本棚/長編

□真相
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「おお、大将さん。久し振りだな。調子はどうだい」

「まあ相変わらずだな。マスターは元気そうじゃないの」

一日の仕事を終えた帰り道、欲が蔓延る歓楽街をすり抜けて裏路地を進み、手前から二軒目の古びたバーの扉を引いた。目の前で来客を知らせる鐘がカランと鳴り、それと同時にグラスを磨いていたマスターのシャノバがこちらを見ていらっしゃいと笑う。

大人が10人も入れば息苦しくなるような店内は程好く証明が落とされ、小さめのカウンターにはランプの灯火がゆらゆらと揺れている。そのランプは勿論の事、椅子やテーブル、置物に至るまで、お洒落なアンティークで統一したセンスは悪くない。

壁に面し、マスターが背を向ける棚には世界各国の珍しい酒が所狭しと並んでおり、クザンでさえ見たことのない珍酒も揃っている。珍しい酒も、このアンティークも、全てマスターの趣味かと聞けば、アンティークは妻の趣味さと照れながら話してくれたのはもう数年前の事。

「二ヶ月振りくらいか。どうした?遠征にでも行っていたのかい?」

奥から二つ目のカウンター席がクザンの定位置である。腰を降ろしたと同時にコースターに乗せられて差し出されるスコッチは、言葉要らずの無言のオーダー。よく冷えたスコッチを渇いた喉に流し込むと、かち割られた氷がカランと軽快な音を立てた。

「ずっと本部にいたんだけどね、最近まあ…色々とね。マスター、ちょっと聞いてよ」

「何だ、愚痴なんて珍しいな」

年の頃、60過ぎくらいだろうか。ダンディズムな口髭と七割白髪のオールバックが、同じ男からしてもかっこ良く見える。シャノバは笑いながらスコッチのビンを再び手にした。

「支部から移動してきた海兵が、これまた超がつく程に偏屈モンでね。さすがの俺も手ぇ焼いてる訳」

「へえ、そんなに偏屈かい」

「そりゃあもうすげぇよ」

カウンターの奥からはトントンと規則的な調理音が聞こえる。耳を済ませば聞きなれた鼻歌なんかも聞こえ、この声の正体は考えずとも分かった。

「クザンちゃん、久し振りだねぇ。ほら、リゾットだよ。どうせまともに食事なんてしてないんだろう」

30分程して、長い髪を頭部高くに纏めた恰幅の良い女性はアハハと豪快に笑い、湯気立つそれをミトン越しに掴んでクザンの前に置くとまた豪快に笑う。

「クレアさん、相変わらず元気そうじゃないの」

「まあね。元気だけが取り柄さ」

差し出されたスプーンで掬って一口食べると、色々な野菜とササミの味が口内に広がった。さっぱり薄味で、酒と一緒に食すには量も丁度良い。夏バテを引きずる体でも、不思議と咽を通る。

「うん、旨いな。久し振りにまともな飯食ったわ」

「ったく。ご飯作ってくれる彼女もいないのかい、クザンちゃんは」

「ちょっとクレアさん、クザンちゃんは止めてよね。俺、良い歳したオッサンよ」

一口飲み込んで、また直ぐにもう一口欲しくなる原因は、仄かに感じる酸味だろうか。舌を刺す程にキツいものではなく、薄い塩味に程好く混じった酸味はイヤらしさを感じない。

「これ…トマト?」

「よく分かったね。クザンちゃん、その顔はまだ夏バテを引きずってるだろう?そんな時はさっぱり酸味が効いたものが丁度良いのさ」

そう言って自分と同じキツいスコッチを一気に煽るクレアに、あと20年早ければ惚れていたかもしれない。クレアは歓楽街で際どい服を身に付けて、どぎつい化粧をした女には無い色気と、おおらかな女性らしさを兼ね備えた人だった。豪快に笑うクレアでも、夫のシャノバの前で頬を赤らめる様が男心を擽って、とてもいじらしい。

「大将も大変だな。まあでも、その海兵さんの下はもっと大変か」

「もう大変なんてもんじゃなくて、不憫だわ」

一通りの話を聞いたシャノバが苦笑いして愛煙に火を着けると、大きく宙に煙を吐いた。このバーに通い出して早数年。若い時分は歓楽街でよく遊んだが、ふらっと迷いこんだ裏路地でこの店を見付けた。入店した瞬間、子供の頃に宝物を見付けた時の感情を思い出したものである。決して繁盛している訳ではなく、寧ろ閑古鳥が鳴いているようなバーだが、出される酒の旨さと朗らかな二人の人柄が、クザンをまたここに向かわせるのだ。

「その海兵さんはいくつだい?まだ若いんなら、若気の至りで許してやんな」

「んー、確か27…だと言ってたかな」

「……もしかして女の子かい?」

「え?ああ、そうだけど」

シャノバとクレアは目を輝かせ、あの子が中将かと満面の笑みを溢すと、クザンの後ろを指差した。訳が分からずシャノバの指差す方に目をやれば、二人掛けのテーブル席。このバー唯一のボックス席である。

薄暗い証明が視界を遮りよくは見えないが、テーブルに突っ伏して眠っている女性の姿が辛うじて見える。徐々に瞳孔が開きより鮮明になった視界は、今一番会いたくない人物を写していた。

「え??…サラ?!」

長い黒髪に青いパンツスーツ。それに黒いピンヒールが足元で乱雑に脱ぎ捨てられている。テーブルに突っ伏しているため顔こそ分からないが、これは確実に話題の人である。

「ちょっとマスター!!これ、どういう事!?」

「あぁ、やっぱりその海兵さんはサラの事なんだね」

二人はニコニコと笑っているが、クザンの頭はこれ以上ない程に混乱していた。何となく気まずくてお互いに避けていたのに、全くのオフタイムに出会すもんだから、さすがのクザンも焦ってしまう。

「この子はね、私達の子供みたいなもんさ」

「子供!?全然意味が分からねぇ」

聞けばサラの父親とシャノバは古い友人だと言う。元々このバーはサラの母親の店で、それを二人が譲り受けたとか。懐かしい過去を話す二人は時折顔を会わせて笑い、ねぇ聞いとくれよとクレアが続けた。

「家族ぐるみで付き合いしてたのさ。子供の頃のサラはもうそりゃあ可愛くてね、うちの息子ともよく遊んでくれたもんよ」

饒舌ながらも空いたグラスに言わずとも酒を注ぐクレアは、心底商売気質だと思う。クザンはそんな二人の話に軽く相槌を打ちながら、グラスを傾けていた。

「ここはサラの実家みたいなもんでね、安心して飲み過ぎたんだろうさ」

シャノバはハハハと笑いながら、チーズと生ハムが綺麗に盛られたトレイをクザンの前に出すと、これを掛けてやれとブランケットを取り出して、クレアに渡した。カウンター下を潜ってサラの元に行こうとするクレアから、俺が近いからとブランケットを受け取ってそっと掛けてやると、その寝顔は普段とは違い、無防備の中に少しの幼さが残るものだった。

突っ伏すサラの前には、さほど度数の高くない酒のボトルが半分程空けられている。酔い潰れながらも左手でしっかりとグラスを掴むサラに笑みが溢れたが、二人に見られるのは何となく恥ずかしくて、緩む口許をぐっと締めた。

「にしても二人に息子がいたとはね。何してる子?」

「あぁ、海兵さ。大将さんに覚えてもらえる程の役職じゃないけどね」

「何て名前?」

「クリスってんだよ。サラと同期だってのにサラは中将、クリスはまだ下っ端。ほんと、親として泣けてくるってもんさ」

どこかの部署に居ただろうかと思い出して見るが下っ端海兵はごまんと居るため、どの男か判別がつかなかった。考え込むクザンにクレアは仕方ないさと豪快に笑った。

「サラの親父も海兵?」

クザンはピックに刺さった生ハムを頬張りながら、思っていた疑問を口にする。この町に住んでいると言う事は家族が入隊しているか、許可を得て商売のために移住したか、そのどちらかなのである。この夫婦も息子が入隊する前からこの町に住んでいたと言う事は、恐らくその後者なのだろう。


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