其処彼処

□Bitter Chocolate
1ページ/1ページ

 教室の中に、まだ甘い香りが残っているような気がする。
 放課後の教室に残っていた彼は、宿題を済ませながら一人息を吐いた。遠くから運動部の掛け声が聞こえてくるが、教室は至って静かだ。彼の他に残っているのは隣の女子だけで、それもヘッドフォンをしているためにひどく気まずい。
 悶々と思い悩んでいる間にも手は進み、いつの間にか宿題は終わってしまっていた。明日は休みなので予習もない。
「……帰るかな」
 口の中で隣に聞こえないように呟き、彼は帰り支度を始めた。上着のポケットから音楽プレイヤーを取り出し、ヘッドフォンを首に掛ける。
 教室を出ようとした彼は、しかし鞄のベルトを掴まれてたたらを踏んだ。
「……………あの」
 振り返ると、ヘッドフォンを外した女子がこちらを見上げていた。その指がしっかりとベルトを掴んでいる。
「何」
 答えた後で、返答のあまりの素っ気なさに目眩がした。
「これ、食べない?」
 当の本人はまるで気にした様子もなく、鞄をごそごそと漁って小さい包みを取り出した。
「え」
「はい」
 唐突に差し出されて、頭の中が真っ白になる。
 透明な袋と淡いピンクの不織布に包まれていたのは、紛れもなくチョコレートだった。

 女子からチョコレート。
 今までもらった記憶はない。

「………………ありがとう」
 恐る恐る袋を受け取って鞄にしまおうとすると、彼と同じようにヘッドフォンを首に掛けた彼女は軽く首を傾けた。
「食べないの?」
 冷静に尋ねられ、思わず言葉に詰まる。
「感想を聞きたいんだけど」
 淡々と畳み掛けてくる彼女に、ついに降参した。
 恐る恐る袋を開け、大きく丸いそれを取り出す。見たところ、これはトリュフというものだろうか。柔らかく頼りない感触に、慌てて口に入れた。
 トリュフは甘いものだと思っていた。

 苦い。

「どう?」
「…………カカオ99%?」
 飲み込んでから呟くと、虚を衝かれたように彼女は目を丸くし、それから小さく吹き出した。どうやら一度笑いだすと止まらなくなったようで、肩を震わせて下を向いてしまう。
「うん、いいね。カカオ99%」
「いいねって……」
「嘘じゃないって。本音だよ本音」
 彼が憮然としていると、少ししてようやく笑いを収めた彼女は悪戯っぽく見上げてきた。意識しているのかしていないのか、その上目遣いにどきりとする。
「美味しくなかった?」
「いや、俺甘いのあんまり好きじゃないから」
「なら良かった」
 彼女は嬉しそうに笑った。
「私も苦い方が好き。だって、甘いだけだとつまらないと思わない?」

 お菓子も、恋愛も。
 彼を覗き込んでそう言った彼女は、今では甘いものも好きらしい。

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ