「?! ひぁっ……」 「! ……」 おれの情けない声に茅場が驚いたよう身を引く。だが、おれからしてみれば茅場のその反応こそ驚きだ。なぜ驚かないと思ったのだ……。 打ち合わせ室のごみごみ空間は一席しか空いていなかった。 他の席は先客と、整理しきれていないダンボールが山積みにされ、あれをいちいち片付けてしまえば「あなたの隣に座りたくないので……」と意思表示をするようなもので好ましくない。 おれは渋々先客の茅場を気に掛けながら隣のパイプ椅子へ座った。 社内資料をまとめるおれに気にした様子も無く、茅場はゲーム雑誌に読み耽っていたのだが、どういうわけか突然おれの首元に顔を近付けてきたのだ。おれは耳元にかかる吐息と、至近距離で感じられる茅場の気配に全身が総毛立ち、細い悲鳴を上げていた。 「ちょ……い、いきなりなんですかっ……!」 「……いや……」 焦るおれの様子などお構い無しで、既に驚きを消した茅場は真顔で続ける。 「君、いい匂いがする」 「……はいっ?! え、あ、ちょ、ちょっと……!」 言うやいなや茅場が再びおれの首に顔、というよりは鼻を近付けてくる。 いい匂いがする――だからといって、なぜ匂いを嗅ごうとしてくるのか――わけがわからず、さらに気を動転させながらも、おれは思い当たる原因を咄嗟に口走った。 「! あ、せ、制汗剤! スプレー! さっき、先輩にいっぱい掛けられてっ……」 打ち合わせ室を訪れる前「使い切りたいから」という理由でおれは満遍なく全身に女性用制汗スプレーを浴びていた。もしかすると遠回しに「お前汗臭いぞ」といわれているのではないかと思い、おれは従順に受け入れてしまった。 ただ、茅場のせいで間違いなく今のおれは制汗剤の効果を発揮しまくっている。 自分でもフローラルな香りを感じる中、身を乗り出した茅場に両肩を掴まれ、さらに耳の下で匂いを嗅ぐような茅場の所作を聞き、一気に体が熱くなる。 「?! っ――やっ……あ、あのっ……」 「……」 驚きと緊張で声が上擦り、うまく音を発せない。 固まってしまったおれに、茅場は身を引くどころか大胆にも行動を持続させた。耳下から首、首元へと茅場が動くたび短い髪の毛先がおれの肌を擽る。 軽い混乱に陥ったおれは抵抗することも忘れ、茅場のなすがままだった。 随分長く掛かったような気もするし、本当は一分もしないあっという間の出来事だったのかもしれない。時間の流れを追えずにいたおれは、不意に辱めから解放された。 「志藤くん……――!」 茅場が顔を上げ、おれを見るや微かに驚く。 おれもまた茅場の反応に驚きながら、次いで思いがけない指摘を受けた。 「……なんて顔してるんだ」 「……え……」 顔……が、火照っているのは鏡を見なくても分かる。 一体どれだけ情けない顔をしてしまっているのか、それもこれも全て茅場のせいだ……とおれが思う間に、茅場は再びおれの耳元へ顔を寄せ―― 「……誘ってるのか?」 「……え…………え、……え、えっ……?!」 いつもとは違う低さで囁かれ、するりと肩を撫でられ、おれの体温は性懲りもなくじわじわ上昇していく。 ばっと茅場を力任せに押しのけ、おれは慌てて叫んでいた。 「なっ、なに言って……ちがっ……そんなわけっ……!」 「……」 椅子から転げ落ちそうなほどに仰け反り、否定するおれに茅場は口許に手を当てながら淡々と問う。 「ちなみに、だが……君は今、私の発言をどういう意味で捉えたんだ?」 「……えっ?! ど、どういうって……」 「その様子だと、何かやましい事でも考えていたようだが」 おれはなにも言い返せず、馬鹿みたいに熱い顔で口をぱくぱくさせてしまう。 いやしかし、茅場のあの言い方からアヤシイものを感じないでいるほうが無理な話だ、というより、これは完全にいつもの“アレ”だ……。 おれはどこか笑みを押し殺しているような茅場をキッと睨み上げ、抗議する。 「――っ、茅場さんっ、なんでおれのことそうやっていじめるんですかっ!」 「心外だな。いじめた記憶は一切ないが」 「おれはありますよっ! 今のだって……」 発端のきっかけといい、どうも茅場はおれに対してセクハラまがいの行為が多い。おれもおれで、困りはするもののそこまで嫌でもないという微妙な心境で、どうにも落ち着けないでいる。 「……敢えて言うのであれば……」 真剣な様子で、茅場はおれと目を交わしはっきりと告げた。 「君がかわいいから」 「…………は?!」 「つい手を出したくなる。“かわいいものをいじめたくなる”心理、聞いたことないか? あれ、君のことだな」 「…………」 ……いや、小学生かよ……ていうか、それはそれでおれはどういう反応をすればいいのだ……。 天才のいう「かわいい」が一体どういう価値観で言われたのか、皆目見当も付かず言葉を失うおれに、茅場は微かに鼻で笑うと立ち上がりおれの頭をぽんぽんとやさしく叩く。 きっと深い意味なんて無い――そうと分かりつつも、おれは茅場を見上げることができなかった。 「また今度、“いじめ”に来るよ」 「?! ッ……」 開き直ったような宣言に、おれがバッと見上げれば可笑しそうな茅場の顔があった。またしても……またしても、乗せられてしまった。 悔しげに口を閉ざすおれに、茅場は「いい匂いだった」と追い討ちを仕掛け絶句するおれの頭を今一度撫で、打ち合わせ室を出て行く。 残されたおれは茅場の姿が消えてから、どっと疲労を感じ机に突っ伏した。 甘い香りが漂い、茅場にされた一部始終を思い出す。 いまさらながら、この香りを身に纏っている事がなんだか恥ずかしかった。 ●性感スプレー?(ちがう)くんかくんかしてるけどお互い意識する前のなかよし。いや茅場さんは無意識の意識か?こんなことされたら勘違いしちゃいますって……罪な男である。(笑) 2014/08/27 |