 僕には友人が居るんだから。

 それがどれだけ幸せなことか。
 訓練兵の中には、友人が死んでしまった子だって居るだろう。だけど僕は三人全員生きて、逃げることも無く、欠けていない。
 この巨人が闊歩する世界の中、弱肉強食の残酷な世界の中、それは何よりも幸福なことなのだ。

「ま、そんなことをアルレルト君に言っても意味はないんだけれどね」
「そ、れは……」

 僕は何も言えない。偉そうに弱気な感情に説教することも、同情することも出来ない。しては、いけない。

 なまえは不意に空を見上げ、嘆息を零す。
 呆気にとられている僕に、なまえは予想外の言葉を漏らした。

「ねえ、アルレルト君。変だと思うかもしれないけど―――、私、外の世界に興味があるんだよね」
「……え?」
「知ってる? 外の世界にはね、海っていう、世界の七割を占めている塩水とね、南極っていう氷だらけの大陸とか、マグマっていう高温の真っ赤な液体があるんだよ」

 彼女が述べたのは、僕がかつて本で読んだ――、そして夢見た世界だった。
 他の人からしてみれば、興味を持つことさえ異常者扱いされる世界を、エレンでもなく、ミカサでもなく、他でも無い――目の前のこの少女が言った。
 胸に湧き上がるこの感情は何なのか。
 歓喜? 困惑? 期待? 共感? ―――分からない。
 感情が複雑に入り混じった、形容しがたい感情が僕の胸を覆い尽くしていた。

「もしかして、なまえも、外の世界のこと……」
「うん、ってことは、アルレルト君も? いいよねえ、こんな壁に覆われた世界じゃなくって、外の世界はここにとっては幻想みたいなのが当たり前に広がってるってのに」
 
 まるで行ったことのあるような口ぶりに少し首を傾げるものの、少女のほんの少し頬を赤らめて闇に浮かぶ星々を眺める姿に閉口する。
 なまえは僕を振り返り、口元に笑みを浮かべた。

「アルレルト君は夢って、ある?」
「え? 夢? ……えっと」

 突然の問いに、僕は困惑するものの、必死に頭を巡らせる。そんなに焦る必要は無いとは思うが、――何となく、なまえとの会話を終わらせたくない、そう思ったのだ。
 エレンみたいに巨人を全て駆逐すること、何ていう夢も浮かんだが、おそらく僕は違う。
 僕は巨人を駆逐っていうよりかは、

「外に――出てみたい。外に出て、いろんなものを見てみたいんだ」
 
 曖昧で、具体性の無い夢。
 だが、きっと僕にとってはこれが一番だ。
 一瞬、馬鹿にされるかという不安が頭をよぎる。かつて、こんな夢を放せばいろんな人に馬鹿にされたのだ。
 だが、なまえはそうでなかった。

「そっかあ、素敵だね。外はきっと、すごいものがたくさんあるよ」
 
 楽しみだね。と涼やかな声で言った。

 それが僕の、心に絡みついて――優しく溶けた。
 優しく包み込むような声が、僕のしがらみを、優しく甘くほどくように、溶かして。
 浮かべた優しい笑みに僕は、吸い込まれていく。
そして。
囚われていくのだ。

「ねえ――、アルレルト君。私にも夢があるんだ」
「え……?」

 なまえは星空に向けて、星を掴まんばかりに――右手を伸ばした。


「家に帰る事。それが、夢なんだよ」


 僕がなまえの笑顔を見たのは、それが最後だった。


*****


 トロスト区奪還作戦から数日後。
 多大な被害を残しつつも、何とかエレンの活躍によって大岩で穴を防ぎ、新たな巨人の侵入を防ぐことが出来たものの。
 僕らは復興と死者確認に追われていた。

――そして。


 そこで、僕は見つけてしまった。


「う、あ……」


 とある、街路。崩壊した家々には血があらゆるところに飛び散り、死体も転がっているという悲惨な惨状が広がっていた。
 だが、僕の視線は一点に注がれる。

 ぐったりと壁に凭れ掛かるその姿は――血まみれで。
 透き通っていた黒い瞳は虚ろに濁っていて、綺麗だった黒髪は乱れ、血色がよかった頬は生気が無さ気に青白く。顔は額辺りから流れる血に覆い尽くされて。
 左足首から先と、星に手を伸ばしていたあの白い右手は――どこにも無かった。


「なまえ……ッ」


 なまえとは、あの日からほとんど話すことは無かった。精々、遠くから見かけるくらいで、一か月前くらいに髪をばっさり切った、というのは知っていたけれど、その程度だった。
 そして。
 こんな形で、再会した。

 なまえの笑顔が、夢を言ったなまえの声音がフラッシュバックする。

『家に帰る事。それが、夢なんだよ』

 ふわりと笑った彼女。
 ――なまえはもう、どこにも居ない。


「……う……っ、く……」

 
 ぼたりと涙が落ちる。
 視界が情けなく滲んで、自分の弱さに歯噛みするしかない。

「――その者を知っているのか? なら所属と名前を言え」

 いつまでも立ち止まっていた僕に、後ろから声が掛かる。振り向かずとも、分かる。――おそらく死者の確認をしている者だろう。

 つまり。


――彼女は死んでいるのだ。


「……っ」

「何だ、早くしろ。こっちは時間が無いんだ」

 声が詰まる。認めたくなかった事実が、押しつけられて、理解を促される。
 けれど。


「……第104期、訓練兵団所属……」


 虚ろな彼女の瞳には、何の光も、夢も、希望も――映っていなかった。




「なまえ=みょうじ……ッ」




 世界は、残酷だ。



  黒ずんでしまった夢




 
 

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