Story]

□海の底のシンデレラ
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その答えがこれならば何と滑稽なことだろう。ああ、やけに視界が霞む。私ももう。
そうだ、全てを忘れてしまおう。
閉じ込めて鍵をかけよう。
その鍵が腐食し脆く崩れ落ち、私が再び暗澹と嘲笑に包まれるまで。







ラビがいた。
その場に彼がいなければ、私はきっと視界の端に移った扉の奥になど、全くもって興味を示さなかったに違いない。
けれどもそこには彼がいた。オレンジ色の鮮やかな髪を靡かせて、窓枠に寄り掛かる彼が。
「……ああ、クロちゃん」
歩み寄り、声をかける代わりに開け放されていたドアをノックする。そうすると、分厚く古めかしい装丁の本をめくっていた手は止まり、エメラルドに似た瞳が私を映した。
「何を読んでいるんであるか?」
挨拶もせずに、歩み寄る。彼が気にするそぶりはない。そうだ、彼だって何時も、こうして私の部屋に押し入って来る。
彼の側に、一歩でも近く。
「読める?」
ふ、と笑いを含んだ声が耳にかかるほど、側で覗き込んだ。
「……読めないであるなぁ」
「やっぱり」
「何語であるか?」
振り向いて、どきりとする。
薄く笑った顔が、目の前にある。ふざけて見せるあの大きな笑顔ではない、大人びた、微笑み。
「ギリシャ語」
古代の。
囁きのように告げられた答えに、頷こうとして自分の声が上擦るのに気付いた。
ああ。
「内容、は?」
「歴史書さ。英雄譚に近いけど」
静かな声に、身を引きながら相槌を打つ。ばくばくと心臓が跳ね始めていた。
最近彼は、私と二人切りになると何故かいつもと違う雰囲気を纏う。だから私は余計に彼に敏感になる。
私だけが感じる変化。私だけに生じる違い。
今もそうだ。私と二人切りの時の彼は、優しく、穏やかで、まるで、まるで。
「…で、その戦いの中でギリシア兵達は、」
「好きだ」
ぴたりと、彼の説明が止まった。
すらすらと述べられていた声の代わりに、丸く見開かれた左目からの視線が、痛いほど私を見ていた。
「……私は、ラビが、」
沈黙に堪えられず、私はもう平静など見当たらない脳内から、必死で言葉を引っ張って来る。
けれども、言えなかった。
さっきは言えたあの一言が、言えなかった。
「わた、私は、……私は、ラビが、だから、」
胃が苦しい、息が詰まる、言葉がわからない、頭は真っ白だ。
泣き出しそうな私の表情を写すように、ラビが俯いて困った表情を一瞬見せ、そして私をまた見据える。
「わ、私、は……」
どうして彼は笑わない?
「……クロちゃん、」
もう、駄目だ。
私は動けなかった。彼の瞳のエメラルドが、表情を打ち消す。彼は私をじいと見詰めていた。私は彼を視界に入れることさえ苦しいのに。
「冗談、っしょ?」
にこりと、彼が笑う。
何時もの笑顔で。悪戯っぽい目で。愛嬌のある表情で。まるで私の焦りさえ見えないように。
「っ――――」
「やだなー何オレ、モテモテ?とか一瞬思っちったさ!!
クロちゃんもワルさね!!このこの〜」
はしゃぐ声に、一瞬にして耳を掻き毟りたくなる。どうして私は聞こえるのだろう。どうして私は息が出来ないのだろう。
信じられない。考えたくない。
「、 、  、」
つっかえる呼吸、熱く焦げ付き痛む胸に、彼は明るく、どこまでも明るく。
「じょ、ぅだ、ん、であるょぉ、」
私は、いつの間にか、伝えたい言葉を間違えたまま笑っていた。
「あ、やっぱ?残念残念!クロちゃんならちょっとイイかもとか思ったんだけど!」
ははは!とはたかれた肩が砕けそうだった。もう。体が、腐って弾けて壊れてしまいそうだ。何故、何も起こらないのだろう。
「あー、でももうダメよ?そんな冗談」
こんなにも、痛いのに。
「……ああ」
私は悲鳴の代わりに小さく相槌を打って、ゆっくりとその部屋から立ち去った。
彼も引き止めはしなかった。私も彼が訪問から帰る時に、引き止めなどしないように。同じ、ように。

fin


後書き

始めの改行後から文頭に帰る感じで。

久しぶりにいい感じで書けた!と思います。しかし救われない(笑)
とても少女漫画ですね。はい、乙女男爵最強です。なんじゃいエメラルドて(笑)

ラビは、最初から最後までそんなつもりはないんです。
ただ、恋した方が負け。それだけ。
さよなら淡い恋。愛になる前に。


write2010/4/1
up2010/4/1

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