眠らぬ街のシンデレラ

□廣瀬遼一フォレストブログ
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★愛が勝るほどに★
外は夕闇だろうか
それとも朝だろうか

時計も見えず
音も聞こえず

ふとした瞬間、深い闇にいるような
あるいは眩しいほどに銀の光に反射されているような


私には耳によるコミュニケーションはなく
目による情報もない。

盲ろう者。

いわゆるヘレンケラーと同様だ。

しかし、三重苦と呼ばれようと
私は今、地道に点字を覚えようとしている。


私は最初、先天性難聴だった。
手話も知らず
読話のみで、健聴者に囲まれて育った。

地域にも
学校にも

自分と同じひとはいない。

私は笑顔のみで、自分の本当の感情を伝えず生きてきた。


しかし、目も見えなくなり
聴力が衰え

私は今、情報のない状態にいる……のではなかった。


コツコツ…

足に響く振動

近づく煙草の香り

空気がふわあっとしてきて

私の手をそっとなぞる。

指が私の手に書くのだ。

ひ・ろ・せ・り・ょ・う・い・ち


そのあと、指文字(手話)と指点字(指で指に点字の6点を打ち込む)をする。

廣瀬遼一。

高名な小説家。


彼は私がいる、
福祉施設に取材として訪れ
今は
全くコミュニケーションができない状態だった私に、
手話と点字を教えてくれる。

み・え・る・と・き・に
し・ゅ・わ・す・れ・ば・よ・か・っ・た・!

そう、遼一の手のひらに書くと、遼一は私の手を自分の頬にのせ、首をふる。

《今からでも遅くない》

私は遼一の温もりに安心する。

難聴の頃、補聴器をつけても聞き取り辛かったため
私は喋る練習もさぼりがちだった。

別にコミュニケーションは必要ないと思っていた。

しかし、こうして、目と耳による情報が途絶えた今

かえってコミュニケーションを大切に感じるようになった。

遼一は、手話も点字も知らないのに
自分自身も勉強し、
私に教え伝えているらしい。


私は一個一個、噛んで口移しにされるように、物を覚えていく。

触覚が研ぎ澄まされ
遼一の指にふれただけで
遼一の今日の調子がわかる。
ポーカーフェイスらしい遼一の、こんな不器用な優しさが染み入る。

私は遼一を知りたいと思った。
遼一のことを遼一に聞くと遼一の悪口しかかえってこない。

だから、遼一のことを知るには、点字が良かった。

私は遼一から点字を一個一個教えてもらい
一個一個読んでいった。

点訳サークルのボランティアが打ってくれた、
廣瀬遼一の話…
週刊誌で報じられているスキャンダル。


これ、ほんとに遼一?


私は手話で遼一に聞いた。

遼一が笑っているのが手に伝わる振動でわかる。



そうだよ。最低な男だろ?

遼一の手がそう手話をするのをさわる。

遼一が教えてくれた丁寧で綺麗な動きで私は返す。


ちがう。
これはうそ。
遼一はこんなひとじゃあない。


見えないから見える
聞こえないから聞こえる


私は私の皮膚感覚で
あなたの薫りで

あなたを今は知ることができる。




ある日、点字で
遼一の書いた本をたどった。

「…」


そこに遼一がいた。

溢れるほどに遼一がいた。

遼一の書いたものは
まごうことなく、遼一だった。




遼一に会いにいこう
遼一に伝えたい




あなたは欠けているのではない
あなたは溢れすぎるほど溢れているのだ。



愛が哀しくなるほど
優しいひとなのだ。




外出届をとり、
通訳介助者と、施設の外に出る。


「……春だ……」


私は声を出した。

あんなに嫌がって
訓練しても訓練されても出さなかった声で言葉を紡ぐ。


暖かな日差しを皮膚に生える産毛が感じる。

柔らかな空気、むずむずする風。


うれしいものだな



遼一が私に伝えてきた。


お前の声が聞けた



私は言った。

「コミュニケーションがとれないのは私だけが悲しくて辛いと思っていた。
私だけが、普通になるために努力し
私だけが強制的に矯正させられ
社会に適応させられていると思っていた。

でも遼一も私と話したかったか?」

遼一は私の手を取り、頷いた。
遼一の頬が濡れている。
遼一の頬が持ち上がっていて笑っているのがわかる。


そうか

私は遼一と話したかった
遼一は
私と話したかったのか


私は遼一をぎゅっと抱きしめた。
不摂生な遼一の不摂生な匂いがする、不摂生な体。
それなのに健やかすぎる魂。




私は手話と点字を少しずつ覚え
コミュニケーションも、それを学んでいるひと…
ごく少数とはとれる。


そういうと
あわれまれ

たまに
どうして生きているんですか?と聞かれるが


人間、年をとればとるほど、
おいそれとは死ねない。


役にたたないのにと言われるが
役に立たなければ生きていてはいけないのか。

遼一は
お前は俺の玩具だから、
いっぱい、おもろいことして生きていきなさいと言う。


私は遼一の役にたちたい。
私は遼一の役にたちたいけど
もしも役にたたなくても
誰の役にたたなくても

それでも私は生きていく。


生きることに価値があるとかないとか
そんなことを決めなくてよい。

生きたら
生き抜いて死ぬ。

生きる術で生きて逝く。




いやなことを数えず
私は遼一の笑顔をなぞる。


遼一
笑顔になってくれ。

あなたが笑うと私が嬉しい。


★愛などでなく★



愛とか同情ではなく。
ましてや、お前のためでなく

お前は俺を勝ち得たのだろう。




俺は、取材のために、福祉センターにいた。

今回のテーマは
耳の聞こえない人と
目の見えない人の
コミュニケーションだ。

しかし、この「ない」ってのは、なんだ。


なにが「ない」んだ。

気軽に「障害者」というが、何の障害だろうか。
「障」も「害」もすでに字が気に入らない。

カテゴリーに分類しないと、行政や福祉は仕方ないだろうが
にしても
俺まで、この文字で、人様を語る訳にはいかない。

「この場合、触覚でコミュニケーションをとるんですが」と
施設職員から説明を受けた。

「耳が聞こえないと手話をさわる
目が見えないと点字を指に打ってもらう。
しかし、先天性の場合、学校教育などで早期に学習しますが
大人になってからだと
覚えるのが難しいですね」


俺は窓際にいる、一人の男性を見た。

固まっていて人形みたいだ。
年齢は俺くらいだろうか?
そう思うのに
そうではないような?
俗世からかけ離れた美しさがあった。

「あの方は」
「彼は中途盲ろう者です。
難聴ベースです」
「ベース?」
「ろうベースは、ろう者が弱視を伴うケースで、手話ができます。
弱視ベースは、弱視者が難聴を伴うケースで、点字ができます。
しかし難聴者の多くは口を読むので、目が使いにくくなった時、コミュニケーションを取りづらいです」
「…」
「宇宙空間に一人浮いているような…不思議な感覚がするそうです」
「どうやって、その話をしたのですか?」
「手のひらに文字を書いて。
彼は平仮名が得意です。
読み取りがうまいですよ」
「俺でも書いてかまいませんか」
「はい。もちろん。
最初に名前。次に性別、年齢など伝えてください」
「…性別?年齢?」
「廣瀬さんがどんな人なのか、想像するためです。
何も知らないより知った方がコミュニケーションをとりやすいでしょう」
「性別は男女の他にもありますよね」
「そういう方はそう伝えてください」

説明してくださった職員は微笑んだ。

年齢や性別という概略をストレートに伝える違和感に戸惑いつつ
俺は指でひらがなを書いた。
指導が入る。

「書き順が違うと、読みづらいですし楷書で」


俺の手に軽く戸惑っていた、盲ろうの彼が
やがてふと笑った。

声を出さず唇が動く。

ひ・ろ・せ・りょー・い・ち?

最後を疑問符にしたので、俺は手で拳を作り、猫招きみたいに動かした。
これは、拳を頭として表現し、イエスやノーをサインするアメリカ手話だ。
日本手話の肯否よりわかりやすいので、これを使っているそうだ。

それにふれ、彼が笑った。

不思議と俺は涙が出そうになった。


嬉しかったのだ。

伝わって嬉しかったのだ。

伝わるとはこういうことなのか。
こんなに素晴らしいことなのか。




俺は伝える仕事をしていながら
どこかで伝わるのを怖れていた。

でもお前の指先が描く軌跡による文字
わずかな表情表現
それにより、伝わる気持ち。

すべてが美しく
すべてが面白く


もっと速く
もっと正しく
もっとわかりやすく


俺が見たもの
俺が聞いたもの
おまえが知りたいもの
おまえが伝えたいもの
今のリアルな気持ち


溢れるものを
溢れた早さで



俺は手話と点字を習い始め
お前に伝える。

それはお前のためではなく
俺のためだ。

俺がお前と話したいんだ。




やがて、週刊誌に
廣瀬遼一がボランティアに!?などと書かれ


センターの先生と俺とお前は、なんともいえない笑いを浮かべあった。

「ボランティア?」


くっくっと笑うお前。

「遼一がボランティア…ぶぶぶ」
「ああ。俺がお前にボランティアだ」

涙を流して笑われた。

「でも、遼一…ボランティアってのは志願兵だ」
「ん?」
「自ら進んで、という意味だ。
自発的に手を差し伸べることを言う」
「まあな」
「じゃあボランティアなんだろ」
「それを受け止めたお前もボランティアだ。
最初、俺の書く文字に苦労し、俺の手話や点字に根気よく付き合ってくれた」
「そのおかげで、俺は色々なことにチャレンジできる。
誰かのためになることは、必ず自分のためになることだな、遼一」

お前は俺に微笑む。
盲ろう者は表情表現を作りにくくなるといわれている。
なのにお前は屈託なく笑う。
そう、心から笑ってくれる。

「俺はお前が大好きだ、遼一。
誰がどんなにむごいことを伝えあっていたとしても
お前は優しい物語を紡いでくれ

甘ったるいとか切ないとか言われていてもよい。

現実より厳しいものはない。
本物の世界を
夢や幻で癒してくれる
そんな作品でいてほしい、遼一」

彼がにやりと笑う。

「俺には廣瀬遼一そのものが作品だ」

お前の生き方を誰かの戯言で汚すな、遼一




愛とか
恋とか
同情とか



いや、単にそばにいたい…

お前がくっついているだけで、
宇宙空間から戻ってくるよ


そう言われ、
俺は頬にふれさせ、答える。

どうか
手のひらで俺を読んでくれ

その手で
その指で
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