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□謙虚と陶酔
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窓から差し込む月明かり。夜中だと言うのに眩しく感じた元凶はソレだった。

「…眩し過ぎる…」

咄嗟に覆いたくなる程の月明かりに目を細めが、細めた所で月光を遮れる訳は無く、瞼越しから突き刺すものに耐え切れない。

「眠れ…ないのですか?」

疲れた体に鞭打って、暖かい床から上半身を起こした。声する方に目をやれば、一糸纏わぬ女の姿。恥ずかしそうに両手で隠すも、俺は月光に照らされる白い肌に恋い焦がれる。

「あぁ、起こしたか?」

ハハハと罰が悪そうに俺が笑うと、彼女はいいえと微笑んだ。長い黒髪が月に照らされ深紫に見えたが、それはどうも見間違いだった様だ。

「あれから、一睡もしてません」

「あらら、もう二時間は経ってるぞ?」

そう言ってみるものの、俺も眠れなくて、腕の中で瞳を閉じている彼女を起こすまいと、止まった刻を楽しんでいた。瞑想なんてそんな立派なものじゃないが、窓から吹き入る金木犀の香りにどうにもならない想いを募らせる。

冷えた夜風と共に漂う香りが妙に同化して、夜に酔うには充分過ぎる。

「金木犀の花言葉…」

「花言葉?」

彼女はスゥっと息を吐き、疼く右肩に手をあてた。

「謙虚と陶酔。素敵でしょう?絶対的な存在感を持つのに、あの小さな花は酷く謙虚。それ故、見る人を酔わす」

「絶対的な存在…差し詰め香り辺りか?」

彼女の言う絶対的な存在感とは何なのかと思考を巡らせても、月並みな答えしか思い浮かばず、その言葉さえも受け入れてくれる彼女が何より愛おしい。

永遠など必要ない。ただ求めるは、ほんの少しの未来だけ。

「そろそろ、あなたの名前を教えて」

「……クザン」

「クザン…さん。ふふ。良い名前ですね」

大将にまでのしあがった俺の醜態を知れば、奴は舌を打つのだろうか。徹底的にやれと、全てを消せと。

(信じたもんが違いすぎる)

俺はそうごちた。

「肩…痛むか?」

「えぇ、少し。こんな夜は烙印が疼きます」

彼女の肩に刻まれた真新しい烙印に少し血が滲む。白い肌に朱が浮かび、烙印の上に非情にも存在を主張していた。

「私、何百人もの命を奪ったのですね。この手で…一生消えぬ烙印は、命の代償にしては安過ぎると思いませんか?」

「さやは海賊どもに操られただけだろう。そのせいで罪を架せられた。ただそれだけの事」

血の滲むその烙印に何故か心惹かれ、討伐の任務を忘れた。こんな事が海軍、もといサカズキのヤローにバレれたとすれば命に保障など無いが、そんなチンケな事はどうでも良い。

ただ何故かさやの香りに惹かれ、気付けば数度目の夜を共に過ごしている。

「金木犀…さやの香りだな」

「そう…ですか?」

俺は先程の話を思い出した。絶対的な存在感が有るのに酷く謙虚。故に見る者を全てを魅了する。絶対的な存在感とは、目に映る物ではなく、姿形を表さない物。

悪魔の実のせいで殺人兵器として人を魅了し、何も知らぬさや自身は我を失い失望する。どれ程に人を魅了しても、いつかは枯れ落ち踏みしめられる。さやの生き様が、俺はどうしても金木犀に見えた。

儚く美しい人間。魅了された人はさやの絶対的な存在感に恐怖心さえ覚え、偽りの罪人と仕立て上げた。

「あの…どの辺りが?」

「謙虚で見る者全てを魅了する。実際、俺はさやに惹かれてるからな」

しかし、甘い香りに酔いしれるも、その芳香は余りにもキツ過ぎて時に毒と化す。これ程に明と暗を持ち合わせた花があるだろうか。

それは紛れもなくさや自身。

「もし、私が金木犀ならば、枯れ落ちる運命なのでしょう。落ちる運命など、変えられませんから」

運命――。
金木犀の香りに瞳を閉じ、小さな声で囁いたさやの言葉に妙に納得した。花が落ちる運命など、誰も変える事は出来ない。雨に打たれ、風に晒され、自然の逆境に耐え切れず。その儚さが美しいと言うが、咲く場所も選べずに、意志など持てず、これ程に哀しい事はあるだろうか。

所詮、運命など変えられない。この世に生を受けた者は、花だろうと人間だろうと、自然の摂理に背く事は出来ないのだ。

「クザンさん、あなたがあの場所から連れ出してくれるまで、私はそう思っていました。でも、今は違うの」

「…どう言う事?」

目を丸くして問うと、さやは細い腕を俺の首に絡めて来た。少し冷たい両腕が妙にひんやりまとわりつく。

「殺してしまった人達に許して貰おうなんて思わない。けれど許されるのなら今は…少しでも永く、咲き散り風に靡くまであなたと共に咲きたいと、心から願います。奪った命を背負い咲き誇る。それを私は運命だと思うの」

「しかし…落ちてしまったら、何もかもが終わるじゃないの」

「なら、あなたが風になって、私を何処までも飛ばしてくれる?奪った命を天に迎るから」

あなたのお陰よと呟くさやに、俺は言い様安堵感を覚えた。

さやなら…さやがいてくれさえすれば、俺は人間らしくなれるだろうか。何故かこの時、さやと言う香りに惹かれた理由を何となく悟った。

絶対的な存在感と、それに反比例した儚く美しい様に俺は胸が沸き立つ。キツ過ぎる芳香も、俺を今に繋ぎ止める。

現実から逃げないでと…。

「さやは本当に金木犀の様な女だな」

「そうですか?では、口説き文句として受け取っておきます」

一度、胸にあるものを変えようと必死になったあの事も、あの時感じた己の弱さも、何時かは笑って話せるだろうか……。

「クザン…あなたは本当に風の様な男性ですね」

「俺も…口説かれ文句として受け取っておく」

そんな事を言いながら、俺達は夜通し笑い合った。外から吹き入る金木犀の香りと、冷えた夜風を感じながら…。



「正義は時として、形を変えるのさ」





end

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