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□君、想う夜
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とある古城。そこは年がら年中、湿気に被われており、一歩城の外に出れば凶悪な動物が闊歩していた。いつもなら風などあまり吹かないが、この日は嵐が来るのか、やけに強い風が窓硝子を打ち、その音が無性に耳障り。

訳も無いのに苛々している俺は、風呂上がりに頭から被ったバスタオルを床へとほり投げた。

「…俺らしくもない」

衝動的に投げたタオルを見詰めながら、普段冷静な自分がどれだけ追い込まれているのか、情け無いがやっと実感。

「一晩だけじゃないか」

さやが居ないのは今晩だけなのに、俺は既に冷静さが欠落している。いつもなら帰って来た俺を笑顔で迎えてくれ、暖かい夕飯なんかが用意されているのに、今日の城には明かりすら灯っておらず、そんな四角く灰色の空間に独りきり。

(頭がおかしくなりそうだ)

俺は苛立ちを押さえ切れず、髪から滴る水滴など気にせずに、だらしなくベッドに倒れ込む。大の字に横たわって上を仰げば、いつも以上に高い天井。寝返りを打てば、いつも以上に広いベッド。

何もかもが大きくて、自分がちっぽけに思えてしまう。若い男じゃあるまいし、いつも冷静な俺はいつの間にか、こんな腑抜けになった様だ。

「さや……」

名を呼んでも返事など無く、それも当たり前かと諦める。一人など慣れていたはずなのに、今や言い様の無い孤独が俺を支配する。寂しいなどと感じた事は無く、むしろ、それが面倒でこの城に住み着いた様なもの。全く、今の俺は馬鹿げている。

ふと部屋の隅を見れば目に入ったのはさやが使っている化粧台。その上には桃色の小瓶があり、手の平に収まるそれはさやの香水だった。食事を摂る時も、家事をこなす時も俺に甘えて来る時もさやの近くにいる時は、いつもこの香りに包まれる。この香りに包まれる俺は何とも言えない幸福感を感じていた。

「…さや、今直ぐに逢いたい」

そんな俺は、もう一人でなど生きて行けない様だ。たった一晩なのに、明日の夜になればまたあの笑顔に会えるのに…。たったそれだけの事で無意味に苛立つ俺は、一体今どんな顔をしているのだろうか。

俺は香水を一滴手首に垂らし、さやの香りによりいっそう包まれる。左指に揃ってつけた指輪に口付けを落とし、ベッドに腰掛けた。まだ生乾きの髪が首もとに巻きつき少し寒い。

この香りに包まれながら、俺はさやを想う。想っても想ってもこの場に彼女は居ないのに、それでも尚、さやの幻影を部屋の中で探し求める。毎晩抱きしめ眠るあの温もりは、ここには無い。唯一あるのはこの香りのみ。

「本当に…笑えて来るな」

女物の香水を垂らし、この俺が…誰もが恐れる王下七武海の俺がこんな様になっているんだ。そう思い、己を大いに自嘲した。



―――――



疲れて眠ってしまったのか、気がつくと瞳を刺す朝日に目を細めた。どんよりと湿った島の、その不釣り合いな閃光に慣れず、目覚めの体を無理矢理起こすと壁掛けの鏡に目が止まる。

「…これはまた…酷いな」

風呂に入り、濡れ髪のまま寝たせいか、俺の髪は絡まり放題。これはもう風呂に入らねば直りそうもないと諦め、だらしなく手ぐしで纏めた。

「それ位じゃその髪、直りませんよ、ミホーク」

突然ドアが開き、聞き慣れた声がした矢先、食欲を誘う美味そうな香りと、あの甘い香りに包まれる。

「さや!!」

声のする方に目をやれば、一晩中想い焦がれたさやの姿があった。思わず立ち上がりさやの体を抱きしめると、俺よりもうんと小さな体はすっぽりと収まり、苦しそうに俺の名を何度も呼んだ。

「プハッ!!ミホーク、苦しいっ」

「さや!!帰りは夜のはずでは…」

夜まで会えないと意気消沈していたのに、こんな朝早くから目が覚めて、ここにさやがいて、俺の胸の中に居る。どうやらこの興奮は収まりそうにない。

「今日ね、昼から嵐がくるんだって。帰って来れなくなっても困るし、それに…」

「それに?」

「ミホークがすっごい寝癖つけて、寂しがってると思って」

さやはおどけてチロッと舌を見せた。その仕草を見て、俺の顔に熱が宿り、異様に恥ずかしくなる。

「あれ?違ったかしら」

「……いや…」

俺は無言で彼女を抱きしめ、執拗に問うさやの口を自分の唇で遮った。

「…もう。あなたは恥ずかしくなったら直ぐこうするんだから…」

さやからは抱かれ眠ったあの香り。自分のつけた香りとは少し違い、甘いだけではなくその香りに優しささえ感じる。孤独に耐えきれず、さやの香りに抱かれた事は少々恥ずかしくて言えないが、今は心の底からさやが愛おしい。

「さや、一晩中寂しかった」

「え?今日はやけに素直ね」

「朝飯を食う前に俺の願いを一つ、聞いてくれるか?」

この気持ちは言葉でなど伝えきれない。

「ん、良いよ。どんなお願いかしら?」

どう言えば良いのかなど分からないし、言葉にさえも迷ってしまう。

「それは……」

しかし、そんなものに言葉は必要でなく、愛する人の胸に飛び込んで、たまにはその温もりにうんと甘えれば良い。

「さや、俺にキスして…くれ」

それが束の間の幸せだとしても。

「ふふ。ミホークったら」

その幸せを守る為に俺は強くなれる。

「今日だけ、だからね」

そう言いながら赤い顔をしたさやは、座る俺の肩に手をおいて触れるだけのキスをした。
さあ、ぽっかり空いた二人の時間。愛しいさやと…



どう埋めようか…………。





end

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