本棚/長編

□辟易
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相変わらずの暑さの中、大きな木の下に設置された古びたベンチはクザンにとって最高の避暑地であった。背もたれに両腕を掛けだらしなく空を見上げると、お生い茂った新緑が微かな風にカサカサ揺れる。

柔らかそうな新芽の間からは流雲が覗き、茹だる様な熱線がその威厳を失っている。幾分か穏やかになったと言えど昼間の明るいそれは木々の間から射し込み、木漏れ日となって地上に降り注いでいた。

「あー、もう何もしたくねぇ」

時刻は午後一時半。胃袋も落ち着いて、丁度眠気がくる魔の時間。口から出るのは不平と欠伸。青チャリで海を走ろうかとも考えたが、こんな最高の避暑地は他にはないと、クザンは得した気分で瞳を閉じた。

額のアイマスクを下げると邪魔な視界が消え、それと引き替えに聞こえる音や声がより鮮明となる。若い海兵達が訓練に勤しむ足音。裏返りそうな程に張った号令。そして爆発音と聞き覚えのある怒号。何を言っているのかはさすがに分からなかったが、今日の陸上訓練は確かガープの隊だったとぼんやり思い出した。

「不憫だ…」

クザンも若い頃、訓練と称したいたぶりを受けた事があった。大の男が数人がかりで持ち上げた鉄球を意図も簡単に片手で掴み、薄ら笑いを浮かべ豪快に投げ飛ばすガープ。そんなガープに大将の地位を得た今でも楯突く気はない。

世話になった事に対しての感謝は勿論あるが、それ以上に、要は面倒臭いのだ。そんな懐かしい事を思い出している時だった。

「あららら?」

聞き覚えのある足音がコツコツとヒールを鳴らし、足早に近付いて来る。体制を変えずアイマスクを少しだけ指で捲り足音の方を見遣ると、いつも以上に深い皺を眉間に寄せ、今にも人を噛み殺しそうな程の表情で歩くサラの姿があった。

コートを羽織らずスーツのジャケットを脱ぎ、少し汗ばんでいるサラが、新兵育成専任として本部に移動となった事を思い出す。その姿から見て、今は訓練中の様だった。

「サラちゃん、そんな顔しなさんな。せっかく可愛い顔してんのに」

颯爽と歩くサラに軽い口調で話し掛けたクザンは、数秒前の自分を恨んだ。サラのこめかみには青筋が立ち、眉間の皺が二割増す。それがある同僚に似ている気がして、日陰にいるにも関わらず妙に暑苦しくなった。

「大将青雉殿。何か御用でしょうか」

「なんでそんなに俺には冷たいの、クザンって呼んでよ。サカズキの事はサカズキさんって呼ぶじゃない」

「…では大将クザン殿。何か御用でしょうか」

固い表情はそのままで、揚げ足を取るサラに少しばかり嫌気も感じるが、それ以上の興味と湧く好奇心。このポーカーフェイスの下にはどんなサラが隠れているのか、どうしても暴いてみたかったのだ。女性としても魅力的だが、クザンはサラ自身に興味を持っていた。

「あららら、もしかしてまた怒った?」

「怒っていません貴方には。第一、私が貴方に怒る理由も……あ!!見付けた!!」

突如声を張り上げたサラは、待て!!と叫んで走り出す。クザンは驚き、慌てて目をやるも人の姿はなく、一人呆気に取られていた。

「な、何?今の」

あんな高いヒールでよく走れるものだと感心していると、まるで断末魔の様な声と共に近付く足音が聞こえてくる。

「うわぁぁぁ!!殺される!!」

「た、助けて下さい!!サラ中将!!」

それは聞くに耐えない程に切羽詰まった男性の声で、そんな二人は首根っこを掴まれズルズルと引きずられていた。

「おい、マジか…」

引きずる人物を見て、クザンはぞっとする。自分よりも遥かに大きな男二人を、サラが細い腕で引きずっていたのだ。二人はいちを抵抗しているが、サラに力負けしている様で掴まれた手はビクともしない。

本部には数え切れない人数の海兵がいるため、この二人の顔に見覚えこそなかったが、制服はボロボロになり露出した肌には痛々しい擦過傷と打撲痕があった。

「私の訓練から逃げるなんて、どう言うつもり?」

「あぁっ、すみません!!」

「許して下さい!!」

あの華奢な体のどこに、そんな馬鹿力が眠っているのだろうか。クザンは目の前で起きている惨劇に無言を決め込む。巻き添えを食うのは御免だし、こんな時は傍観者となるに限る。

「このまま逃げて殺されるのと、私の訓練を受けて可愛がられるのと、二人はどっちを選ぶの?」

遠くの方から尚も聞こえる爆発音と、聞き覚えのある怒号。クザンはこの時、夢を描いて入隊した若き新兵が不憫でならなかった。

「俺、大将で良かった…」










「オ〜、厳しいらしいねぇ〜」

一ヶ月の遠征を終えて、膨大な量の書類整理に追われるボルサリーノは、気の抜ける程に間延びした声で呑気に答えた。

「厳しいってもんじゃねぇよ、あれ。二人の男を軽々と引きずってんのよ、彼女」

「オ〜、そりゃあ新兵さんが不憫だねぇ〜」

ボルサリーノの補佐官に入れて貰ったアイスコーヒーをゴクゴクと喉に流し込むクザンは、先日目の当たりにしたあの惨劇を呑気に構えるボルサリーノに、事細かく説明していた。

どれだけ説明しても、寧ろ少しばかり話を盛って説明しているのにも関わらず、ボルサリーノは喉の奥でくつくつと笑うばかり。クザンの話を聞きながらも休む事のない手は次々と仕事を進め、確認印をリズムよく捺印していた。

「ハハハって…何がそんなに楽しい訳?」


―――コンコン、


小さく打たれたノック音が室内に響くと、ボルサリーノはどうぞォ〜とドアに向かって返事をする。クザンも咄嗟に目をやると、遠慮がちに開いたドアから見慣れた姿が現れ、内心ギクリとした。

「ボルさぁーん!!」

「ォ〜サラ、久し振りだねぇ。また綺麗になってぇ」

ソファーに座っていたクザンには見向きもせず、サラはボルサリーノのデスク前に落ち着く。にっこりと笑いペンを置くボルサリーノに自分との待遇の違いを感じるが、それ以上に妙な違和感を感じていた。

「三年振り…かなぁ?」

「そうですね、丁度三年前に支部へと移動しましたから」

笑顔とまではいかないが、口角を微かに上げ、微笑むサラに驚く。ガープやセンゴクにさえこんな表情を見せなかったと言うのに。違和感は表情だけではなく、いつもより多弁なサラがそこにいたのだ。

「サラ〜、もう君は能力者なんだから、軍艦から飛び降りちゃあイケないよォ?」

「ボ、ボルさんだったんですね、二人に言ったの」

「ちょい待ち。お二人さん何?知り合いな訳?」

ソファーから立ち上がり二人に近付くと、明白にクザンとの距離を取るサラに、ボルサリーノはくつくつと笑った。

「サラはわっし直属の部下だったんだよォ〜。サラも三年前までは本部にいたんだけどォ〜…クザン、覚えてないかぁい?」

「え?そうなの?俺、全然覚えてねぇわ。ってかさサラ、初めから俺の事知ってた訳?」

何千もの海兵の顔を一人一人覚えるのは至難の技だが、何千もの海兵が三人の大将の顔を覚えるのは簡単なはず。

「分かる訳ないじゃないですか、夜だったのに。私も元帥の部屋で分かったんです」

サラはそう言ってクザンから目を反らせた。自分に向けられる視線は相変わらず冷たいが、初めてまともな会話が出来た事にこの関係の進歩を感じる。ボルサリーノに向ける表情はとても穏やかで、もう少し笑えば可愛いのにと、危うく口が滑りそうになった。

「では、私はこれで」

「おっとサラ〜、あまり新兵さんを苛めちゃいけないよォ〜?」

「苛めてなんていません、私は彼らを鍛えてるんですよ」

そう言うとビシッと敬礼するサラに、ボルサリーノも少々ふざけて敬礼する。ボルサリーノが隣を見るよう顎で諭すとサラは嫌そうに体を向け、クザンにも力なく敬礼をした。

「では」

クザンは慌てて敬礼をしようとするが久しくしていないポーズに戸惑い、ビシッと決まった時にはサラは既にドアの前にいた。一人で敬礼している自分が情けない。

「新兵さんには優しくねぇ〜」

「力こそが正義です。己の弱さに甘んじて諦めた人間は大嫌いです」

少し怒りがこもった言葉に、数秒遅れて閉まるドア。クザンは背中に冷気を感じ、ゾクリとするのに何故か暑苦しかった。

「ちょ…サカズキに似てない?あの子」

「昔はああじゃなかったんだけどねぇ…」

「昔?何があったの、サラ」

いきすぎとも取れる正義と、強さに固執するサラがサカズキに似ていて、クザンは嫌悪感を覚える。サラへの興味が無くなったと言えば嘘になるが、少しばかり嫌気がさしたのもまた事実な訳で。

「クザ〜ン、女性の過去を詮索するのは良くないよォ〜?」


気づけば日も落ちて終業時間が近付いていたが、明日の会議書類にまだ手を付けていない事を思いだし、定時の終業を諦める。


クザンは面倒臭そうに溜め息をついたが、サラに対しての溜め息か、はたまた残業に対してなのか、本人すら分かってはいなかった。



To be continue...

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