闇と月が交わる刻に

□第1話 月夜の歌姫と吸血樹王
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暗闇に瞬く星々を見上げる。
「手が届けば良いのに」
残念な口調で、吐息混じりに呟く。
「…………考えても仕方ない、よね」
星明かりに照らされた金髪に触れる。
「さあ、今日も歌うぞー!」
わざと普段なら使わない、砕けた言葉で活を入れる。
「あー、あいうえおー」
学園の授業でするように、喉を温める。
「さあ、いつものように……」
これまた普段なら言わない気合いの言葉を告げる。
学園内ならではの雑音もなく、葉擦れだけが響く、ひっそりとした外の世界なのだ。
バックミュージックもなく、静寂だけが耳に残る。
お腹に空気を入れるように息を吸い、お腹から声を自然に出す。
「天にまします我が祈りを聞きし神々に捧ぐ……」
声は天を地を廻る。
その想像を胸に、耳へ届く。
歌声ならば、もしかすると……神の元へたどり着くのかもしれない。
それを願いながらより深く祈るように言葉を紡いでいく。
誰も聴衆がいない、野草の楽園で。
わたしは一人、歌い続ける。
言葉は宙に踊り、手足は捧げるための道具。
けれども心は満ち満ちていく。それが自然というように。
「祈りを」
締めの言葉を口に出し、誰もいない空間に一礼する。
――ぱちぱちぱち
不意に、拍手の音が舞い降りた。
背中がはね上がる。
辺りを見渡すが、誰の姿も見えない。
――ねぇ知ってる?
不意に、いつぞや教室で聞こえた噂話が鮮明に蘇る。
「怪物王の配下が、この首都の近くまで来ているんですって」
「えーこわーいっ」
「だからね、夜は外に出るなって注意されてるんだよ!」
ここは、大丈夫だと信じていた。
家の敷地内で、一応は結界もある。
けれども、怪物王――わたしたちを脅かす魔物たちを束ねる魔物は、狡猾で残忍だと聞く。
……なんの身を守る手段を持たないわたしは、格好の餌だろう。
女子供も遠慮なくさらうという。
数々の噂話がわたしの背を凍らせていく。
「素晴らしい歌だった」
男性の低い声は、どこか儚げに聞こえた。
声をかけよう。
いや、ここは一旦逃げよう。
でも声色に怖いところはなかった。
だから大丈夫
「済まない、不安がらせたようだな」
「……っ」
声が、喉がひきつって出ない。
「……信じてくれ、君を襲ったりはしない……まして、あの、怪物王の手下でもない」
「……そ、そんなこと、わからないじゃないですかっ」
声が情けなく震えていた。
ああ駄目だ、ととっさに思った。
「そうだな……しばらくは動けないから、君の歌をまた、聞かせてくれないか?」
「……動けない、んですか?」
「ああ。南の国、あの怪物王から」
なんでもないことのように告げられて、わたしは口を覆った。
「それは、どうして」
驚きが勝り、口から言葉があふれ出る。
それを見てか、彼の安堵をかいま見た気がした。
「詳しくは言えないが……追っ手が近くに来ている」
「えっ」
「だが彼は私を捜している。……体力が回復すれば、なんとかできる」
必ず、という意志に、思わず首を縦に振った。
「君は関係ないから、いつも通りに振る舞ってくれたほうがいい」
突然のことすぎて、頭が追いつかない。
ただ一つだけ、疑問がわいていた。
「わたしはエアード。あなたのお名前を教えてください」
凛とした張りのある声だった。
なんだか、笑みが見える言葉が返ってきた。
「周りからは、吸血樹王と呼ばれている」
聞き覚えはなかった。
だけど、それが名なんだと頷く。
「どこかの王様なんですか?」
クスッと含み笑いが返ってきて、なんだか自分に自信がなくなってきた。
「どこでもないよ。ただの……皆の王だ」
よくわからない返答だったけれど、嫌じゃない。
わたしは首を振って、そうなんだ、と笑った。
「笑顔も似合う」
声しかしないのに、語り合うのは不思議だった。
けれども、思う。
吸血樹王というからには、魔物なのだろうけれど。
怪物王と戦う、勇敢な人なら、襲われるような警戒は必要なんてない、と。
「あの、歌褒めてくださって、ありがとうございます」
「良い歌だった。正直な、語彙の少ない者の感想で申し訳ない」
今までそんな謝られ方をされたことがなかったので、わたしはどことなく手を振っていた。
「そんなこと、気にしないでくださいっ!」
「しかし」
「あの、明日も聞いてくれますか?」
闇の奥へ、問う。
すると優しさにあふれた肯定が返ってきた。
「今日と同じ場所にいる。……そうだ、約束してくれ」
「なにを、ですか?」
「この場所に吸血樹王がいることを、言わないでほしい」
「そんなこと、当然です!」
意気込んだのは、秘密にしたかったのだ。
毎晩歌うことに、わたしだけの秘密が増えた。
それは心ときめく瞬間だった。
立派な先輩後輩ではなく、ただ一人の歌い手の女の子として見てくれている。
それだけのことが、駆け足になるほど嬉しかった。
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