司馬懿研究

□ 第二節 年譜
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・西暦(年号)/司馬懿の年齢
出来事

・179(光和二)年/1
河内郡温県孝敬里に、司馬防の第二子として誕生
・197(建安三)年以前/20前
南陽太守の楊俊に「以爲非常之器」と評される
・201(建安六)年/23
郡の上計の掾になる
司空となった曹操に召し出されるが、「風痺、不能起居」と断わる
・208(建安一三)年/30
丞相になった曹操に再び召し出され、文学の掾となる
曹丕と游處するようになる
黄門侍郎になる
議郎になる
丞相東曹の属になる
主簿になる
・215(建安二〇)年/37
張魯討伐に従軍。曹操に「既得隴右、復欲得蜀」と言われる
孫権討伐に従軍
・216(建安二一)年/38
太子中庶子になる
陳羣、呉質、朱鑠と合わせて『四友』と呼ばれるようになる
軍司馬となる
・220(建安二五)年/42
曹操の葬儀を取り仕切る
河津亭侯に封ぜられる
丞相の長史になる
尚書になる
督軍、御史中丞になり、安国郷侯に封ぜられる
・221(黄初二)年/43
侍中、尚書右僕射になる
・224(黄初五)年/46
許昌に留まって守備する
向郷侯に封ぜられ、撫軍となって節を与えられる(領兵五千)
給事中、録尚書事となる
・225(黄初六)年/47
留まって守備する(国内の百姓を鎮め、国外に軍資を提供)
許昌の守備の任につく
・226(黄初七)年/48
曹真、陳羣らと共に顧命を受ける
舞陽侯に封ぜられる
諸軍を指揮して孫権を討伐する
諸葛瑾を敗走させ、張霸を斬る(首級千余)
驃騎将軍になる
・227(太和元)年/49
六月、宛に駐屯することになり、荊州と予州の諸軍事を任せられる
上庸で孟達を討ち、宛に帰還
・230(太和四)年/52
大将軍になり、大都督を兼ね、黄鉞を与えられる
曹真と蜀の討伐へ向かう
・231(太和五)年/53
長安へ駐屯し、雍州と梁州の二州の諸軍を率いて、諸葛亮を討伐
・233(青龍元)年/55
国力を充実させる
・234(青龍二)年/56
秦朗、歩騎二万が指揮下に入る
積石で諸葛亮と戦う
流れ星を見て、奇襲部隊を諸葛亮軍の背後に遣り、戦果をあげる
曹叡に決戦したいと上奏
辛[田比]が遣わされる
蜀軍を追撃せず、撤退させる
諸葛亮の陣営跡を視察し、蜀軍を追撃
進撃を、勅命によって止められる
・235(青龍三)年/57
大尉になり、封邑が増える
牛金を遣わせて馬岱を敗走させる
関東の飢饉に対し、長安の粟(五百万斛)を都に運ぶ
・236(青龍四)年/58
白鹿の献上がある
・238(景初二)年/60
牛金、胡遵らと歩騎四万を率いて都を進発する
遼水に布陣する
兵を出し、敵の兵力を集中させて敵陣に迫り、その後襄平へ向かう
三戦し、全て勝利する
包囲網が完成し、攻撃再開
公孫淵からの降伏の使者を斬る
布告文を公孫淵に送る
公孫淵から来た人質の申し出を断わる
公孫淵の軍を打ち破り、公孫淵を遼水で斬る
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