お話


トキヤ→マサ

目の前を、綺麗な青が通りすぎた。
そして、石鹸と、少しの墨の残り香。
やっぱり、あの人だ。
「聖川さん」
この人の多さでは、私が発した小さく弱い言葉は、彼の耳には届かないかもしれない、と思ったそのとき。
「一ノ瀬……ではないか」
彼が、振り返った。
驚きで言葉がでない私を見、彼は小さく片手をあげながら私の横までよってくる。
「こんなところで会うとは、奇遇だな。俺は今、新しい墨を調達してきたところなのだ」
お前も買い出しか、と問いかけられ、えぇまぁなどと曖昧にこたえる。
「あぁ、そうだ。一ノ瀬、お前の用事が済んでいるなら、共に帰らぬか」
「え、…あぁはい。そうしましょう」
まだ済んでいない用事を済んだことにして、私は彼と寮まで帰ることを選択した。

日が落ちてきた静かな道を、二人で歩く。
「なんだか、懐かしいですね」
「そうだな。お互いに仕事も増えてきて、なかなか会う機会がなかったからな」
「えぇ……」
こうして懐かしいひとと並んで歩くと、懐かしい思い出も、甦ってくる。
学園時代。
私が、密かに聖川さんにいだいていた想い。
今はどう思っているのかと問われれば、未練はないと、言い切れる自信はないが、好きなのかと問われれば、それもまた好きだとは言い切れない。
それでもまだ、なんとなく彼を視線で追ってしまうのは、諦めきれていない証拠なのだろう。
まだ、この人を想っていてもいいのだろうか。
こんなことを考えてる私など全く知らない、綺麗で凛とした横顔を見て私は
、やっぱりあなたが好きみたいだと思った。


(夕暮れの道を、あなたと)

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