本棚@

□確かに愛だった
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ガシャンと鈍い音と共に机の上に置いていたカップがひっくり返り、それと同時に冷えたコーヒーが床へと滴り落ちる。落ちて弾けた水滴が跳ね返り、私の足を汚したがそんな事はどうでも良い。

「そんなに無理してしんどくねぇの?普段冷静なさやがそんなに乱れる理由、自分でも分からない?」

大きな音にも臆す事なく鋭い視線そのまま、大将は倒れたカップを元に戻した。その冷静過ぎる行動が、私の中の何かを容赦なく掻き乱す。手先が小刻みに震え下唇を噛み締めて、咥内には鉄の味が広がった。

「どうせ男は誰でも同じでしょう?中途半端な言葉で繋いで、飽きたら捨てる」

利用するだけ利用して、口先だけの優しさで別れを告げる。相手がどうなろうと、自分はもう既に新しい安息を手にしているのだから、その後なんて関係ないのよ。

「さや…」

アイツとの二年間が走馬灯の様に蘇り、私の苛立ちは限界に達する。そんな血気盛んな私の方に、大将が静かに立ち上がり静かに近付いて来た。

一歩一歩と近づく大将を拒否し、私もまた一歩一歩と後退りしても、彼の足は止まらない。夕日が逆光となり眩しくて、彼がどんな表情をしているのかも見えず、言い様の無い圧迫感に押し潰されそうになった。

「あの!!それ以上、近寄らないで下さ……ッ!!」

その時だった。逆光で目も開けられない中、一瞬で視界が真っ暗と可す。全身が優しく締め付けられて、何倍にも大きな大将の腕の中に、自分がすっぽり嵌まっているのだと理解するのは至極簡単な事だった。

「た、大将!!からかうのは止めて下さい!!」

力一杯もがいても大将の腕はビクともしない。それ所かグイグイと力が篭って、暴れる度に余計腕が絡み付く。大将は卑怯にも、目一杯の男力で私を抱きしめた。

「…俺じゃ駄目?」

私を抱き締める大将は今までにない細い声で呟いた。その瞬間、全身の力が抜けて、全く力が入らなくなる。近過ぎる大将の吐息が何故か悲哀を含み、私の血気は消え失せた。

「さやが誰よりも強くて、誰よりも弱い事を俺は知ってるからね。甘えれば良いだろ?俺に。悔しいけど、さやに惚れてるから」

普段とは全く違う大将に困惑しながらも、私の中の何かがゆっくりと音を立てながら崩れ落ちる。

−甘えれば…−

ただ強く、正義のために。人を守って平和を守る。そのために自分自身は己で守らなければならなかったのだ。それが海兵なのだとずっと信じて今日まで来た。

−寂しい…−

海兵である現実の中に、自分の幸せを見出していたつもりだった。海兵として生きゆけるのなら、それ以上は必要無いと。だけど、何だか大将の温もりが心地良くて、胸の奥が痛くなる。心臓をぎゅうっと締め付けられる気がした。

「良いでしょーよ、弱くて。弱みを見せる事の何がいけない」

このまま、この温もりに身を委ねておきたい。良いんだ、私は弱くて。こんなに悲しいのは、私に感情があるからなんだ。そう思うと張り詰めていたものが一気に消え失せ、隠していたものがどんどん溢れ出す。目頭が熱くなって、気が付けば大将に抱き着いていた。

「よく頑張ったな」

ヒクヒクと嗚咽を漏らす私の頭を優しく撫でて、まるで子供をあやすかの様に宥める大将の手はとても温かくて、何故かホッとした。

「ありがとう…ございます。大将青雉」

「あー、クザン…って呼んでくれる?」

「ありがとうございます、クザンさん」



浮世が深紅に染め上げられた…そんな夕暮れ時、何処も畏もそれこそ真っ赤で、抱き合う二人の黒い陰をくっきりと床に映し出す。

私はクザンさんの腕の中で、もう少し…ほんの少しだけ、自分の弱さを認めようと…そう思ったのだ。





「さやには俺がいるから」





end
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