闇と月が交わる刻に

□第1話 月夜の歌姫と吸血樹王
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空を埋めつくす星を見上げ、いるかもしれない唯一の聴き手を思う。
伴奏に邪魔されることのない、草っぱら。
向こうには夜に満ちた森が広がっており、吸血樹王と名乗った男の人が休んでいるのだ。
どんな人なのだろう。魔物だろうから目は赤い……遠目からだとまったく姿がわからない。
それが少し歯がゆくもあり、会ってみたい。
その感情が日々膨らんでいった。
歌いながら思う。
どうしたら会えるだろう。
どうしたら――
堂々巡りの思考に対して、あっという間に歌は終わりを告げた。
「良い歌だ」
遠くからの賛辞に、少し照れる。
「あのっ」
顔が赤くなるのを感じながら、わたしは声を張り上げた。
「どうした?」
「あの、今度、教会で音楽祭があるんです」
相づちが返ってくる。
「それで、お昼過ぎにわたしの出番があるので、その聞きに来てくれませんか!」
顔が火照るのを感じながら、わたしは言い切れた満足感に浸っていた。
しかし大事なのはこれからだ。
吸血樹王は追われてる身と言っていた。
もう出会ってから数日過ぎている。
いつ居なくなってもおかしくない――日に日に強く感じていった。
「そうだな。……君の歌が聴けるなら。喜んできかせてもらいたい」
弾んだ声音だった。
「あ、あの、本当に大丈夫、ですか……?」
不安が急に先立った。
「ああ。だいぶ回復している。目立たなければ、人前でも問題はないだろう」
確かに、この共和国は魔物もたくさん住んでいる。
だから、その点は問題ないと言えるのだけど……。
「安心してくれ。君の歌を聞き終えたら、すぐに隠れる」
少し、嬉しいような寂しいような胸の疼きがあった。
「……追っ手も、もう帰っただろうから」
どこかそうであるように、と祈るようだった。

それからは学園での練習にも熱が入り、わたしは普段以上に歌が上手くなった気がした。
「エアードさん、あなたの歌は最高だわ!」
神学科音楽科目の先生に抱きしめられた。
もし、姿を見せてくれたなら……あまつさえ抱きしめてくれたのなら。
なんて、妄想だけがはかどる思考を振り払う。
「明日……頑張ろう」
相変わらず夜は不審者への注意報が出ていたので、寄り道せずに家のベッドに顔を埋めた。
時間はあっという間に過ぎていく。
夜になれば会える、という喜びと、もう会えないんじゃないか、という不安が交差して、わたしの心は揺れ動いていた。

夜は朝と交代してやってくる。
それを感じながら、わたしはいつもの草っぱらへ出ていた。
そこには見慣れぬ青年が立っており、息を呑んだ。
赤い瞳は宝石のような、闇に紛れる黒色を身にまとっていた。
「エアード」
しばし見とれていた。
我に返り、わたしは照れ隠しの代わりに問いかける。
「あなたが……吸血樹王、さんですか……?」
目を閉じ、優雅に頷く。
その気品は、王に相応しい。
「明日で、最後になる」
「あ……」
わかってはいた。
いつまでも一緒にはいられない、ということに。
それでも――この秘密の歌うたいの場にのみいる、たった一人の観客が好きだった。
あまり話はしなかったけれど、それでも――
「済まない、悲しませるつもりはなかった」
「あの……」
「明日は必ず、聞きに行く。だから、待っていてくれ」
真剣な、それでいて優しい眼差しに、なにを返せるだろうか。
わたしはただ、静かに首を縦にふるしかできなかった。

当日、なんだかいつもと違う緊張に包まれていた。
白磁の教会の壁も変わらないはずなのに、ステンドグラスが透き通す陽射しも変わらない。いつもと変わりがないのに、どこか熱く感じた。
「エアードお姉ちゃん?」
「あ、うん大丈夫よ」
吸血樹王さんのことで頭がいっぱいなんて、誰にも相談できない。
聖歌隊のぽーっとしてる子を元の場所に連れていきながら、そんなことを思っていた。
今日は、快晴。お祭り日和だった。

――中から、歌声が響く。
昨日初めて姿を見せてくれた吸血樹王さんはいるだろうか。
午後の部は、当日で中に入るのは本番だけだ。
脈打つ心音がいつもより何倍も大きく聞こえる。
気付けば、いつもは力が抜けているのに、今日に限って緊張していた。
幼少の頃ならいざ知らず、今更緊張するなんて……。
恥ずかしさが込み上がってくる。けれども、一人でどうこうできる問題でもないのは確かだった。
「……よし」
深呼吸をし、意識を歌へ、歌うことに切り替える。
完全ではなかったものの、だいぶ緊張がほぐれた、気がする。
「エアード次」
「はいっ」
応えて、わたしは教会へ――あの人が待つ場所に足を踏み入れた。
見慣れた椅子とテーブルがある。そこに座る老若男女も、あまり変わりはなかった。
不意に視線は彼をさがす。
――胸が高鳴る。
鼓動が早くなる。
いた。
本当に来てくれた!
弾ける喜びをなんとか口に出ないよう押し留め、わたしは歩く。
一礼したところで口上が入り、わたしは――いつも以上に真剣に、神への祈りを口ずさむ。
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