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□月が綺麗ですね
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「終わんね〜!」

8月某日、お盆も過ぎて夏休みは今日が最終日である。
時計は23時を示している。
高校生活最後の夏休みは例年以上に充実していた。もちろん進路達成のために課外や補習はほぼ毎日あった。夏休みだからといって学校に行かない日はなかったような気がする。
学校が終わったあとは、いつものメンバーでファミレスに溜まってだらだらと喋ったり、たまに宿題をやったりしていた。店には迷惑だったかもしれないがそれももう出来なくなるからどうか許してほしい。

そんな楽しい思い出を頭に浮かべながら、食満留三郎は机に突っ伏した。
広げられているのは夏休みの課題である。
他のは一週間前に終わらせたのだが、国語が苦手な留三郎は後でやろうと手を付けずにいたプリントを今日の午後に発見した。
今からやって間に合うだろうか?いや、無理だ…。そんな時に頭に浮かんだのは、他人の答えを写すという手段だった。いくらなんでも卑怯かと思ったが時間がない上に、テストではいつも赤点ぎりぎりなのだ。迷っている場合ではないとまず同じクラスの伊作に電話したが、出ることはなかった。また不運に見まわれて何か事件に巻き込まれているかと心配になったが今回ばかりは助けにいけない。諦めて長次、小平太、仙蔵の順に電話を掛けたが長次と仙蔵には断られたあげく軽く説教を受け、小平太には自分もまだ終わってないと告げられた。

どうしたものかと電話帳のリストを眺めていたら、ある名前が目についた。

(しかし…、こいつに見せてもらうのは…)

こんな状態でも留三郎にもプライドがあった。
犬猿の中である潮江文次郎に課題を写させてくれと頼めば絶対断られる。もしくは課題を見せることで弱みを握ったつもりになるだろう。
留三郎はじっとプリントを見つめ、決心したように文次郎の番号に電話を掛けたのだった。

突然ガチャッという音とともに文次郎が部屋の中に入ってきた。
なぜこんな遅くまで自分の部屋に文次郎がいるかというと、課題は写させないが教えることならやっても良いと言われ、留三郎がしぶしぶ了解したからである。

「ちょっとは進んだか?」

文次郎は手にした麦茶を机に置いて留三郎の隣に腰を下ろした。

「ぜーんぜん。あ、麦茶サンキュ」

冷えた麦茶を一気に流し込む。扇風機をつけてもいっこうに涼しくならない部屋に閉じこもっていたせいで喉はカラカラだった。

「どれ、あー…これは文章の中から抜き出す問題だ。ちょっと分かりにくいがよく読めば答えが書いてあるぞ」
「ん、そうなのか」
「この言葉がポイントだ。文章の中に同じ言葉があるだろう?それが入っている一文が答えになるんだ」
「なるほどな!えーっと、これがあるのは…、この文か!」
「正解。国語なんてだいたい文章の中に答えがあるから落ち着いて問題読めば出来ると思うが…」
「うっせーな!どうせ頭悪いよ!仕方ねぇだろ、出来ねぇもんは出来ねぇ」

さすが学年トップクラスの教え方は上手いな、と僅かながらに尊敬の意を覚えた瞬間、馬鹿にされたような気がした留三郎はやっぱりこいつ呼ぶんじゃなかったと文次郎を睨んだ。

「開き直るなバカタレ。ほら、最後の1問頑張れ」
「う…、おう」
「…お前、なんで1番最初に俺に電話しなかったんだ。俺たち付き合ってるんだよな?」
「え?それはその…」

文次郎が言った通り、留三郎は隣に座る男と付き合っている。今年の夏はいつも6人でいたから文次郎と二人っきりというのは今日が初めてだった。そう思うと急にこの状況が恥ずかしくなった。

「それは?何だ?」
「おっ、お前と会うと課題どころじゃなくなるっていうか、集中できないかなって…」
「………そうか」
「なに、もしかしていじけてんの?」
「いじけてなどない!まぁ、そういう理由なら許す。さっさと終わらせろ」
「何様だよお前…」

背中を向けた文次郎の耳が赤くなっていることを確認した留三郎は密かに嬉しくなった。なかなか言い出せなかったが留三郎はずっと文次郎と二人っきりになりたかった。文次郎もそう思ってくれていたんだと思うとなんだかいじめたくなってしまい、後ろから抱きついた。

「…何だ」
「嘘つかなくてもいいぜ、俺に会いたくて寂しかったんだろ?なんか奢ってやるから機嫌直せよ〜。お前案外可愛いとこあるな」
「うるさい。問題を早くやれ」
「へーい」

文次郎から離れた留三郎は再び机と向かいあう。すっかり赤みがひいたのか文次郎もプリントに目を向け、最後の問題文を読み上げる。

「問11、夏目漱石はある言葉を月が綺麗ですねと訳した。このある言葉とは何か答えよ。また、ある言葉を自分なりに訳しなさい、か。これお前聞いたことあるか?」
「月が綺麗ですねの元の言葉ってことだろ?分かんねぇ…」
「やっぱり知らんのか、結構有名だけどな。ヒントは英語だ」
「英語〜!?俺、英語も苦手なんだけど〜!!」
「はぁ…、仕方ねぇな。ちょっと耳貸せ」
「ん?おお」

よく分からないまま文次郎の方へ身体を傾ける。すると留三郎の耳元に口を寄せ、甘く囁くように言った。


「I love you」


「…っ!な、何言って…」
「答えだ。漱石はI love youを月が綺麗ですね、と訳したんだ」
「へ〜…って!耳元でいうことないだろ!」
「お前が俺のことをからかうからだ。しかし、意味分かったのか」
「いくら英語苦手でもそのくらい分かるわっ!」

火が出そうな程熱くなった顔を扇風機の前に持って行き風を追うようにして、熱を必死に冷ます。文次郎は留三郎が耳が弱いということを知っていながらわざとああいう言い方にしたのだ。

「じゃあ最後の問題分かるだろ?俺に向けて書いてみろよ」
「にやにやすんじゃねぇ!そーいうお前はなんて書いたんだよ」
「俺か?秘密だ」
「ずりーだろそれ!ははーん、さてはすんげぇロマンチックなこと書いたんだろ。その顔でロマンチックなこと書いてたら恥ずかしいもんな〜」
「…少し大人しくしろ」

ゲラゲラと笑っているといきなり文次郎が冷めた声を出した。嫌な予感がしてその場から離れようとした瞬間、腕を掴まれ留三郎は組み敷かれた。

「今日は散々お前の面倒みてやったんだから明日は俺に付き合ってもらうぞ。保健体育の勉強しないとなぁ?」
「ほ、保健体育なんて課題あったか?テストだってなかったはず…」
「バカタレ、実技だ実技。そんなに俺のロマンチックな愛の言葉が聴きたければ明日飽きるほど言ってやる。もちろんベッドの上でな?」

ニヤリと笑みを浮かべる文次郎は実に楽しそうだ。

「ばっ、バカタレはお前だああああああああああああ」

留三郎の悲痛な叫びは満月に向かって吠える近所の犬の遠吠えに混じってこだました。



おわり

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