幕末誤想事件録

□誤想、十。
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新選組の監察方である山崎烝は、額に汗が流れるのを感じていた。

自分の目の前には、浪士数名が刀を構え切っ先をこちらに向けている。
不逞浪士が新選組屯所を襲撃するという情報が入り、監察方として敵の武器庫の場所を特定する事が今回の任務だった。
しかし、ある呉服屋に目をつけたのは良いものの、僅かに的が外れ、実際の武器庫は呉服屋の向かいの店。
とんでもない失態だった。
だが、最初から不安はあったのだ。
屯所襲撃の情報が入ってまだ六日。
その短期間では、しっかりとした裏が取れるわけがなかった。
呉服屋を見つけたのだって四日ほど前であり、そこに潜り込む事ができたのも二日前。
呉服屋に潜り込んで二日、様子を窺ってはみたが、たしかに浪士の出入りは激しいもののそれ以外は特に異変はなかったのだ。
目当ての場所だと断定するにも否定するにも、非常に微妙な線であった。
それ故に、ギリギリまで見極めようと潜入を続けたのだが手遅れだった。
そして、俺はとことん運が悪かったらしい。
頭が切れる輩だったのか、捕物が始まってから俺を新選組の間者だと見抜いた者がいた。
そして今の状況に至るのである。
今の俺は、忍び装束ではなく呉服屋に潜入するための商人の様な服装のままだ。
武器はある程度は隠し持っているが、抜刀した浪士数名を相手にできるとは思えない。
しかし、これ以上失態を重ねるわけにもいかない。
目の前の浪士達に向かって武器を構えようと懐に手を入れれば、

「なんだ、てめぇ…う゛ッ!?」

浅葱の羽織が浪士達の背後に迫る。
後ろを振り返った一人の鳩尾に、鈍い打撃音と共に刀の鞘がめり込む。
浪士は顔を歪ませ、うめき声を漏らしながら地面に崩れ落ちた。
その他の浪士が反応する前に、浅葱色の羽織は浪士の鳩尾、脛、喉、顔面へと的確に打ち込み、手に持った刀を叩き落としていく。
浪士達が地面に落とした刀を遠くへ蹴り飛ばしていく浅葱色の羽織の男。
高い背丈、頭には袈裟、長い前髪に口布。
ひと振りしか持っていない刀は、なぜか抜かずに鞘で浪士達に攻撃を加えている。
新選組の隊服を着ているが、この様な人間は新選組にいないはずだ。
…この男の特徴からして、まさか。

「まさか、君は…。」

起き上がろうとしている浪士の首に鞘を振り下ろし、男はこちらをちらりと見やった。

『…長くは持ちません。早くここから離れて下さい。』

感情の読み取れない声が呟かれる。
男は、脇差に手を伸ばそうとしている浪士の肩を勢い良く突いた。

なぜ、危険だと理解しているのにも関わらず刀を抜かないのか。

「し、しかし…!」

『しかしも何も、早く逃げ……ッ!』

この男が例の北上清虎だとしたら、新選組の協力者である彼を置いて逃げるわけにもいかない。
その場から離れられずにいれば、いよいよ手が回りきらず起き上がった浪士に彼は蹴り飛ばされ、こちらに倒れ込んだ。
倒れた彼の背中を支え、起き上がっていく浪士達を睨む。
…自分の失態を気にしすぎて、冷静な判断を下せなくなるとは…。

「…すまない。俺のせいで君が…!」

俺に体を支えられ、咳き込みながらも前髪から僅かに見える目を微笑む様に細めて言った。

『…ッ…、気に病むこともないでしょう。それと、私は君≠ナはなく、北上清虎。』

やはり、この男が…。
まさか北上清虎に助太刀をされるとは。
土方副長から、この男の話は聞いていたが、予想していた人物像とはほど遠い様に思えた。

浪士達は本差ではなく脇差を構えているが、どんな力で殴られたのか肩や腕、足を庇って動いている。

「…そうか。君ばかりに頼るわけにはいかないな、北上君。」

懐から苦無を数本取り出して構えた。

『…ほう、頼もしい。』

彼は俺の支える腕から離れると、へらりと笑う様に呟くのだった。
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