twitterであげていたおはなし。

□歌って待つよ、雨上がり
1ページ/1ページ

昇降口に来てようやく、外の雨模様に気づく。

大学受験を考えているわたしはこの学校では少数派。
わずかな時間も大切に、とリングに通した単語カードをパラパラとめくり歩いていたので、
天気がどうなのかさえ気にしていなかったのだ。

雨でも、焦りはない。
折りたたみ傘はちゃんと鞄に忍ばせてある。
こういったことへの事前準備は割としっかりできている方だと思う。

でも、予期せぬ出来事にはめっぽう弱いかもしれない。

靴を履き、昇降口の扉に手をかけた時
ガラス越しに見えたのは、
柱に寄りかかる、少しクセのある黒髪に白いシャツ。

隣のクラスの茂庭くんだと認識するまで、
それほど時間はかからなかった。


人当たりがよく、「茂庭くんってどんな人?」って聞けば男女共に口を揃えてこう言うだろう。

”めっちゃいいヤツ”

ガラの悪そうな、やんちゃな男子の多いバレー部の主将が彼だと知った時は、冗談かと思った。
でも、購買で最後の一つだったカレーパンをめぐり小競り合いを繰り広げていた、
鎌先と茶髪の後輩くんの間に入り諌める姿を見て、腑に落ちた。

この包容力が、まさに主将なんだな。

まあ、結局は二人の雰囲気に押されてしまって
壁みたいに大きな子が無言で制圧していたけれど。

クラスは違うけど、合同授業も多いから何度か話したことはあるし、
お互いに名前も知っているという距離感。
派手さはなくても誠実で優しい人柄に、正直惹かれていた。
好き、なんだと思う。


扉をそっと開けると、耳に入ってきたのは繊細な歌声。
雨を見つめながら、かすかに口ずさむその歌をわたしは知らなかったけど
初めて聞く歌声に聞き惚れ、扉を押さえていた手を無意識に離してしまった。

ゆっくりと音を立てて閉まる扉。
彼はその音に即座に反応し、わたしと目が合うとうっすらと耳を染めた。

「あっ…今の、聞いちゃった…よね?」

内心すごく恥ずかしいだろう。
照れた笑顔を可愛いなと思ったけれど、敢えて歌には触れずいつも通りの調子で返した。

「傘、ないの?」
「うん。せっかく早く帰れるって思ったんだけど、この雨」
「それは災難だね」

鞄の中の傘を思い出し、貸そうかって言おうと思ったけど
彼はこの状況を楽しんでるみたいだった。

「たまにはこうやって、無駄にのんびり雨上がりを待つのもいいかなって。
そしたらなんか歌いたくなって。…聞かれちゃったけどね」

単語カードを手に必死になっていたわたしとは違って
余裕のある彼が、きらきらと眩しい。

「さっきの歌、何ていうの?」

わたしの問いかけに、鞄の中を探って音楽プレイヤーを取り出した。

「…よかったら、聴く?」

差し出されたイヤホンを右耳に入れていると
もう片方を彼の指がさらっていった。

「俺も聴こうかな」

そして雨上がりまでの数十分、コードで繋がれたまま
流れてくる音楽に一緒に耳を傾けた。
雨が止むと彼は、じゃあねと手を振り、水たまりを突っ切って帰っていく。
さっきまで隣にあった背中は、ぐんぐん小さくなっていった。
…ああ、やっぱり、好き。

帰ってから、あの歌をすぐに自分の音楽プレイヤーにもダウンロードした。
歌詞も調べて、彼がどんな気持ちで聴いていたのかな、なんて考えたりもした。
登下校、休み時間、家にいる時。
もう歌詞を見なくても全部そらで歌えるぐらい、体に染み込んでいた。
彼との思い出。一方的にそう思っているだけでも心は弾む。


数日後、天気予報が外れ、雨が降った放課後。
もちろん折りたたみ傘は持っている。
無人の昇降口で、ふとあの日を思い出した。

自然と足が向かう、扉を出てすぐの柱の前。
記憶の中の彼と同じように、そっと寄りかかってあの歌を小さく呟いてみた。
彼の真似をしたからといって、何も起こらないのに。
早く帰って、家で勉強するつもりだったはずなのに。
でも今日は、こうしていたかった。

「…今度は逆パターンか」

その声に驚き飛び退くと、彼が笑っていた。

「その曲、気に入ったの?」

純粋に興味から投げかけられた疑問。
君が好きな曲だからだよ、なんてことは言えるわけない。
…前のわたしなら。
でも、ほんのちょっとだけ賭けてみたくなったんだ。

「茂庭くんが教えてくれた曲、だから」

雨音にかき消されそうなくらい小さな声でしか言えなかった。
彼に届いたかどうかはわからなかったけど、
代わりに彼は夢のような提案をしてくれた。

「今日は俺、ちゃんと傘持ってるんだ。よかったら途中まででも入ってく?」

相合傘をすると余計実感する、彼の気遣い。
わたしが濡れないように、傘を傾けてくれている。
誰にでも優しいから、当然なのかな。
特別な子には、もっと、優しいのかな、なんて思いながら
会話もなくひたすら肩を並べて歩いた。

しばらく続いた沈黙を破った一言に、わたしの胸は躍る。

「さっき、期待しちゃったんだ。あの曲歌ってるってことは…
その、おこがましい話なんだけど…俺のこと、そんなに嫌いじゃないんだなって」

「自分に惚れてる」と言う表現を安易に使わないあたりも、本当に彼らしい。
自信に満ち溢れ気高く咲く、百合や蘭も美しいけれど
あたたかな日差しを受け山野にちょこんと咲く、リンドウのような君が好き。

「…嫌いじゃないどころか、むしろ好きなんですけど」

思い切って口に出すと、彼はほっとした表情を見せ、
昇降口でのわたしの態度に不平をこぼした。

「あんな小さい声だから、いまいち確信持てなかったんだよ」

そう言いながら、右肩の鞄をしっかりと掛け直し傘を右手に持ち替えた。
そして左手でわたしの肩をそっと抱き寄せる。

「雨が降ってても、降ってなくても、隣にいてくれるかな」

特等席で彼の横顔をまじまじと見つめながら、
うん、と元気よく返事をした。

帰ったら、まずすること。
鞄の中から折りたたみ傘を取り出すんだ。
これからはいつでも、おっきな傘があるからね。

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ