短夢弐

□karma:業
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karma。業という。業とは、己の罪がなした罰。罰がなした心。すなわちそれは、因果の輪廻の轍。







人の業を、他人は救えない。他人が業を作り陥れることは三度とあるが、誰一人として、他人の業を救えるものは、いないだろう。








こころまで、蝕まれて。やがて体は朽ち、何が美しくて何が汚いのかすら、この目では分からなくなる。分からなくなったとき、人は初めて嘆き叫ぶ。ーーー人間とは、そういう生き物。








他人の心にあるもの。自分の心にあるもの。いくら体を重ねたとて、それは分かち合えない。分かち合おうと手を重ね睦めば、たちまちにそれは崩れ去る。……それこそが、真の業かもしれない。








karma。仏教では、人の七つの欲、八つの因をまとめてそう呼ぶ。つまり、人というのは業と欲で出来たような生き物なのである。








自分では綺麗なつもりの体も。神や仏からすれば、この世に産み落とされたじてんで、それは汚いものなのだろう。その範疇までいけば、人がわかるはずもない。








だが、人は汚いからこそ美しい。清けき水が、いつか誰からも飽きられるように、業と因果にまみれているからこそ、人は飽きず美しく、そして常に往々と世を生きていられるのだ。









汚さこそが、美しさ。それが薬売りの中では常識であったし、彼もまた自分を欲のない清らかな人間に近づけようなどとは、ただの一度も思っていなかった。








いや、むしろ清けきものや明るいもの、穢れないものが、薬売りは大嫌いだった。ーーーそれらは彼にとっては、近づいてはならない。近づいては、いつか自分を業の道に誘うものであったからである。







だが、いつからだろう。………薬売りの中で、その定規は徐々に狂っていき、気づけば彼は、何にも汚れていない花を、手折ってしまいたいとまで思うようになっていた。







その花は、人を知らない。殻に閉じ込められ、人に思うがままに使われるのを厭わず、いつだって穢れない心を持ち、薬売りにただ従っている。








薬売りが隣を指させば、それは何も言わず隣にいる。薬売りが傍にいろと抱き締めれば、それは何も言わずただ彼に可憐な花芽を委ねて薬売りの心を鎮める。








何も言わない。何にも逆らわない。常に従い、抗わない。ーーーーその従順な花は、徐々に薬売りの心を………煙らせて行ったのだ。









「躑躅」






名前を呼ぶ。彼女は、少しも疑わずに、薬売りに跪き、隣に立つ。あぁ、なぜ彼女は逆らわないのだろう。歯痒いくらいに、愛おしい。







「抱きしめて、いいですか」







こうやって、彼女が逆らわないのをわかっていながら、あえて聞く。彼女は自分の思うままなのだと、分かっていながら、あえて聞く。………彼の心は、十分に歪んでしまっていた。







「どうぞ、私でよろしいのなら」







ーーーーそう。穢れないものを穢すに快楽を覚え、薬売りは徐々に落ちていったのだ。己が勝手に燃え栄えた、業の火のなかに。






…………そして、自分が勝手に敷いていった因果の茨の道を、今彼は、裸足で歩いているのだ。血を流し、それでも後ろにたくさんの罪を、背負いながら。
 

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