夕陽、見上げて
□第9話―836年@―
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「――っ!はぁ…はっ!」
どんどん荒くなるエリの呼吸。
部屋の外の壁にもたれかかり必死で呼吸を整えようとするが、一向に収まらない。
徐々に雨音に蝕まれていく頭を両手で掴み、闇に飲み込まれないように必死で抗う。
しかし、雨音は完全にエリの頭を食い尽くした。
「お、かあさん…」
そうだ、その日は幸せな1日になるはずだったのに…。
さっきまで、確かに晴れていたのに……。
エリの頭の中は、一気に“その日”の情景で埋め尽くされた
【第9話―回想 836年@―】
昔、人間にも種類があった。
その中でも、「東洋」というところから壁の中にやってきた種族がいた。
その種族を東洋人と呼ぶ。
もともと数の少なかった彼らは、時の流れの中で徐々にその血を薄れさせていく。
そんな中で、東洋人という存在は地下街の人売り達の間で、恰好の的となっていた。
特に、純潔の東洋人というのは特殊とされ、高値で取引される。
東洋人としてこの世に生まれたものは、いかに身を隠すかが生き残る術となっていた。
エリは純潔の東洋人の家に生まれ、例外なく隠れて過ごす人生を送っていた。
先祖代々、住む場所を変え、名前を変えてきたが、それでも一族のほとんどが命を落としたり、人売り達にさらわれていってしまった。
事実上、アクレス家はもうエリの家族を残すのみとなっている。
エリの家族は幸運なことに、ある貴族によって秘密裏に保護されていた。
父と友人であったその貴族は、所有する土地の中に住む場所を提供し、エリの両親はその恵まれた環境の中で2人の子供を授かり、ひっそりと暮らしていた。
名前を変えたとしても、その容姿によって東洋人ということを隠しきることはできなかったので、迂闊に外に出ることはできなかった。
しかし、それでも十分すぎる程の幸せを感じていた。
「はい、これでいいわ。」
「わぁありがとうっ!お母さんっ。」
今1人の少女の腕に、ブレスレットがつけられたところだ。
それを見た少年が駄々をこねる。
「ずりぃー。母さん、僕にも頂戴っ!」
「だーめ!リヒトはまだっ!」
「ねぇちゃんだけずるいっ!」
「ねぇちゃんはお誕生日様なんですー。」
「じゃあ僕もお誕生日様になるもんっ!」
「あんたお誕生日様の意味分かってる?」
母親が、2人が言い合うのを見て、頬をゆるませる。
「リヒトにも誕生日が来たらあげるからね。」
「約束だよっ!母さん。」
納得してもらったリヒトが嬉しそうに部屋の中を駆け回っている。
「ホント、たんじゅーんっ!」
「ふふふっ。」
ませた少女の言葉に思わず笑いながら、母親が少女を抱きしめた。
「エリも14歳ね。おめでとう。」
「うん。」
母親に抱きしめられて、少し照れくさそうに返事をする。
「生まれてきてくれてありがとう。」
幸せによって薄れた警戒心は、その幸せが音を立てて崩れるときが近づいていることに、気づくことができなかった。