短編

□がらくた人形は壊れてしまった
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 長い、美しく艶がかった菫色の髪が、皺一つ無い純白のシーツに散らばった。
 男の人だなんて思わせないような綺麗な顔立ちは月光に照らされ、神々しさと同時に 僅かながらの影を秘めている。幾多も自分を抑え込み、漸く夢を手に入れた末の自信に満ち溢れた瞳は、今は驚きに見開かれていた。
 けれど、その透き通る様な瞳に映り込んでいるのは、長年見飽きた私の無表情だった。

「なまえに押し倒されるだなんて、今日は幸運な日だな」

 ふっ、と口元に笑みを浮かべた彼は、右腕を持ち上げ、私の髪を一房救い上げ口元に寄せた。
 私は抗わない。
 ただ、何も感じさせぬ瞳で、研ぎ澄まされた刃の切っ先を彼の首元へ押し付ける。
 だが彼――シンドバット様は依然として、ゆるりと笑みを浮かべていた。
 危機感が無い――わけでもあるまい。私など、いざという時には片手で捻りつぶせると思っているのだろうか。
 あとこの首を掻っ切るだけ。それで全てが終わる。
 都合の良いことに、シンドバット様は油断しているのだ。これ以上のチャンスがあろうか。
 だが、私はいつまでたっても刃を引くことが出来なかった。
 手はちっとも震えていない。緊張もしていない。恐怖もしていない。なのになぜか――手がいう事を聞かない。

「なまえ、君は―――」

 シンドバット様が薄い唇を開き、妖艶さを漂わせる瞳で私を真っ直ぐに見上げる。
 そして、私がその薄い闇に吸い込まれそうになった瞬間――身体中に赤い紐が巻き付いた。
 何が起こった、と理解する前に、シンドバット様に押し付けていた刃を自分に向け、首に回ろうとしていた紐を掻っ切る。ぷつり、と切れた勢いのまま刃を流れる様にするりと動かし、私の左腕に絡みついていた紐と肌との間に刃を差し込み、再び掻っ切った。
 だが、そこで紐は完全に私に絡みつく。救えたのは、首と左腕だけ。他の右手、両足、胴体は赤い紐が食い込む程巻き付いている。
 
「暗殺者か――!」

 低い嫌悪の入り混じった声が、見慣れたクーフィーヤの奥から響く。月夜に幻想的に光る銀髪の奥に見える瞳は、衝動的な殺意に燃え滾っていた。
 だけど、その綺麗な瞳に私を移した瞬間――ジャーファル様は目を見開いた。

「なまえ……!? 何故、あなたが……!」

「ジャーファル様」

 ぎちっ、と紐が食い込む。
 ジャーファル様は明らかに動揺し、私に押し倒されているシンドバット様――それと私の右手に握られている刃を見て表情を凍らせた。
 彼の白い肌がさらに青白くなって、悲痛に顔を歪ませる。

「どういう、ことですかこれは……! シン! 貴方、一体……!」

「はは、見てわからないかい、ジャーファル。可愛いなまえは俺を暗殺しに来てくれたんだよ」

「な……、」

 おどけた様な口調のシンドバット様に、ジャーファル様はいつものように眉を吊り上げた。けれど、私を瞳に移した瞬間、激しく動揺したように紐を握りなおす。

「どういうことなんですか、なまえ。何故あなたが、こんなことを、」

「ジャーファル様、ごめんなさい」

 私は静かに謝罪し、その言葉が静寂に満ちた部屋に波紋をもたらした。シンドバット様は悲しげに瞳を揺らし、ジャーファル様は愕然と立ちすくむ。
 お二人らしからぬ様子に首を捻りつつ、辛うじて握り続けていた刃を握りなおした。けれど、右腕は動かない。両足でさえ縛られていて、動くのは酷く困難だ。
 それを無表情のまま確認し、眼を伏せてシンドバッド様を見下ろした。
 
「私、シンドバット様を殺さないといけないんです」

「何故、何故なんですか! あなたは……っ、最初から、この為に、シンに近づいたというのですか!!」

 顔を上げ、らしくもなく、激昂したジャーファル様を見る。ゆらゆら。銀髪の奥の瞳が悲しげに。痛ましくゆらゆらと揺れる。

 「はい」、と私は首肯する。

 ジャーファル様は顔を歪ませる。私に絡まった紐がきつくなり、私は小さく息を吐いた。
 最初から、私はシンドバット様を殺すために近づいた。命令されたから、ただそれだけ。

「なまえ……、一つだけ、聞いても構わないか」

「何ですか?」

 視線をシンドバット様に戻す。
 押し倒したままとはいえ、私は縛られているのだからいつでも逃げることが出来るだろうに、シンドバット様はそれをしない。それが何故だろうと悩みつつも、いつものように首を傾げて見せる。
 
「なまえは――、なまえにとって、この二年間は全て演技だったのか?」

「それは、どういう?」

「なまえがヤムライハやピスティと話しているときに浮かべた笑顔は偽物だったのか?」

 ぱちくり。
 予想だにしなかった質問に目を瞬かせる。けど、シンドバット様は至って真剣だ。首を傾げ、少し悩み、末に私は堪えを出す。

「わかりません」

「……そうか」

 シンドバット様はゆるりと笑みを浮かべた。何でだろう、相も変わらずお考えになっていることが分からない。
 それは私が命令されたことしか出来ないからか。忠犬の様に、自分で考えることが出来ないボンクラだから。分かっていても、どうしようともしない私に全ての非はあるのだろう。
 私は絡まる紐が肌に食い込み、赤い華を散らすのに目をくれず、さらに切っ先をシンドバット様の首に近づけた。
 ようやく、というようにジャーファル様は臨戦態勢に入る――ものの、その瞳は相も変わらず揺れていた。

「なまえ、何故、何故、こんな、」

「ジャーファル様……」

 苦しそうな、今にも血反吐を吐き出しそうな声音。もしジャーファル様が幼子だったならば、今にも泣き出しそうな、そんな。
 私は眼を伏せ、脳裏に――あの時を思い出す。

 鞭で叩かれ、刃を握らされ、血反吐が出るまで殴られたあの日々。自然と刷り込まれた生への欲望。人を殺すことを自分の為だと正当化した、あの感触。
 そして――。

 そんな救いようがなく、腐りきったがらくた人形に過ぎなかったボロボロの私を拾って、笑顔で迎え入れてくれた皆様を。

 けれどその思い出には蓋をする。感情でさえも、押し隠して。

「……答えろ、答えろなまえッ!!!!」

 ぎゅう、と紐が食い込む。でも僅かに震えるそれはきっとジャーファル様のよう。
 ジャーファル様はお優しいひと。こんな私にも笑顔を向けてくれた、例えそれが偽善だとしても、優しく頭を撫でて下さった。
 でもね、ごめんなさい。
 私はどんなに運命に抗いたくても、結局逆らえない儘終わってしまう。
 本当に、ごめんなさい。

「生きる為です、ジャーファル様」

 頬を伝うこれは、きっとからっぽなんだろう。



  がらくた人形は壊れてしまった



 


 

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