本棚A

□愛依存
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「どうした、眠れんのか?」

枕元に置いた時計を見ると、時刻は夜中の二時が少し回った所。何度も寝返りをうつひなに、ルームライト頼りに読書をしていたサカズキが問いかけた。

「ん。まだ寝ないの?サカズキさんは」

布団を鼻まで被り、少々ふて腐れたげにひなは言う。サカズキが手にした分厚い本は半分程を読み終えた所。本を閉じるのはまだまだ先になるだろう。

「もう少しで一段落つく。先に寝ちょれ」

「さっきもそう言った」

同じ布団に潜り込んでから、約一時間。サカズキはふて腐れたひなに気付かず、読書に耽っているのである。ルームライトの橙がかった灯りがサカズキの影を優しく写す。天井に写し出された影は、本人の動きとともにゆるゆると揺れていた。

「どうした、今夜はえらく駄々っ子じゃの」

「だって…」

サカズキは栞を挟んだ分厚い本を枕元に置き、ふて腐れたひなの前髪を優しく払う。少しくすぐったそうに目を瞑るひなは、気に入らないのと言葉を続けた。

「明日はサカズキさん、久し振りのお休みなのよ?ずっと前から私、楽しみにしてたんだから」

「じゃから明日はひなの好きな所に連れて行ってやるんじゃろう」

「なのにサカズキさんはずっと本ばっかり読んでる」

「心配せんでも朝はちゃんと起きるけえ」

「やだ。本なんかにサカズキさんを取られたくない。だって私だけのサカズキさんなのよ?」

普段のひななら、共に過ごせる時間があまり無くとも、寂しい思いをしようとも、決して不満など口にしない。否、口にしてはならないとさえ思っていたのだ。何千何万と言う全海兵の上に立ち、何千何万もの命を背負うこの人にこれ以上のものを背負わせてはいけない。常日頃から自分にそう言い聞かせていたひなは、いつしか聞き分けの良い自分を虚像の果てに見い出したのである。

「…私、この一ヶ月間、不安で不安で仕方なかった」

「今まで一月位の遠征ならよくあったじゃろう」

「……夢を見たの」

「夢?」

ひな自身、サカズキの強さは理解している。戦いになど程遠い世界にいたとしても、新聞で見る海賊とやらは極悪非道で情け容赦ない人間だと容易に理解できたし、大きな戦いがある度に慰霊碑に刻まれる殉職者の名前が増えてゆく。死した者達の鎮魂の為にも、今を生きゆく人々の為にも、情けなど捨てなければならないのだと、日に日に鋭くなるサカズキの双眸が物語っているようで。

「あなたが死ぬ夢。ボルサリーノさんがうちに来てね、直ぐに来いって言うの。私は夕飯の支度をしていたのだけれど、全部をほっぽりだして直ぐに本部に向かうのね。そしたら冷たくなったあなたがいるの」

「そんなバカな事などあり得ん」

「でも…あなたが戦場で命を落とさない可能性は、ゼロとは言えないもの」

ひなは呆れたように失笑するサカズキが気に入らないと言わんばかりにそっぽを向いた。

「何、膨れちょる」

「膨れてなんかない」

「膨れちょるじゃろうが」

サカズキは大きな体を布団に沈め、背を向けるひなをそっと抱き締めた。小刻みに揺れるひなの体は、この一月の不安が一気に溢れ出したようだった。

「すまん。泣かせるつもりなど無かった」

「ん。知ってる。私が勝手に泣いてるの」

「勝手に泣かせる訳にはいかん」

「どうして?」

「好きな女の泣き顔など、見とうない」

行ってくると家を出るサカズキの背には正義の文字。行かないでと…死なないでと口にすれば何か変わるだろうか。

「あなたが死ぬなんて耐えられない。私を置いてかないで。ねぇ、お願いよ」

「わしは死なん。ひなを置いて、わしは死ねん」

サカズキがこっちを向けを言えば、ひなはそっと体を反転させる。その瞳は涙に濡れて、不安を色濃く映し出していた。

「ねぇ、お願いがあるの」

「なんじゃ」

ひなはか細い腕をサカズキの首に回し、あのねと囁いた。

もしあの悪夢が正夢になったとしたら、私はその場で舌を噛む。私はあなたに依存して、あなたの愛に依存する。

「抱いてくれる?」

あなたへの愛に依存したその果てに、あなたへの愛に殺されるのなら、女として生を受けた私にとって…

「わしも、ひなを抱きたかったところじゃ」

それは本望だ。



プツリと橙の灯りが消され、激しい口付けに酸素が奪われる。



ねぇ、死なないで。
お願いよ。



聞き分けの悪いひなは酸欠になった頭の中で、もう一度だけそう呟いたのだ。





end

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