闇と月が交わる刻に

□第1話 月夜の歌姫と吸血樹王
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歌うことが、なにより好きだった。

星が満ちた夜空の下。
「神に捧げる我が願い」
賛美歌が口から漏れる。
自然と手を胸元で組み、瞼を閉じる。
さぁぁっと、足元から草々の声がする。

広い邸宅の、木々に囲まれた壮大な庭。
だからこそ、腹に力を入れて、心の底から声が出せる。
それが、一番嬉しかった。
「神々の楽園への架け橋は虹」
神学科の授業で学んだ神様への祈り。
長い金髪を風に任せ、彼女は高らかに声を上げる。
その清らかな声は、それだけで人を惹き付ける魅力にあふれていた。
聞く者のいない公演は、心を軽くする。
全てのしがらみを解き放つ言葉は、音に昇華して気持ちを高ぶらせた。

「……」
首を左右に振り、誰もいないことを確認する。
火のついたロウソクが揺れている室内は、淡く中を照らしていた。
「……ふぅ」
慎重に足を動かし、音が立たないよう最新の注意を払う。
「自分の部屋に入るのに、どれだけ緊張してるのかしら」
自身のことながら情けなく感じ、肩を落とした。
開けた窓をそっと閉め、そのままベッドへ飛び込んだ。
はらりと髪が揺れて乱れたが、意識の外に追い出した。
「見つかったら、お父様に怒られちゃうわ」
はしたない――なぜなら寝間着で外をぶらついていたのだから。
でも、今日も無事に怒られることなく終われそうだ。
こんな毎日、いつまでも続いてほしい。
胸にちくりと痛みが走ったが、シーツをかけて無視した。

ああ、明かりを消さなくちゃ。
頭に鳴り響く今日の聖歌に浸りながら、1本1本、丁寧に火を消していった。
薄暗くなった部屋に、星明かりが舞い込む。

充実した日々を送っている。自覚はある。恵まれた才能もある。
歌声が人を癒す。それが神様がくれた才能だった。
両親とお姉様がいる。これ以上を望んだらバチが当たる。
そうとわかっていても。

うっすら幾何学模様がかかれている天井を見つめる。
「歌、好きなのにな」
皆が敬意を示してくれる。それがたまに、壁を作られたようで悲しかった。
孤独を味わうのが、苦しかった。
壁の先へ、手を伸ばしたい。
そう思いながらも実行できないことを、歯がゆく思った。

「エアード、今度の音楽祭に出るんでしょ?」
きらきら瞳を輝かせて、お姉ちゃんが言った。
邸宅の庭、その一角にある花畑はひっそりと春の到来を告げていた。
その中心にあるテーブルと椅子に、向き合って座っている。
お姉ちゃんの金髪は短く、鋭いオッドアイに似合っている。
「まったく、良い話じゃない。なのに、暗い顔して。なにかあった?」
夕方の風がほのかに涼しい。
「……えっと」
視線を合わせづらい。
心の内をさらしたら失望される気がして、口を閉ざしてしまった。
「まあ、いいけど。なんでも相談にはのるからね」
教会のシスターであるお姉ちゃんが、軽くウィンクした。
「うん、ありがとう」
そうとしか返せない自身に嫌気がさした。
歌が癒しをくれると同時に、歌によって、孤独になっている。
それでも、歌がわたし自身なのだ。
歌なしにわたしはわたしにはなれない。
それが、重荷だった。
「そろそろ行くけど、一つ言っとくわ」
すっと真剣な眼差しを向けられて面食らった。
「えっと、どうしたの?」
「夜は気をつけて」
「!」
歌を歌っていることは話しているから、おかしい忠告ではなかった。
でもお姉ちゃんは歌うことに賛成してくれていた。
だから、少し胸が痛んだ。
「なぁに、歌うなってわけじゃないわ」
あっけからんと微笑むお姉ちゃんは、ぴんと指を立てた。
「これは千里眼じゃなくて、単なる女の勘だから」
「本当に?」
「起きてることは見えるけど、未来は見えないからねー」
猫みたいに微笑むと、お姉ちゃんはさっと法衣をひるがえす。
「もしなにかあったらお姉ちゃんに報告すること! わかった?」
「はーい」
いつもの、変わらない返答。
やり取りに満足げにお姉ちゃんが頷くと、その足で庭から去ってしまった。
すっと、風の冷たさが身にしみる。
まだ春だから、肌寒い。
「……部屋に戻ろう」
学園の宿題をこなさなければならない。
それに……音楽祭のための歌を、練習しないと。
綺麗な歌声は自身も魅了するけれど……。
「はぁ……」

今は喜びよりも、ため息しか出ない。
夜は、すぐやってくる。
ティーセットを持って、家の中へ急いだ。
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