本棚@

□嘘つきな唇
1ページ/1ページ


梅雨時期の昼下がり。ジトジトとした湿気が肌を包む。肌はじんわり汗ばんで、長い髪が首元に張り付いた。

「どうした?」

私に馬乗りされている彼も同様、ひんやりとした額に不釣り合いな汗が滲み、両手で包んだ首元が少しだけ水気を帯びている。

「絞めないの?首。」

大の字になって脱力した彼は確かにそう言った。

「クザンは…死にたいの?」

一人の他者も存在しないこの蒸した空間、私はただ彼に無心に跨がり、首を絞める真似をする。

「そりゃ、死にたくないさ」

今の私には人の生き死になど皆目どうでも良くて、ただ貴方さえいてくれれば、それで満足感を得られるのだ。

「知ってるんだろ?俺があの子とシた事」

−それが生でも死でも−

「ええ、知ってる。…で?私に大人しく殺されてゴメンなさいって訳?」

「さやがそれを望むのなら」

悪そびれた様子も無く飄々と言うクザンに業を煮やし、気付けば下唇を白くなるまで噛んでいる自分。しかし、そんな私は醜い嫉妬心を燃やしている訳ではないのだ。あの女をどんな風に抱いたのか。どんな声で囁いたのか。それは私に向けてのモノと同じなのか。貫いて、貫いて、掻き乱して、掻き乱して…その先に貴方の見たもの…それだけが知りたいだけなのよ。

「で。俺はどうすれば良い?このまま死んで欲しいのなら殺せば良いし、生かしてくれるのならさやを抱きしめさせてくれねーか?」

優しく、そしてどこか憂いを纏った様に笑う彼の気持ちは、全く分からない。

「私はね、貴方が他の女を抱こうが孕ませようが、実際どうでも良いのよ。ただ…」

「ただ?」

「どんな風に抱いたのか、それが気になるの」

クザンが私に近づいた理由なら、もうとっくに分かってる。それに乗った私もどうかと思うが、私に残された道はそれしか無かったのだ。

「所詮政略結婚だ、俺への愛情なんて、端から無いよな」

「そうね、貴方の中にも私はいないでしょう」

「まあ、お互い様だな」

想う気持ちなど、端から無かったのかもしれない。そんな考えが私にとって、日常の安定剤だったりする。

「ま、良いんじゃない?俺もさやも、お互いに欲っするものを手に入れた。それが結婚でも夫婦でも、それさえ熟せば万事上手くいく」

センゴク元帥に進められるがままに進んだ婚姻。そんな曖昧な私たちは結婚の二文字にお互いが印をついたのだ。それでも良いと思った。それでも貴方の傍に居られるのなら、私は何にでも可す。印をつく替わりに身につけたのは覚悟。

「愛しても愛されてもいないのだから、お互いプライベートは分けるのが筋じゃねぇーの?なのになんでさやは俺を殺そうとしている?」

「私はクザンがあの女をどんな風に抱いたのか気になるだけよ」

「…そう。んー、キスして抱きしめて押し倒す。その後はさやにするのと同じ」

(あぁ、やっぱり)

「ふうん。なら良いわ。殺さずにいてあげる」

「そりゃどうも」

せめて体で引き止めて…それは無理。ならばクザンの妻として…それは仮の姿。貴方は私が死んだ時、泣いてくれますか?

ふと窓越しの空が目に入る。灰色にどよんだ西の空は、何故か泣いている様に見て取れた。本当に欲っするものは何一つ手に入らない。ただ、貴方の心が欲しいだけ。

「私が死んだら…」

「死んだら?」

「どうする?早く孕ませとけば良かったと思う?」

「それは思わない。俺、さやの事が好きだから。他の女を抱いてもさやには…嫁さんには敵わない」

そうやって貴方は優しい嘘をつく。一番になりたいなんて高望みはしない。何も求めてなどいない。

「死にたいのか?」

「だって生きていても無駄なんですもの」

仮の愛情など、望んではいないのだから。

クザンはスッと体を起こし、背を向ける私を抱きしめる。途端に包まれる貴方の香りはキツすぎて、強烈な眩暈を引き起こした。背に感じる愛しい温もりは決して私に向けられているものではなく、彼の中には妻の私は存在しないのだ。私を抱く時の目は私を写さずに、絶頂に歪む顔も、やはり私のものではない。

「いいよ、一緒に死んでも」

優しく罪作り…そんな貴方の嘘は容赦なく私の心を踏みつける。いっそクザンに殺された方が楽になるのかもしれない。

「クザンは良いわ、死ななくても。代わりに私の事、殺してくれる?」

そう言った途端、私を抱きしめるクザンの腕力が強くなる。耳元で囁かれる声は、確かに死ぬなと。そうやってまた、貴方の優しい嘘は私を翻弄し、安定剤を求めて己に暗示をかける。

(端っから愛してなどいない)

この時何故か私は、目尻に熱いものを感じたのだった。






「さや、早く気付け。俺の想いに」





end

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ