司馬懿研究

□ 第一節 自分を偽る
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  第一項 曹操に召し出された時
 建安六年(二〇一)、司馬懿は郡の上計の掾になった。一方、曹操は司空になり、司馬懿のことを聞く。(『三国志』によると、曹操に司馬懿を推挙したのは荀だった。)そこで早速曹操は司馬懿を招いたが、司馬懿は誘いを断わろうとする。その時に使った手段が所謂「仮病」であった。
  辭以風痺、不能起居。
 辞するに風痺あり、起居する能わざるを以てす。
(風痺で起きることも出来ませんと言って辞退した)
曹操の使者に対して、「風痺(中風)の為に、起きることも出来ません」と言って断わったのである。しかし、曹操は司馬懿の言葉だけでは納得がいかなかった。『三国志』の魏書には
  太祖(曹操)は若いころ、鷹を飛ばし犬を走らせて狩をすることが好きで、程度のない遊蕩ぶりだった。彼の叔父はたびたびそのことを曹嵩(曹操の父)に語った。太祖はそれを厄介に思っていた。その後、道で叔父に出あった。そこでわざと顔面をくずし、口をねじまげて見せた。叔父は不審に思ってそのわけを訊ねると、太祖は、「突然、ひどい麻痺症にかかりまして」といった。叔父はそのことを曹嵩に知らせた。曹嵩は仰天して太祖を呼びつけたが、太祖の口の様子はもとのとおりだった。曹嵩は訊ねた、「叔父さんは、おまえが麻痺症にかかったといっていたが、もうなおったのかね。」太祖「全然麻痺症になんかかかっておりませんよ。ただ〔私が〕叔父さんのお気にめさないものですから、でまかせをいわれただけです。」曹嵩は疑念を抱いた。以後、叔父が何か知らせて来ても、曹嵩はまるっきり信用しなかった。太祖はその結果いよいよ思いどおりにふるまうことができた。
とある。つまり曹操も仮病を使って自分の思う通りにしたことがあるのだ。そこで曹操は司馬懿のことも疑い、夜に刺客を放って司馬懿の事を刺させてみた。しかし、結局その時は司馬懿を諦めることとなる。何故なら、
  魏武使人夜往密刺之、帝堅臥不動。
 魏武、人をして夜往きて密かにこれを刺さしむるに、帝 堅臥して動かず。
(曹操は武人を刺客として夜に往かせて密かに司馬懿を刺させると、司馬懿はじっと臥していて動かなかった)
本当に病気になっていた訳では無いのに、司馬懿は刺されてもじっと臥していて動かなかった。こうした徹底した演技でもって、あくまで自分は風痺であると見せかけたのである。
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