本棚/長編

□端緒
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その日は少し肌寒い秋風が、乾燥したクザンの頬を撫でていた。

「お疲れ様です」

地面には赤や黄色に色付いた落ち葉達が、まるで秋色の絨毯を作っているかの様に道が伸びる。秋風に撫でられ、木に残った葉が揺れていた。ここ数日、朝晩がえらく冷えだした。もはや秋と言うより次の季節への移ろいを感じさせる。

「ん?あぁ、お疲れさーん」

海軍本部の中庭には、相変わらず様々な音や声が木霊している。それだけは季節など問わないのだと、サラは三年ぶりに過ごすマリンフォードでの秋に教えられている様だった。

「何?サラもサボり?」

「そんな訳ないでしょう」

氷結人間と言えどやはり寒いのか、白いジャケットを羽織ったクザンは古びたベンチにだらしなくもたれ掛かっている。不意に掛けられた声にアイマスクを少しだけ上げて、気だるそうに軽口をたたいた。一方サラは二本の缶コーヒーを胸に抱き、風に乱れる前髪を押さえていた。

「あ、すまねぇ。はい、どうぞ」

「恐れ入ります」

クザンは目一杯広げた長い足を仕舞うとアイマスクを額に戻し、大きな体を左に寄せる。一人分空けられたスペースに座ると、サラはジャケットからか細い手首を覗かせて、胸に抱いた缶コーヒーを一本クザンに差し出した。

「な、何…もしや毒が「入ってません」…だよな」

クザン好みの微糖コーヒー。ボルサリーノの秘書がいつも出してくれるブラックコーヒーも嫌いではないが、やはり少しばかりの糖分が欲しい。

「いつぞやは失礼しました。缶コーヒー一本でお詫びになどならない事は分かっていますが…どうぞ」

「いつぞや?あぁ、あれか。もう良いさ」

「いえ、改めてお詫びをしなくてはと思っていたのですが、青雉大将がいらっしゃらなかったので」

「三週間、遠征に出てたからな」

サンキュと軽く礼を言って受け取った温かい缶コーヒーは、冷えた手に柔らかくはまる。パコンとプルタブを引けばふわりと湯気が立ち込めて、カフェイン独特の香りが鼻腔をくすぐった。

「あー旨い。やっぱコーヒーは微糖だな」

クザンは鼻腔に広がる豆の香りを楽しむようにゆっくりと息を吐くと、サラの方へと顔を向ける。向けると言うよりカチンカチンと耳障りな音に反応したのである。

「何やってんの」

「別に何も」

「……開かねぇの?」

「いえ、大丈夫です」

短く整えられた爪がプルタブに少しだけ引っ掛かり、力及ばず元の位置に戻る。人差し指を引っ掛けてみたり、中指で引っ掛けてみたり。

「貸してみ」

クザンは持っていた缶をベンチに置くとサラの手から缶を奪い、グッと中指に力を込めた。

「はい」

「…ありがとう…ございます」

クザンはいとも簡単にパコンと缶を開けるとサラの前に差し出す。サラは少々戸惑いながらそれを受けとると、小さな声でお礼を告げた。その汐らしさに驚き、勢い良く振り返ったクザンの口元が何かを言いそうで、サラは急いで缶コーヒーに口づけた。

「何?今日のサラ…まあ良いわ」

「良いなら最初から口にしないで下さい」

二人の間に冷気を孕んだ秋風が通り抜ける。サラの長い髪がサラサラとなびき、シャボンの香りがクザンを包んだ。それと同時に訪れたのは静寂。どこか淋しい秋の季節。木々達は色鮮やかに色付いて、見た目艶やかにあったとせよ、次の季節の初頭には枯れ落ち踏み締められる。踏み締められるが為の艶やかさなれば、何と気嘆かわしい事か。

「俺、この季節が一番嫌いだな」

「なんですか、藪から棒に」

「だってよ、淋しいじゃねぇの、秋って」

「淋しい…青雉大将にもあったんですね、そのような感性と心が」

「いやあのね、人間だから、俺…も…」

クザンは呆れた様に言葉を吐いてサラの方に振り向くと、目の前の穏やかさに息をのむ。

細い横顔。時折吹く肌刺す風に長い睫毛が靡き、乱れる髪を女性らしい白い手が軽く押さえる。少し厚みのある唇は柔らかい曲線を帯びて、手にした缶の呑み口にうっすらとグロスが色付いていた。

「…何ですか?」

「あ、いや。何でもねぇ」

クザンはハッと我に返り、気恥ずかしさから缶コーヒーに口付けた。この横顔に、この華奢な体に、彼女は何を背負っているのだろうか。袖口から覗く手首はこんなにも細くて、少し力を込めれば直ぐに折れてしまいそうなのに。この手は一体どれ程に重いものを支えているのだろうか。

キリリと先を見つめる彼女の横顔は強くもあり、そしてどこか脆さすら感じてしまう。何か一つを許してしまえばそれこそドミノの様に倒れて崩れる。その崩落の彼方に見えるのは、強さの果てか弱さの果てか。崩落自体を恐れるよりも、その先の何かを彼女は恐れている、そう感じる人間は少なからずサラの目の前にいるのである。

「そう言えば、元帥がお呼びです」

「げ。何がバレたって言うんだよ」

「知りませんよ、そんな事。ただ私も呼ばれてます」

「うわー…サラ、何かやっちまった訳?」

「そんな訳ないでしょう」

サラはコートのポケットから洒落たデザインの懐中時計を取り出してカチャリと開くと、必ず青雉を連れて来いと言われた時間まであと10分。調度良いと呟いて、手にしていたそれを再度コートに仕舞い込むと、一口程度残ったコーヒーを一気に片付けた。

「さて。行きますよ、青雉大将」

どうやら今日は逃げられそうにない。クザンは諦めを孕んだ溜め息を漏らし、サラと同様、残りのコーヒーを飲み干した。

「あぁ、そうだ。缶コーヒーのお礼」

眼下に差し出された大きな拳は軽く握られて、早く受け取れと言わんばかりに小さく揺れる。

「何ですか?」

「ボルんとこの秘書のネェちゃん貰ったんだけど、こんなに沢山食えねえよ」

そっと受けとるとカラフルな包み紙にくるまったキャンディが4つと、中身を失った包み紙。それぞれフレーバーは違うようで、恐らくクザンが食べたであろうキャンディーはピーチフレーバー。良い歳した男が可愛く包まれた紙を広げ、小さなそれを口に運ぶ様は見たいような見たくない様な。サラは込み上げる可笑しさを奥歯でぐっと噛み締めて、そっとポケットに押し込んだ。

「まさか毒が…「入ってねぇよ」…ですよね」















「討伐?サラとですか?」

「そうだ」

立派に蓄えた顎鬚を撫で、センゴクは真新しい手配書を数枚差し出す。クザンは手配書を受け取り目を通すと、誰もが知るお尋ね者の面々が揃っていた。

「えらく有名人が揃ってますけど」

「だからお前達を呼んだのだ」

一通り目を通すと視線はそのまま、隣に立つサラに手配書を差し出した。クザンはポリポリと右頬を掻いて、一つ良いっすかと口を開く。

「他の奴らでは駄目なんですか?彼女は新兵育成員の筈ですが…」

「空いている中将はいるが、相手がこれだけの大物揃いとなれば、誰でも良い訳ではない」

手配書から見て、そう簡単に終わらない事は想像がつく。ならば尚更、連携の取りやすい中将をつけてくれれは仕事は早い。

「あー…アイツ、なんて言うんですかね、いつもの」

「奴は今遠征に出ている。他にも中将はいるが、どれも今回に関しては役不足だ」

この夏に本部へ異動し、尚且つこの夏に中将へと昇格したサラになら、この大役を担えるとでも言うのだろうか。サラはここ数ヵ月間、任務はおろか戦闘にすら参戦していないはず。あの黄猿ですらサラの強さを口にし、その他にも人伝ではあるが彼女の強さは再々耳にしていた。

しかし、彼女の実力など想像もつかなければ、彼女自身の能力すら何一つ知らないのである。クザン自身の能力をサラは知っているだろうが、彼女自身の能力を全く知らないクザンには、今回の任務に対してどうしてもサラこそが役不足だとしか思えなかった。

「大丈夫だ。サラなら心配ない」

「俺は貴方が何をもってそこまで言うのか、全く想像が出来ませんが…」

指揮をとる大将にそれを補佐する中将。双方の連携が取れなければ、何百もの兵士の命を危険に晒す事となる。いざとなれば自分一人で片付ければいい話だが、この手配書を見る限り、そう簡単にはいかないらしい。

「私が相棒では不服だとでも?青雉大将?」

「不服っつー訳ではねぇけども、サラの能力すら分からねえのに連携なんざ取れねぇよ」

「お言葉ですが青雉大将。名前も浮かばない中将となら、連携が取りやすいとでも?」

サラは挑発的に鼻を鳴らせた。クザンは内心苛立って小さく舌打ちをするが、聞こえているのかいないのか、サラは一通り目を通した手配書の束をセンゴクに渡す。

「見下さないで下さい。不快です」

「あらら。仕方ないじゃないの、サラと俺との身長差じゃ。見下してなくても見下してしまうでしょうが」

ほんの10分前まで汐らしく女性らしさが垣間見えたと言うのに、仕事となれば一切の馴れ合いを許さない。現に目の色が変わり、するどい眼光に肌が痛い。

「出港は二日後だ。」

「了解しました。久し振りの討伐に血が騒ぎます。」

クザンはほんの10分前、不覚にもサラに胸が高鳴った事が悔しくてならなかった。

「足手まといになれば、問答無用で置いてくから」

「えぇ、それで結構です」



To be continue…

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