司馬懿研究

□ 第三節 司馬懿に纏わる言葉
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  第一項 司馬懿に対する評価の言葉
・南陽太守であり同郷である、人物鑑定の人として有名であった楊俊の言葉
  見帝、未弱冠、以爲非常之器。
 帝を見、未だ弱冠ならざるに、以って非常の器ならんと爲す。
(二十歳前の司馬懿を見て、並大抵では無い器であると言った)

・司馬懿の兄の司馬朗と仲の良かった、尚書である清河郡の崔[王炎]が司馬朗に言った言葉
  「君弟聰亮明允、剛斷英特、非子所及也。」
 「君が弟は聰亮明允、剛斷英特、子が及ぶ所に非ざるなり。」
(君の弟は聰亮 明允で、剛斷 英特、君の及ぶ所では無い)

・孟達が諸葛亮に宛てた手紙
  「吾舉事八日、而兵至城下、何其神速也。」
 「吾事を舉げて八日なるに、兵 城下に至る。何ぞ其の神速なる也。」
(私が事を挙げて八日で、司馬公の兵が城下に至ってしまいました。何と人間わざとは思えない程の速さでしょうか)

・孫権が公孫淵に宛てた手紙
  「司馬公善用兵、變化若神、所向無前、深爲弟憂之。」
 「司馬公は善く兵を用ひ、變化 神の若く、向ふ所前無し。深く弟の爲に之を憂ふ。」
(司馬公は兵を用いるのが巧みで、その変化させる所は神の如く、向かう所敵無しだ。その司馬公と戦わねばならない君をとても案じている)

・長雨に苦しんでいる魏軍を召し戻して下さいと上奏した臣下に対する、曹叡の言葉
  「司馬公臨危制變、計日擒之矣。」
 「司馬公は危に臨みて變を制す、日を計て之を擒にせんと。」
(司馬公は危機に臨んでも不時の災難を制する事が出来る。いずれ公孫淵も捕らえてこよう)
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