短夢弐
□それが世の常、人の常
1ページ/1ページ
誰が、空を青だと決めた。誰が、大地は緑だと決めた。誰が、人は醜いものだと決めた。誰が……人を欲深いものに、した。
分からないものが溢れている。世の常だの人の常だのと人は勝手に決めつけているが、その深層心理にあるものが……何かを問い詰めるのが、薬売りの生業である。
モノノ怪を斬る。モノノ怪の因果を聞き、払い、清める。幾度も人の常…弱い者を漬け込む性を目の当たりにしてきたし、幾度も世の常ーーー恨みが果てない教えを、身に焼き付けられてきた。
その度に、薬売りは虚しくなる。結局自分も、世の常人の常には逆らえず、終末を早めているに過ぎないのだと。真の意味で、モノノ怪を救ってなどはいないのだと。
「主様、如何なさいましたか」
星を見て考え事をしていた薬売りに、躑躅がやはりいつものように無機質に声をかける。温かみなどない。それも……彼女の中の常なのだろうか。
ん、いや。薬売りは、一端は曖昧に濁す。が、世の常人の常を虚しく思う気持ちを、何処かに吐露してしまいたかったのかもしれない。
躑躅。薬売りは彼女に振り返ると、その躑躅色の切れ長の瞳を見据え、光が照り返しては散る瞳に、まるで答えを求めるかのように言葉を紡いだ。
「躑躅。俺はなんだか、モノノ怪を斬るのが虚しくなってきたみたいだ」
「主様の生業は、モノノ怪を斬ることにございましょう」
「モノノ怪を斬る時には、人の汚さや、弱い者が下敷きになる様を良く見る。………それが世の常、人の常ならね、俺はもう、散々だ。そんな常など、見たくない」
その気持ちを、吐き出して。どうにかなるわけでは、勿論ない。薬売りの言っていることなど、躑躅にはきっと分からないだろう。彼女は、人の常など知らない。
だが、薬売りはそれでも良かった。開いた傷口にいつか包皮がかぶさり癒えるように、躑躅に話せば、返事などなくとも、心がストンと軽くなるのだ。
どうもこう考えれば、薬売りもお手軽だ。そこいらにいる俗っぽい人間などと何も変わらないし、世の常に逆らうことなく、その例の一部に混じっている。
常のなかに生きるものが、常を厭う。おかしな話だ。薬売りが自分自身を鼻で笑えば………今まで黙っていた躑躅が、口を開いた。
「私には、主様がモノノ怪に抱く感情は、解せるものにはございません。世の常、人の常など、私にはわからぬことです」
ですが、主様。躑躅がそこまで言って、息を吸う。きらり。彼女の胸元で、金色の模様が数回瞬きをし、身を震わせた。
主様が世の常人の常を厭うならば、無理にそれを心に受け容れる必要など、貴方様にはございません。何故なら常というのは、その他大勢が織り成す単なる感情の糸なのですから。
……躑躅の言葉が、薬売りの耳にすんなりと染み込んでいく。無表情から紡がれた言葉は、やはり極めて短調かつ、無機質で。
「ーーーお前に言ってもらえると、心が軽くなる」
ーーーーけれど、どんな他人の言葉よりも、一番心に響くもので。薬売りは、光が照り返しては散る躑躅色の瞳を見て、世の常人の常が馬鹿らしいとまで、鼻で笑ってしまった。