聖霊狩り

□序
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〈序〉

電灯のオレンジがかった光が、立派な石垣を照らしている。

その下には、戦国時代の城。

だが、それはけして当時のままのものではない。

石垣は別だが、城は近年になって建てられた鉄筋コンクリートのまがい物だ。

観光地としての集客力はさほど期待できないにしろ、城址公園として市民の憩いの場になっている。

早朝はジョギングコース、昼間は家族連れの散歩コース、そして夜は恋人たちのデートコースだ。


街灯の光から少し外れたベンチにも、二十歳ぐらいの若い男女がもう長いこと陣取っていた。

男の肩に女がもたれかかり、他愛もない話をしては、くすくす笑い合っている。

自分たちの世界にひたりこんでいて、周りなど何も気にしていない……はずだったが。

女の方が、急に頭を起こして周囲を見回した。

「どうした?」

男の問いに女が不安そうに答える。

「何か……聞こえなかった?」

「何も聞こえねえよ」

耳を澄ますこともせず、男は離れかけた女を抱き寄せた。

女はおとなしく、また男の肩に頭を載せたが、視線は相手の顔ではなく、周りの宵闇に向けられたまま。


彼らの他に誰かいるわけでもない。

「あたしさァ……前に聞いたことがあるんだけど」

「何を」

「ここってさァ……出るって」


何が出るとははっきりと言わず、女は声のトーンを落とす。

そういう言い方をすれば、何が出るかは自ずと知れる。

だが、男は笑い飛ばした。

「そういうの信じてるわけ?」

「だって、お城なんかもあるし、そういう話にぴったりじゃない」

「悪いけど、おれ、そういうの信じないの。今まで一度も見たことないし、そんなどうでも良いこと、気にしないでさァ……」

男が女の手を握る。

女もぎゅっと握り返す。


恋人と同じ気持ちでそうしたのではない。

彼女の表情は緊張に強張っている。


「ちょっと、今度こそホントに聞こえたよ!」

「だから、何が?」

「足音だよ!」

「ああ?」


馬鹿なことぬかしてるんじゃないよと、男の細めた目が苛立つ。

が、それも長くは持たなかった。


細めていた目が、驚愕に大きく見開かれる。

彼も聞いてしまったのだ。

それは足音と称するには、いささか奇妙な感じがした。

ずっ、ずっ、と重い物を引きずっているような音だったから。


示し合わせたわけでもないのに、ふたりは音のするほうへ同時に目を向けた。

街灯の光の届かぬ暗闇から、その音は忍び寄っていた。

…確実に、近づいていた。

やがて、音の正体が彼らの視界に現れた。

引きずるような音がしていたのは、それの脚が傷ついていたからだった。


長い棒状のもの――槍につかまって、脚を引きずりつつ歩いてくる。

古めかしい鎧兜を身にまとった武者が。


ひとかどの武将とひと目で知れる、仰々しいそのいでたち。

だが、その見事なこしらえは泥にまみれ、大袖を飾る威の糸は所々ほつれている。

背中に突き刺さる無数の矢。

脛当に包まれた脚を伝い落ちる血の跡。


彼は敗残の将だった。

当然、生きている者でもなかった。


兜を飾る大きな鍬形の下から覗く顔は、薄汚れた髑髏。

顔面の肉は完全に削げ落ちているのに、眼球が片方だけ残っている。


その髑髏が大きく口をあけて吼えた。


まばらな歯の合間から、呪詛するように謳いあげるように、声は長く尾を引いて城址公園の闇にこだまする。


先に悲鳴をあげてその場から逃げ出したのは、男のほうだった。


後で彼女に責められるはまぬがれ得まい。


女も一拍遅れて悲鳴をあげ、恋人の後を追って走り出した。

サンダルが片方脱げてしまったにも構わず、転びそうになりながら全力疾走する。


恋人同士がいなくなっても、骸骨の鎧武者は後を追うでもなく、もう片方は暗い空洞でしかないのだが、何にしろ、その目に他者は映っていない。


彼がみつめているのは石垣の上の城だ。


彼が生きていた時代のものではない、鉄筋コンクリートの贋物の城に向かって、鎧武者は陰鬱なうめき声を発し続ける。

唯一、見えているほうの瞳から、溢れているのは涙だ。


怒りゆえか、哀しみゆえか。



亡者の声が響き渡る中―――――別の、澄みきった音が重なった。


金属的なその響きは、鈴の音だった―――――

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