其処彼処
□夏夜の夢
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「葵、着いたよ」
母に肩を揺すられて、葵は目を開けた。いつの間にか眠ってしまっていたらしい。急いで荷物をまとめ、両親の後から新幹線を下りる。
冷房の効いた車内から出ると、質量を伴っていそうなほど湿度の多い熱風が頬を叩いた。冷えていた肌が、あっという間に汗ばんでいく。住み慣れた土地とは全く異なるそれに、違和感と共に僅かな懐かしさを覚えた。
駅前にたむろしているタクシーの一台を呼び寄せながら、父が嬉しそうに笑う。それが少し寂しげに見えるのは、葵の気のせいだろうか。
「懐かしいなぁ、この感じ」
生まれ故郷に帰った父の目には、彼女とは違う景色が見えているのかもしれない。
タクシーに乗って、目的地へ向かう。
車窓の外を眺めてぼんやりとしていた彼女の頬に、ひやりと冷たいものが当てられた。
不意打ちに驚いて振り返ると、母がミネラルウォーターを差し出していた。
「暑いんだから、水分摂りなさいよ」
「……うん」
受け取って、少し口をつける。喉を下りていく感覚に頭が冴えるような気がした。
「……ねぇお父さん、あれ何?」
「ん? ああ……あれは千本鳥居だよ。あの山の麓に神社があって、そこから山頂までずっと続いてるんだ」
「そうなんだ」
お母さん知ってた?
尋ねると、母は頷いた。
「確か一回、お祭りに行ったはずよ。葵も一緒に行ったじゃない」
「まあ随分昔のことだからな、忘れてても仕方ないさ」
そうなのだろうか。よく覚えていない。
父がインターホンを押すと、玄関の向こうで足音がした。ほどなく引き戸が開いて、祖母が現れる。
「あらあら、お帰りなさい」
「ただいま、母さん」
「お久しぶりです、お義母さん」
にこにこと笑う祖母は、昔の朧な記憶と比べると随分小さくなってしまった気がした。それはそうだろう、葵が最後にここに来たのは十年以上も前のことだ。
「大きくなったわね、葵」
「……久しぶり、お祖母ちゃん」
それでも、柔和な笑みは記憶にあるものと全く変わらない。そのことに少しだけ安堵する。
「早く上がって。西瓜が冷えてるのよ」
ほらほらと急かされて、三人は慌てて中に入る。
陽の当たる縁側に座って、気持ちよく冷えた西瓜を齧る。
燦々と降り注ぐ日差しも空気を焦がす蝉の声も、西瓜の冷たさが和らげていくようだ。
「……あ」
密集する家同士を隔てる塀の向こうに、タクシーの中から見た鳥居が見えた。ここからはさして遠くないらしく、思ったよりも大きい。
「ねえ、お母さん」
「なに?」
「私、明日夏祭りに行こうと思ってるの」
「…………」
「もう大きくなったんだから、前みたいに迷子になったりしないって」
「……そうね」
そう。思い出した。
私は十二年前の夏祭りの日、あの神社で迷子になったのだ。