【愛別離苦】








「本当に、お世話になりました」

沈黙を破って口を開くと同時に、迷いを振り切るように勢いよく頭を下げた。

目の前の貴方はどんな顔をしているんだろう。

…伝わればいいのに。
下げたままの頭で、念じる。祈るように。


上体をゆっくりと起こして、じっ、と音が出るくらいに貴方の瞳を見詰めて、さらに想う。

届け、と。

けれど、ただわたしを見詰め返す双眸が少しばかり細められただけで、貴方のその唇は何も紡いではくれない。


ねえ、言ってよ。
ちゃんと声に出して言って。
そうじゃなきゃ、何もわからないよ。

ずるい子なのはわかってる。決定権を押し付けて、責任逃れなんて、ずるい。

だけど。

大事な家族、友達、ネオンやクラクションの音までもが懐かしいあの世界で、わたしは確かに生まれ育った。
価値観も文明も、人も物も、こことは何もかもが違う。

好きな匂いの石鹸を使って、シャワーを贅沢に流したバスタイム。
テスト勉強にかこつけて、みんなで寄り道したファミレスやファーストフード。
分からないことはネットですぐに調べた。
寂しいときは携帯ですぐに繋がれた。

そんな愛おしい当たり前を全て手放すには、好きという気持ちだけでは足りず、ましてやそれが片恋なら不安は尚更だ。

もし放り出される時が来たら、そう考えるだけで背筋が凍る。
助けてと縋るだけの女にはなりたくない。けれど、こんな場所でひとりで生きていく勇気もない。

貴方の気持ちに確証が持てないのに、そんな危険を冒したくなかった。


だけど、好きだから。
好き、だけど。


目の前で優しい微笑みをたたえたあなたの、本心が見えない。
わたしだって、一歩も動けやしないのに。

ただそこに居て、笑っている。
いつもそうだったように。
ただそこに居て、笑って、くれる。


胸が、何かに抑えつけられているかのように苦しい。その苦しさから逃れるためにも。
わたしはしめ繩を睨んで、息を吸い込んだ。

その時。

   

貴方の唇が微かに動いたような気がした。けれど、その音はわたしまで届かない。

今。今、一言でいい。「行くな」って云ってくれたなら。
わたしの名前を呼んでくれたなら。
ただこの手を、強く掴んでくれたなら。
もう、未来を想って泣かないでいい。

貴方と一緒なら、何処までだって行ける。




だけど、やっぱり貴方は動かない。




引き際、だ。


欲を言えば、最後に抱きしめて欲しかった。帰った後も、ずっとずっと痕が残るくらい、きつく。

なんてでたらめな願いなんだろう。
本当に、ずるいんだ。
わたしも、貴方も。


しゃらん、キーホルダーが音を立てた。
まるで決断を迫るように。


「じゃあ…いきます」


わたしの言葉に、ピクリ、貴方の体が震えた。
そんな辛そうな顔をされたら、また勘違いをしてしまいそうだよ。
迷惑をかけてばかりのわたしは、早く消えてしまった方がいいのに。
貴方の負担が少しでも軽くなるなら、それがきっといちばんだから。


引き結んでいた唇を叱咤して、無理矢理に口角を上げる。
何とか、笑えているだろうか。

誰かに見咎められないよう真夜中にやって来たというのに、一体どれだけの時間躊躇していたのだろう。見上げた空には紫雲がかかり、すでに夜明けの気配を感じさせる。
なんだか嵐がきそうな、不穏な空だ。


けれど、わたしは、いってしまう。この空の下にはもう、二度と戻れない遠くへ。
此処にやって来る嵐に遭うことはない。

だけどきっと、忘れることはないだろう。この燃えるような空の色と、火傷みたいな胸の痛みを。

踏み出せなかった弱虫なわたしは、ただ待つだけだったずるいわたしは。この痛みを抱えたまま、生きるしかない。


叶うなら、貴方にとってのわたしも、忘れ難い嵐のような存在でありますように。
神社にそう祈って。

「…さよなら、」

一思いに、しめ繩を掴んだ。




    

最後に呼んだ貴方の名前は、まるで真冬の吐息のように、一瞬だけ空気を震わせ、そして溶けて消えた。




(焼け野が原)




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こんにちは。
彼方と申します。

遅ればせながら、つい最近になって幕恋を知り、転がるようにのめり込みました。
晋作さんと大久保さんが大好きです!

過去に開催されていたイベントなどを知るにつけ、色々逃して残念だなぁと落ち込んじゃったりしてたんですが、こちらがまだまだ盛り上がっているのを見て、すごくすごく嬉しかったです(*´ω`*)

今回このような企画があると知って、是非ともわたしもその盛り上がりに乗っからせていただきたいと筆を取りました。

大好きなこっこちゃんの歌詞に、幕恋を絡めて表現する作業はとても楽しく、幸せなひと時でした。

MADの完成を楽しみにしております。
皆さん頑張ってくださいー!


2013/10/06
彼方拝










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