本棚/長編

□対峙
1ページ/2ページ


「えー、何で俺よ」

一日の仕事を終え、帰宅しようとしていた時だった。時刻は定時を十分程過ぎた所。面倒事に巻き込まれない内に、さっさと退散しようと青チャリの鍵を手にしたと言うのに、乱暴に打たれたノック音が執務室に木霊する。

「大将でしょうが」

「いやね、スモーカー君。俺は大将だけれども、大将ならあと二人いるでしょうよ」

居留守を決めようと息を殺していたが、響くノック音はより音量が増すばかり。クザンは意を決しドアを開けたが、葉巻を燻らせる人物を見る否や、そっとドアを閉めようとした。

「あなたもその一人でしょうが」

「スモーカーが自分で言えよ」

しかしそれは叶わず、閉まるドアの隙間に差し込まれた靴。クザンが一体何だと気怠そうに聞けば、スモーカーは突拍子もない事を言い出したのである。

「俺が言える訳ないでしょう」

「あららら。俺も無理よ。サラちゃんにそんな事言えねぇ」

クザンは困ったように笑い、来客用のソファーに腰掛けた。続いてスモーカーも腰掛け煙を吐き出すと、頼みますよと口を開くが無理なものは無理なのだ。

「大体ね、訓練に耐えきれずに辞めるような人材なら、いない方がスッキリすんじゃねぇの?現場に出て怖じ気付かれるより、俺はマシだと思うけど」

クザンはサカズキのように、これだから最近の若者は!!などと加齢臭漂う言葉を口にするつもりはサラサラないが、海軍とは過酷な任務や訓練に耐えてなんぼの世界だろう…位は言いたい。

歯が立たない上官がいて、若さ故に慢心し、傲り高ぶる未熟さを身に刻み込む。そこで腐るか腐らないかはそれぞれだが、この話はそれ以前の問題だと、クザンは危うくサカズキの十八番を口走りそうになった。

「俺も確かにそう思います。しかし、何度編成しても直ぐに辞めちまって隊が組めねぇ。サラ中将のやり方にはついていけねぇと、辞めた人間は口々に言います」

まあ確かにそれも一理あるかもしれない。クザンは奇しくもその現場を見ていたし、正直やり過ぎだとも感じた。しかしながらクザン自身も上官に鍛えられ、生傷絶えない新兵時代を歩んで来たし、今でこそ呑気に構えているが命の危機を掻い潜り今の地位がある訳で。

確固たる志があった訳ではなかったが、それなりに胸に秘めるものはあったのだ。クザンは暫く考えたが、やはりこんな役は御免被りたかった。

「んー…えー、やっぱ何で俺よー」

「なら今もしあなたが新兵なら、サラ中将の訓練を受けたいと?」

何なんだ、今日のこいつは。
クザンはいつもと違うスモーカーの言葉遣いに、少々気持ち悪さを感じる。恐らくスモーカー自身も誰かに強制されて来たのだろうし、貧乏クジを引いたのは自分だけじゃない事位、クザンにも理解出来る。

しかし、保身的な考えを差し引いてもサラのやり方云云に口出しするつもりはなかったし、第一、彼女自身の考えが過激なだけで、仕事における根本には何ら指摘する箇所は無かったのだ。それに、サラに嫌われたくない邪な考えも否定出来ない。

「……どうですか」

「……嫌、だな。無理だ」

「話の分かる上司で助かります。では、頼みます」

スモーカーは少しホッとした顔をすると、そう一言残し足早にドアに向かって歩き出す。クザンはちょっと待てと制止させようとしたが、スモーカーは歩みを止めず、退室際にもう一度だけ頼みますと言い、そそくさとドアを閉めた。

「え―――……」

スモーカー程の男がこんな事を言うためだけにわざわざ来るとは、この黒幕は一体誰なのか。クザンは奇しくも引いてしまった貧乏クジと、あと三分早く帰らなかった自分が恨めしかった。










「本日もお疲れ様でありました!!」

「あー、はいはい。お疲れ様」

この日は会議が長引いた事もあり、久し振りに仕事に対する達成感を感じていた。気怠そうに廊下を歩くと、会議室の片付けに終われる海兵達がそれぞれに敬礼をしてくる。クザンはそれが面倒臭く、少々遠回りになるが明かりの点いていない廊下を歩いて帰ろうと、踵を返し元来た道を左に曲がった。

今夜は満月。時計の針は午後十時を指しており、夜も更け、完全な暗闇となった下界を照らしていた。クザンの伸びた影を床に写し出し、その長身ゆえ長いそれは壁に屈折している。こんな満月の夜にわざと遠回りをしたくなるくせは若い頃から変わらないと、クザンは自分がおかしく思う。サラと出会ったあの時も、こんな夜だった。

自分とは相反するサラを、面倒だと嫌気を覚えたのは事実だが、それでも尚、サラの姿を目で追っている自分がいるのも事実。これは恋だの愛だの、そう言った類ではないが、クザンは自身の軟派な部分も否めなかった。

「あららら。こんな時間まで…」

昼間は人でごった返すトレーニングルームの前を通った時、誰もいないはずの室内から気配を感じた。ふと窓から室内を覗くと訓練着を着てトレーニングをしているサラの姿。照明すら点けずに窓から差し込む月明かりで視界を守るサラを、酷く美しく感じる。その様がまるであの時のようだと目が離せない。垂れる汗がキラキラと光り、クザンの心がドキリと跳ねた。

こんなにも己を高め自分に厳しいサラが、何故あの時海に入ったのかは日に日に大きくなる疑問ではあったが、サラに会うたびその質問をぐっと飲んでいた。言ってしまえば彼女の何かが崩壊する。そう思えてならなった。


-
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ