短夢弐

□花咲きて
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桜、桜。弥生の空は見渡す限り。霞か雲か、あたりに匂う。桜、桜。花ざかり。








見事な桜の大木。花をつけ、一面はまるで桜色の雲のよう。咲く花、散る花。膨らむ蕾。………花は、咲く。








その木の下。打ち出された桜襲の御衣に、淡い薄紅色の垂し髪。およそ人とは思えない姿の美しい女は、桜の絨毯が敷き詰められた地面を見下ろし、恍惚の息をついた。








ーーーーあぁ、私の。私だけの、私が誰より大切にしたーーーー








宝物。七珍万宝。いや、そんなものにすら代え難い。地面に横たわるそれに、女の抜けるほど白い手が伸びる。桜襲の袖から、蘇芳がちらりと覗いた。








桜色の、長い爪。白磁の指。そっと撫でる。優しく、優しく。桜に埋もる、どんな宝より、どんなものより愛しいそれを、無言で愛でる。








女の韓紅の唇がうすら開き、やがて名前のようなものを紡ぐ。撫でる指は、止まらない。ーーー躑躅………何度も、何度も。それの名を、呼ぶ。








桜の花びらに溶けてしまいそうな、長い黒髪も。乱雑に扱えば儚く消えてしまいそうな、今は閉じられた瞳や顔ばせ。桜色の絨毯に横たわる、華奢な体。








目を開かない。いや、開かない方がずっと愛でていられる。女は、ほほえむ。撫でる指は、やはり止まらない。まるでギヤマンに触れるかのように、優しくて。







二人だけの空間。紺碧の空に満月は浮かび、散っては落ちる花びら。咲き誇る花。全てがそう、この愛しい女子を愛でるためだけの、静かな夜。








遮るものは、喧騒は、ない。ただーーー愛でる女の視界の端にちらちらと映るのは、淡い夜には相応しくないーーー浅葱色。








にやりと笑う横顔も。手にする、鈴のついた短剣も。二人だけの空間には、あるはずのないもの。ーーーいや、いるはずのないもの、と言うべきか。








女は、浅葱色を睨む。二人の遠い距離に散る桜は、まるでそう、決して超えて近づいてはならない線を、その身で表しているかのようで。








長い髪を翻し、女の姿が桜とともに消える。そして、浅葱色のその人はーーーー地面に横たわる女を抱えあげ、桜月夜をただ見上げた。
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